知るべきか否かの問題
ぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁあぁぁぁ——
気のせいじゃないっ!また聞こえたよ。
あたしはぞっとして後ずさっていく。こうなったらもうなかった振りなんてできない。
一体この恐ろしい声は何なんだ。
ずるずると後ずさっていくと道の段差で蹴躓いた。掴まる物も何もなく尻餅をついてしまう。
「ううぅ……。痛いよー、怖いよー」
立ち上がる気力もなくなって座り込む。すっかり力が抜けてしまった。この時ばかりはダサくてもわがまま言わずに魂取り網——提案したものは却下されたため勝手にそう呼ぶことにした——を手に持っておくべきだったと後悔した。あんまりうるさく言ったもんだからクロさんが魂取り二点セット専用のポシェットを用意してくれて、手に持っていなかったのだ。
ああ、もう。早く戻ってこないかな。
警察官が目の前を通っていく。当然のことだが、生きている者たちはあたしたちのことを見ることができない。
見咎められることはないが場違いなこともあって早くここから離れたいと思う。規制も張られているし。見えないとはいえ、いけないことをしているという罪悪感がある。もちろん怖いのもある。
見ているのは悪い気がしてそのまま地面を眺めて待っていると、足があたしの前で立ち止まった。
「あ……」
「待たせたな」
クロさんだ。大分ましになったがまだ不機嫌は治らないらしい。まだ冷気を纏っている気がする。先ほどと違うのは何かを握りしめているその右手だろうか。
あたしはそんなクロさんでも見るとほっとして、
「クロさん~」
はっしと身を乗り出してクロさんの袖を掴む。
さっきまでの孤独さも手伝って普段なら絶対にしないクロさんに泣きつくということをする。
「なんだ、いきなり」
クロさんは一瞬目を見開いてから、とても怪訝そうな迷惑そうな顔をする。
「怖かったんです~。さみしかったんです~」
「……。移動する」
なんてことだ、無視された。冗談なんかじゃないのに。
「慰めてくれたっていいじゃないですかー」
「煩い、さっさとしろ。……何をしている」
「察してください」
自分では絶対言いたくない。足に力が入らない、って言うと何かが減る気がする。
「腰が抜けたのか」
「ぬぅ」
他人に指摘されるのも苛立つなあ。何も言わずに助けて欲しかった。この人にそれを求めては間違っているのかもしれないけれど。
クロさんはため息をついてあたしに手を差し伸べる。あたしはそれに捕まり何とか立ち上がる。
足がプルプルしてる。情けないなあ。
「動けるか?」
「何とか」
歩くくらいはなんとかなるかな。
そう思い答えたのだが、クロさんは胡乱な顔をして、
「転んでも助けないからな」
「はあい」
ふん。倒れるもんか。
クロさんはまたため息をついて、扉を開く。そのまま無言で中に入っていく。
あたしも追いかけようとして、転びかけた。危ない危ない。それ見たことか、って絶対冷ややかな目で見られるのが目に見える。ま、まあゆっくり行けば問題ない……はず。
あたしはゆっくり慎重に足を進め今度こそクロさんを追いかけて扉をくぐり抜けた。
扉の先は『家』ではなく、どっかの草原だった。この時期らしく秋桜も咲いている。少し先に見える木々も見慣れた広葉樹で温帯の地域なんだなと思った。どこなのだろう。
「ここは?」
「さあ」
なんとなく疑問を口にするとなんとも煮え切らない答えが返ってきた。
「さあ、って。クロさんが連れてきたんじゃないですか」
「説明のしようがない。地球上のどこでもない場所だから」
「あの『家』ある空間とおんなじですか?」
「いや、少し違う。あそことここはつながっていない」
へえ。分からん。もともとあの『家』がどんな場所にあるかも分からないからね。隔絶された空間だってのは聞いたけどさ。
「で、何だってこんなところに連れてきたんですか」
まあ、実際重要なのはここがどこなのかってことよりもこっちだよね。わざわざ夜も更けたばっかりなのにこんなところに移動したんだもん。
しかし、クロさんは予想に反して何も言わなかった。眉をひそめて何かを探るようにあたしを見る。
あたしは何が何だか分からなかったが、知らないままは嫌だったので言ってもらうぞ、とじっと見つめ返す。
しばらくにらみ合ったが、先に根負けしたのはクロさんの方だった。本当に不承不承というのが手に取るようにわかる。
「……本当は、もうあそこに帰そうと思っていたんだが」
「ええ、それはないでしょう」
「まあ、どうせそのうち知ることだしな」
聞き流しできないことをぽつりとこぼす。
「ええと?クロさん?」
途中から独り言言わないでいただけませんかね。しかもそれだったらなおさら教えてくれなくちゃあ困りますがな。
思わず半眼になる。そのせいなのかはわからないが、ため息をつかれて、
「今まで、ある程度覚悟のついた上で死んだ者は止まることなく輪廻へと向かうと言っていたな」
「うん。それであたしみたいに突然死んだ人が残るんでしょ」
「だが、実際には自らの死を覚悟した者の中にも現世への強い思い故に止まってしまう者もいる」
輪廻へと向かう流れに逆らってまでこの世に残ろうとし、実際残れてしまうんだ。それが、どういう者か分かるか。
そう、クロさんは続ける。
当然この質問はさっきの『事故』と無関係ではないわけだ。
「それって」
思いついたことを言おうと口を開いたところでクロさんが続けて言った。
「見た方が早いか」