098話.ヤクザ、やらかす
「何言ってるのかさっぱり分からないんですが……大体ですね、自分みたいな大の男があんなガキに手ェ出しちゃ犯罪じゃあないですか。ここが異世界で自分たちがヤクザだからつっても、その程度の分別は弁えてますよ」
「……弁えてるんですか?」
「なんで俺の方を見るんスかね……」
なんてやりとりはさておいて。
千明組若衆の一人、向山の仕事場は新技術試験場から遠く離れた街中に位置していた。
歴史と風格を感じさせる、石造りの建物。
元は私塾だったという話だが、今ではマトロ商会傘下の書籍商たちが本拠にしている場所だ。
教師らが自らの知識と思想を最も正しいと信じて傲慢に振る舞った結果、時代に取り残され――見かねたマトロが私塾を買い取って教師陣を追放、書籍商へと生まれ変わった、ということらしい。
私塾としての機能はまだ残っており、書生らは勉学に励みながら写本で小金を稼いでいる。
生徒らから授業料を取りつつ商品を作り出す――商人らしい、無駄のないやり方だ。
向山に与えられた職場はその二階、学者らが執務室として使っていた執務室だった。古書で埋まった書架を背に、元教師の彼はだらだらと書き物に勤しんでいるところだ。
ノックに気付くと、ペンを置いて気だるそうに立ち上がる。
「はいはい。今出ますよ」
頑なに元の世界のファッションを貫く組員の例に漏れず、向山は灰色のスーツに身を包んでいた。
天然パーマの長髪をうなじでまとめ、銀縁眼鏡をかけた細身の男前だ。教師をやっていたころはそれなりに人気もあっただろう。ただし、彼が勤務していたのは小学校で、退職理由は援助交際がバレたからである。
罪の重さはともかく、千明組きってのダメ人間であることは間違いない。
「三ツ江君、早かったですね。ちょうど今し方……」
扉の向こうにいたのは、しかし三ツ江ではなかった。向山は視線を下げて来客と目を合わせる。
肩口に切り揃えた栗色の髪と、その間に見え隠れする切れ長の目。
顔立ちからすると歳は十五から十六、お嬢とそう変わらない年齢だ。にも関わらず大人びて見えるのは、うすく笑みを浮かべた表情と、視線の運びから受ける印象だろう。
上目がちに見上げていた視線が向山の視線と絡み合った途端、恥じらうように右に逸れ、横目でおずおずと視線を戻す。
「あ……あの。どなたかお待ちでしたか……?」
「ううん、大丈夫だよニーニャ。また御父上のお使いかな?」
「きょ、今日は……コレ、です」
ニーニャと呼ばれた少女が、小脇に抱えた本を向山に差し出した。
表紙に見慣れぬ文字が刻まれた革張りの一冊だ。ハードカバーよりもずっと大きく、それでいて厚みは文庫本以下。アルカトルテリアで手に入る紙は質が悪く、分厚いものだ。その点を鑑みれば、ページ数は精々五十かそこらだろう。
画集か何かだろうと当たりを付けて、向山は本を受け取った。そのまま身を翻すと、慣れた様子でニーニャを執務室へと招き入れる。
「御父上の様子はどうかな。こちらから書状をお送りしたんだけど」
「申し訳、ありません……。最近は新たな都市の編入が続き、そちらの調査にかかりきりで……。他にも教え子の方が倒れたり、色々……」
「構いませんよ。急ぎのことではありませんから。後日、こちらから参上するとお伝えください」
――向山が伏見に任された仕事は、この世界の情報を収集すること、そして伏見らの持つ情報をある程度伝播させることだ。
この時代において、情報を得るには書物を紐解くか、人と会話するしかない。多くの書籍が集まり、智者との接点を持てる書籍商は絶好の仕事場だった。
ニーニャと出会ったのはその結果だ。一人の神学者と親交を深め、付き合ううちに孫娘であるニーニャを紹介された。
当然、信頼を得る過程には様々な障害があったのだが、それはさておき。
以来、ニーニャはこうして暇を見つけては仕事場に顔を出すようになっていた。
すっかり彼女専用になってしまった来客用の椅子を出して、向山は書斎机の椅子へと腰掛ける。
「さて、この本がいったいどうしたの、かな……」
開かれた本の内容を見て、向山は手を止めた。
見立て通り、ニーニャが持ち込んだこの本は画集のようだった。朱色――鉛丹で刷られた版画だ。
紙の上で、全裸の男女が肌と肌の境を溶かすように絡み合っている。
昨今のエロ本でもそうそう見ないようなえげつない体勢だった。添えられている文章は海藻や植物の根を用いた愛の妙薬のレシピ――察するに、ローションの作り方だろう。実用性ばっちりかよ。
「ニーニャさん、これは……」
「そのページじゃなくて。こっちの……です」
用意された椅子ではなく、向山の背後に回ってニーニャは本に手を伸ばす。わざとらしく押し付けられた少女の体温と柔らかさ、そして匂いに、気が惑う。
「ここ……どうなっているのか分からなくって。先生、教えていただけませんか……?」
ページをめくり、別の体位が描かれた版画を指しながら、ニーニャはじっと男を見つめる。
少女の関心は、学術的な興味とはかけ離れたものだ。
繊手をシャツの襟元へ滑らせ、またがり、頬を寄せる。
「昨日みたいに。……優しくしてくれると、嬉しい、です……」
「……あー、えっと。ちょっといい?」
空気を読まないセリフは、向山のものではなく。
ドアの前で気まずそうに佇む、三ツ江の言葉だった。
わざとらしく咳払いをして、三ツ江は開きっぱなしのドアをノックする。
「悪ぃんだけど、先にこっちの用事を済ませていいかな。……っと」
三ツ江の言葉を待たず、ニーニャははだけた胸元を掴んで逃げ出した。三ツ江の背後にいたお嬢とぶつかりそうになりながら、廊下の向こうへと消えていく。
「悪ぃことしちゃったかな。……なぁ、向山?」
「三ツ江、さん……」
「兄貴って呼ぼうな。あと、立て」
歳は向山の方が上のはずだが、組員としては三ツ江が兄貴分である。弾かれたように立ち上がり、やや前かがみに気をつけの姿勢をとる。
「……で、なに。もう食っちゃったの?」
「いやぁ、えへへへへへ」
「えへへじゃねぇよえへへじゃ! お前何やっちゃってんの!? スキンも抗生物質も出来てねぇんだから、まだ女に手ぇ出すなっつわれてただろうが! お前ホンット下がゆるゆるな!」
ある意味、異世界転移で最も恐ろしいのが病気だ。伏見らはこちらの世界に存在する様々な疫病に対し免疫を持たない。食中毒から寄生虫、性病に至るまで、組員らには伏見から直々に警戒を言い渡されていた。
それを、このダメ人間はこっそり破っていたのである。
「いや、でも兄貴。僕だってその辺はちゃんと考えてるんですよ!」
「……へぇ。一応言ってみ」
「あの子、僕が初めてだったんで! 病気は問題ありません!」
「処女だって性病にはなるよ?」
「えっ……」




