前史①
ガガーリンが天より青きヴェールを纏う花嫁を見下ろし、アームストロングが月の大地に小さくも偉大なる一歩を刻んでから数百年、未だ大地に留まり続けていた赤子(人類)は母なる揺篭をほんの僅かに旅立ち、文字通りの新天地たる月に新たなる都市を築いた。
西暦(AD)にして2392年であり、人類はこの年を新たに星暦(SC)元年とする。
切欠となったのは人類史上初の統一政体の誕生であり、そこに至る経緯は実に情けなくも切実な希求によるものであった。遠因は22世紀末から始まり24世紀初頭まで続いた二大超大国間の冷戦である。ユーラシアと北アメリカを根拠地とする両国の諍いの最初期は単なる経済戦争の延長に過ぎなかった。弱小諸国を経済植民地とし、資本と資源を本国に吸い上げそれらを鉄と血に変換する。その武威と経済圧力をもって、弱小諸国に対する影響力を競い合っていた両国は自然な流れによってブロック化を開始した。周辺諸国から始まった競争は、やがて世界の9割9分が直接的な影響下に置かれるに至った。あるいはこのブロック化競争がいずれかの大国の勝利に終われば統一政体の誕生は百年前倒しになったか、さらに百年遅れたかもしれない。だがいずれにとっての幸か不幸か、両国の競争は世界を文字通り二分するに留まった、西暦2185年のことであり、後世の歴史学者の多くはこの年を“新冷戦”、“第二次冷戦”の開始と記録する。
そこから辿ったのは20世紀に資本主義者と共産主義者の間で行われたそれと大差ない、あるいはより愚かな歴史であった。今回両大国が資本主義者同士であったという違いはあったがそれは些細なものである。両ブロックの加盟国の切り崩しを図った外交・スパイ戦は激化し続け、両大国の本国の防衛・および加盟諸国の間接的支配のための軍事力は際限のない拡大の一途を辿った。かつての国際機関は冷戦の開始以前に形骸化し、両大国がそれぞれ新たに設立した機関に、加盟諸国は参加を強制され、ブロックを超えた渡航は極端に制限されるようになった。良識ある知識人から見れば、自由経済の意義の意義を投げ出したこの争いは失笑物の意地の張り合いであったが、当初大半の民衆は自国の勝利ための経済闘争を熱狂的に希求した。それは両大国政府の巧みな情報統制、世論誘導の産物であり、ブロックに加盟した弱小諸国からの吸い上げによる持てる者の余裕でもあった。最初にこの闘争に音を上げ始めたのは、ブロック間の最前線に置かれた弱小諸国である。最前線ゆえに両大国から特別な関心が払われ、比較的資本の吸い上げが自重され、両大国の本国軍が駐留していたこのエリアは、加盟諸国の中では外見上は経済的な優等生ではあったものの駐留軍の駐留経費の負担と両大国の“要請”による軍事費の増大によるダブルパンチによって実情は他の加盟諸国と大差ない有様であった。いや、むしろ敵対ブロックとの直接的対峙による緊張から精神的負担はそれ以上であったかもしれない。
見えざる精神的負担が原因であったのであろうか、冷戦は23世紀初頭に入って転機を迎える。欧州に位置する両ブロックの前線諸国間の国境で国境侵犯を巡る小さな小競り合いが発生した事件である。事件そのものは記録上死者数名程度のものであり、両大国が全面戦争を自重したことで、駐留軍は動くことなく、政府間によってわだかまりを残しつつも決着した。だが、これによって両大国に対する自重を曲解したのか、あるいはこれまで溜まりに溜まり切ったフラストレーションの発散先を求めたのか、欧州の小さな小競り合いから始まった闘争は中東・アフリカ・アジアに順次波及した。当初はいずれもブロック加盟諸国の限定された戦力による小競り合いに過ぎなかった。だが、両大国首脳部は行われれば共倒れになるとわかりきっている全面戦争を忌避しながらも、この現象を奇貨と捉えた。表向きは駐留軍で牽制し、外交で調停を図りながらも、裏で敵対ブロックの反政府ゲリラに資金を提供し、友好ブロックに“義勇軍”を派遣した。時に前線諸国の小競り合いのいくつかは紛争・内戦と称される規模にまで膨れ上がり、収まっては起こる永久戦争の様相を呈した。両大国の駐留軍自体が動くことは稀であり、加盟諸国のブロック間の変動はさらに稀だったが、それゆえに容易に決着もつかず各地の紛争にひたすら両ブロックの鉄と金が投資された。そのようなひたすら不毛なだけの争いはほぼ一世紀にわたって続くこととなった。