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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
鏡面相克都市・ファウラ=ラド 上
98/130

097話.ヤクザ、結婚を考える

「……なんとなく凄そうですけど、今度は一体何をするつもりなんですか?」

「さぁ?」

 笑みのまま、三ツ江と篠原も首を傾げた。

 妙にシンクロした二人の動きに、そういえば同世代だったっけと思い出して、

「えっ……えっ!? 作ってみただけですか!? 何の目的もなく!?」

「や、目的は色々とあるんスよ? ただまぁ、今んところは使い道がないってだけで」

 ガラス繊維は比較的新しい素材だ。中世程度の技術しか存在しないアルカトルテリアにおいては一種のオーバーテクノロジーだろう。

 言葉だけは格好いいが、オーバーしすぎても困りものなのだ。

「ガラス繊維っつーと、内視鏡とか、車にも使われてんだっけ?」

「繊維強化プラスチックですね。車のパーツとか、ボートにも使われる素材で、特徴は軽さと丈夫さ。この時代で再現出来れば確かに売れるんでしょうが……」

 腕を組み、眉根に皺を寄せて篠原は渋面を作る。

「……プラスチックって、どうやって作ればいいんですかね」

 石油から作られる、なんてことは篠原だって知っていた。知ってさえいれば、試行錯誤を重ねることでいずれプラスチックも生成できるだろう。問題は、未だ石油を発見できていないことだった。

 用途によっては漆や松脂などの天然樹脂で代用が可能かもしれないが、実際に試してみるまでは何とも言えない。

「内視鏡にしても、先端にライトを着けなきゃ使いもんになりませんし……硝子繊維単体での使い道は断熱材くらいでしょうか」

 ともあれ、まだ研究の段階だ。商品化には遠いけれど、ここに居る人間は篠原達だけではない。いずれ採算の取れる使い道も見つかるだろう。

 職人らの中でも一番年嵩の男にサンプルの回収と増産を指示して、篠原は踵を返す。

「今日はお嬢さんの見学ってことですから、一通りご案内しますよ。自分たちが解決できないことでも、お嬢だったら何かいいアイデアが浮かぶかもしれません。――いいから、お前は座ってろ」

 言葉の後半は、いつでも立ち上がれるようスタンバってたテディに向けたものだ。 頬を膨らませるテディから松葉杖を取り上げて、篠原は強引に少年を座らせる。

「えーっ? いいじゃないですか、一緒に行かせてくださいよーっ!」

「ああもう。なるべく早く切り上げてくるから、大人しく待ってろ」

 絡みつくように両手を振り回すテディをやんわりと押し返して、篠原はようやく背を向けた。

「……なんだか、ラブい感じですね」

「ラブいって何がっスか?」

「やだもう、篠原さんとテディくんに決まって――」

 お嬢と三ツ江の会話に、篠原は気付いていない。二人の内緒話をかき消すようにテディは大声で不満を訴え、篠原はそれを無視して工房の扉を開く。

 吹き込んでくるのは秋の、乾いた風だ。炉の熱気に当てられた肌から汗がさっと引いて、途端にお嬢は寒さを覚えた。

「――――」

 季節が、変わったからだろうか。

 世界の違いというものを、今さらながらに思い知る。

 お嬢が元の世界で暮らしていた場所は、太平洋を望む海沿いの田舎町だった。夏場には磯の匂いが混じる湿った空気が煩わしく、秋から冬にかけて、冷たく乾いた風は肌を裂き唇を割る。

 同じ秋でも――土地柄というものだろう。アルカトルテリアに吹く風は、決して痛くはない。感触は産毛をなぞるようで、肌が引きつるような不快感もなかった。

 ただ。

 ささやかな違和感に、お嬢はいまさら、一つの疑問を思い出す。

「……あの。篠原さんは、この世界のことをどう思ってるんですか?」

 眉間にしわを寄せたいつも通りの仏頂面で、篠原は振り向いた。

 無理もない。口にしてから恥ずかしくなるくらい、曖昧な質問だ。慌ててお嬢は補足する。

「えっと、ほら。こんな訳の分からないことに巻き込まれても、組員の皆さんは普通っていうか……慌ててないじゃないですか。そのへんどう考えてるのかなーって」

「最初は自分らも慌てましたけどね」

 篠原は考えあぐねるように顎を撫でて、やがてゆっくりと語り始める。

「正直、さっぱりで。いきなり異世界だの転移だのと言われても、呑み込めるヤツは――」何故だかそっと視線を逸らして、「いないでしょう」

「今誰のこと考えました?」

 お嬢のツッコミに立場上答えられず、無視したまま話を続ける。

「伏見の兄貴が上手いこと立ち回ってくれたおかげで、ひとまず暮らしてける目途が立ちました。そりゃ元の世界に比べりゃ不便でめんどくさい、わけの分からん世界ですが――正直言えばね。これが、だんだん楽しくなってきたんですよ」

「楽しく、ですか?」

「ええ。バイクや車を触るのは好きでしたが、日本に居たころは『車を自分で作ろう』なんてこと、考えもしなかった。当たり前です。自分が作らなくても、他の人間がもっと上手に、安く、大量に作ってんですから。けど、こっちでは自分が一から作らなきゃいけねぇ。その面倒臭さに、なんだかハマっちまって」

 篠原が語ったのは、元の世界――日本に漂っていた閉塞感についてのものだった。

 現代の日本は間違いなく、完成された社会である。

 技術、知識、物質面において日本は間違いなく満たされていた。他の先進国も同じだろう。素晴らしく便利な道具、機械がいくらでも手に入り、食事は安価で美味く、思い描いた疑問はインターネットで簡単に答えが出る。

 だから、余地に乏しい。

 技術の発展とは、まっさらな雪道に足跡を残すようなものだ。最初の一人が一歩を踏み出し、続く者どもが雪を踏み固めて道を作る。

 降雪によって足跡が消えることもあれば、根雪となって残ることもあっただろう。

 そして現代の『僕ら』には、さんざ踏み荒らされてぬかるみになった泥の荒野だけが残された。

 新雪に足跡を残したいのなら、自らの靴底を擦り減らし、ぬかるみを越えて遥か彼方へと向かうしかない。

 人の一生では到底学びきれぬ分化された学問から、何が必要かも分からない知識を選びとり、莫大な富と時間を浪費して、ようやく叶うかどうか。

 そんな人生を選ぶことは、誰にとっても難しい。

 特に、篠原の好む車やバイクなどの工業分野において、個人や新法人が市場に食い込むことなど望むべくもないだろう。

「こっちの世界じゃ、まだ誰もやってないよ うな仕事が山ほどあります。それが楽しいんですよ。それに――仕事の他にも、やりたいことが見つかりまして」

 篠原の視線は、テディが待つ工房の扉へと向かっていた。

 はにかむように頭をかいて、両の目を細める。

「うちで雇ってるガキども、いるじゃないですか。浮浪児だから手癖悪ぃし、躾も面倒で仕方ねぇんですが……なんか、いいなって。こんなふうにガキどもを育てながら、毎日あくせく働く暮らしってのも」

「ほほーう?」

「……お嬢、どうかしましたんスか?」

 篠原の述懐を聞き終えて、お嬢はらんらんとその両目を輝かせていた。

 歩き始めた篠原に駆け寄って、その横顔を覗き込む。

「もしかしてテディ君の影響だったりします?」

「……まぁ、否定はしません。我ながら気が早いとは思うんですが……いずれは所帯を持てたらいいな、と」

「ほほーう!」

「それどんなテンションっスかお嬢」

 ニマニマと表情を緩ませるお嬢の視線に晒されて、篠原はいよいよ照れくさそうに笑みを浮かべる。

「ま、まぁなんにせよ先の話です。相手もいないのに所帯だのなんだのと話すのも馬鹿みたいですから」

 うん?

「え、あれ、テディ君の話は……?」

「はい? いや、嫁さんを貰って身寄りのないガキどもを養子に迎えるって話ですけど」

 非常に、残念なことに。

 ああまであからさまなテディの好意に、篠原は気付いていないらしかった。

 つくづくダメ人間しかいないなこの組。

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