危険と皮肉と迂闊と
そう言ってクロさんが見せてくれたのは彼がずっと右手に持っていたものだった。
ちょうど手で握れるサイズのイミテーションのような結晶の中に、アニメに出てきそうなおどろおどろしい色合いの塊が入っている。
「ええと、これって」
「さっきの」
やっぱりか。いつもと全然違うけど一応魂なのね。
「聞いたかもしれないがこれは、自動車来ると分かっていて自ら車道へ身を投げ出した。まあ、自分から分かって死んだんだから輪廻へと向かってもいいんだが、どうやら何かとても強い恨みがあるようだ。恨みなど負の感情が凝るとこのように異常な『色』になる。そのせいで逝こうとしなかった」
錯乱、というか狂乱状態でもあったが。
クロさんは自らの右手のものをじっと見る。その表情から何を考えているのかは読み取れなかった。
「実際のところこれに相当する、というかこのような状態になるものは一定数以上存在する。もしかしたら、お前のように自我を保って残るものよりも多いかもしれない。おそらくそのうち、嫌でもまた会うことになるだろう。その時に自分一人でどうにかしようとは思うな。まあ、そう言ってもお前のような奴は勝手に飛び出していくだろうが」
クロさんは皮肉げに笑う。
「はあ?」
まるであたしが何も考えていないかのように。あたしだってあたしだって……!
「ちゃんと周り見てるし危なそうなところに迂闊に飛び込まないです!」
犬猫じゃないんだからそれくらい分かるよ。
「どうだか」
ふん、と鼻で笑われた。むかつくぅ。
見てろよ、そのうちぎゃふんと言わせてやる。
「どうせ自分は大丈夫だとか思っているんだろう」
ぎくっ。いやいやちょっとしか思ってないって。ほら、さっきの声とかヤバい、って思ったしそんな猪突猛進するつもりなかったって。ま、まあ動けなかったってのもあるけど。腰が、ごにょごにょ………。とにかく、そんなことしないもん!
それなのに、図星か、って呆れた目で見られた。ひどい。爪の先ほどしか考えていなかったのにぃ。猫に額ほどの寛容さも持ち合わせていないな。
そう心の中でグチグチと不満をこぼしているとそれが分かったのか、思いっきりため息を吐いて、
「本当に分かっていないな。そうだな、……」
「へ?」
途中から何言ったのかわかんなくなったんですけど。
間抜けな反応を返すと、クロさんはこちらを目の笑っていない完璧な作り笑いを浮かべて見て、
「実際に見ればどれほど危険なのか理解できるだろう、いくらその残念な頭でも」
そう聞き捨てならない言葉を添えてクロさんは右手のものをひょいと投げた。
って。
「ぇぇえええ!!」
危険って言いましたよねえ!なんでそう無造作に投げた?!
ほらぁっ、何か出てきたよおっ。陳腐な表現しか出てこないけど悪役の登場、みたいな感じで黒い靄が!テンプレわかりやすくて結構ですけどっ。最近は何でもわかりやすいのが一番らしいしね!
ああ、もうっ。自分でも何言ってるのかわかんないよ。
「あれが自殺者の魂。何が悪いかというと、ああいうのは直前の感情に引きずられて大体力を全て破壊の方向に使ってしまうところだな。まさに目の前のことしか考えていない。ある意味お似合いだな」
そうクロさんが淡々と皮肉を交えて説明を付け加えると同時に、魂が蔦に捕まって身動きを取れないように縛り付けられる。蔦、はこのバックに合わせた感じでしょうかね。
それにしても、まさにファンタジーな戦い!すごい、すごい!
うぅ、あたしってとっても単純。でもでもっ、気になるし夢のような光景が広がっているのっ。絵心なんて一片たりともないけどもっと近くで見たい!
あたしはクロさんの警告を忘れてふらふらと近づいていく。
「っ、何をしている!」
クロさんの鋭い声が耳に入ってきて、はっと我に返った時には強い衝撃を受けて吹き飛ばされていた。
蔦が緩んであの靄が人間で言う手の部分であたしを弾いたみたいだった。
永遠とも思える浮遊感の後、地面にたたきつけられた。柔らかそうな草が一面に生えているとは言えとても痛い。
死後なのに転んだり腰が抜けたり吹っ飛ばされて地面に転がされたり全身痛みが走ったり散々だよ。何だって死んで肉体から解放されたのにこの運動神経の悪さは変わんないのさ。しかも重力だって痛みだって再現しちゃってさ。人から見えないんだからそんなところまで生前と一緒にしないでよ。
愚痴だけが頭の中を流れていく。こんなに頭の回転がよくなったことってないんじゃないかな。
痛くて痛くてせめて何か考えていないと恥も外聞もなく転がり回って叫んでしまいそう。弾かれたところが後からじゅくじゅくと酷く痛み出した。火傷ってこんな感じなのかな。
「――――っ」
「この、馬鹿!」
クロさんの怒鳴り声が聞こえたと思ったら痛みがすうっと引いていった。完全に消えたわけではないけどかなり楽になった。
まだ、先ほどまでの痛みで感覚が薄くうまく力の入らない腕で身を起こしていく。それでも何とか立ち上がった。
クロさんがこちらを向いて、……うっ、目が素晴らしく怒ってる。
目は口ほどにものを言うとはこのことだね。だから言っただろう、危険だと言っていたのに聞いていなかったのか、等々罵倒されているのがありありと分かる。
「っ、ご、ごめんなさい」
「謝るくらいなら最初から言われたことくらい頭に入れておけ」
「……はい」
絶対零度の冷ややかな目で見られて、身がすくむ。
考えなしの行動だった自覚があるから自然と項垂れる。
と、その瞬間。貧血みたいに目の前が真っ暗になって上下左右の間隔がなくなった。
遠くでクロさんがあたしの名前を呼ぶのが聞こえたのを最後に意識が闇に飲まれていった。