094話.ヤクザ、口を噤む
「……こっちの世界じゃ出来ない仕事……シノギばっかりなんですね……」
「そうなんスよねぇー」
駒田の話が終わって、ふと沈黙が訪れる。
途端に気になるのが、馬車の振動と、それに伴う居心地の悪さだ。伏見らが乗っていたアクィール商会の馬車とはランクがまるで違う。木製の車輪が小石に乗り上げるたびに客車は跳ね上がり、揺れは余韻となって長く残る。
乗り物に弱い人間ならば確実に気分が悪くなるような乗り心地だった。
「……この馬車、外れでしたね」
「所詮借り物っスからー。体調悪くなったらいつでも言って下さい。無理しちゃダメっスよ?」
路面状況が悪いとはいえ、大した速度は出ていない。お嬢の体感としてはママチャリをのんびり漕いでいるくらいの速さだ。にも関わらずこれだけ揺れているのは、馬車自体の性能が低いせいだろう。
三ツ江らが乗っている馬車は懸架式――縄で座席を吊るして、衝撃を和らげるタイプのものだ。
対して、アクィール商会が客人を迎える際に使用しているのは板バネ式。車体と車軸の間に設けられた何枚もの板バネが衝撃を和らげ、揺れを緩和する最新式である。
アルカトルテリアでは製造できず、外部からの輸入に頼っているため普及もままならない。
技術的な問題点の解決、および量産体制の確立には数年、数十年の時間が必要だろう。
それまでは、乗り心地最悪な旧式の馬車で我慢するしかない。
「あっ、だったら私たちで馬車を改造したらいいじゃないですか! 絶対儲かりますよ!」
「……やー、そのシノギはもう篠原が手ぇ付けてるんスよ」
がたん、と馬車が揺れた。
小石か何かに乗り上げたのだろう。路地を抜けて、二人を乗せた馬車がアクィールの大通りへと入る。
木窓の隙間から、三ツ江は多くの馬車が行き交う異世界の光景を覗き見た。
「上手くいけばいいんスけどねー……」
千明組の屋敷から馬車で二十分。
畑のようにだだっ広い黒土の広場と、それを取り囲む多種多様な施設群。
そこが、千明組及びアクィール商会の出資する新技術試験場だった。
「相っ変わらずうるさい所っスねぇ……」
片耳を押さえつつ、三ツ江は馬車を降りる。
試験場に入る前から、辺りは独特の喧騒に包まれていた。行き交う職人らは皆一様に胴間声でがなり立て、そこかしこから槌や鑿の音が鳴り響く。いくつもの炉に火が入り、煙突は黒煙を吐き出して、試験場の盛況ぶりを物語っていた。
「お嬢、足元には気ぃつけてくださいね。この辺どうも足場悪ぃっスから」
「……そんな風に気を使わなくてもいいですよ? これくらいなら、別に」
差し伸べられた三ツ江の手をやんわり断って、お嬢は一人、馬車から飛び降りる。勢いあまって一歩二歩と前に進み、息をついたあと、なんとか体勢を整えて辺りを見渡した。
「新技術試験場……っていうわりには、あんまりこそこそしてないんですね」
そら豆のような形の敷居を囲んでいるのは何の変哲もない畦道や農道だ。農民から土地ごと買い上げた建物を形式上の受付兼事務所として構えてはいるが、警備員すらいないので意味がない。誰がいつ出入りしようがご自由に、という有様である。
アルカトルテリアの神域内である以上窃盗の危険性はないとはいえ、あまりにも無防備だ。元の世界から持ち込んだ技術を実用レベルにまで引き上げても、こんな状態ではぶらり散歩気分で盗まれてしまうに違いない。
「まーここはいいんスよコレで。ホントに大事なもんは屋内でやってますし、よそもんがこそこそなんかやってたら怪しまれるっスから」
慣れた様子で、三ツ江はお嬢を事務所へと案内する。
ひび割れたレンガ造りの、広々とした二階建て。よほど古い物なのだろう、表面は蔓草に覆われて、補修や鳥の巣の痕跡がそこかしこに見受けられた。
軋む扉をくぐった先に置かれているのは、不釣り合いに重厚な樫のカウンター。技術試験場に集められた職人が持ち込んだものだろう。見慣れない花を幾何学模様に落とし込んだ美麗な彫刻に指を這わせ、受付の少年は退屈そうに頬杖を突いている。
「テディ。今日は留守番?」
声を掛けられて、少年は居眠りがばれたときのように慌てふためいた。
ふんわりとウェーブのかかった白髪交じりの黒髪に華奢な身体。濃い蜂蜜色の肌は、元の世界であれば中東やインドの血統を連想させるだろう。
大人に片足を踏み込んで、もう一歩を踏み出せずにいる。そんな年頃の少年だった。
「……いやぁ。ボクばっかり連れ歩いてると、他のヤツらに文句言われるんですよ。だから今日は雑用です」
「慌ててたのは?」
「親方の上司にはなるべくいい顔したいですから!」
屈託のない笑みとあけすけな言い方に、三ツ江は毒気を抜かれる。
自分の特徴から三ツ江の性格まで、きっちり計算された振る舞いだ。あざといと言うには少々たくましすぎる。
概して、愛想のよい若年者に対し強権的に振る舞うことは難しいものだ。その若年者が見目麗しければ尚更に。
「その親方に会いに来たんだけど。今どこにいるかって分かるかな?」
「今でしたら」
テディはちらりと卓上の時計に視線を流し、少年にとっては見慣れないはずのアラビア数字を一瞬で把握して口を開く。
「ちょうど、二フラーさんとこのテストに立ち会ってるはずですね。ご案内します!」
両手を机について、テディがこちらへと回り込んでくる。その隙にお嬢は三ツ江の耳元へと顔を寄せた。
「三ツ江さん、この子は?」
「ヴィールカって子いたじゃないっスか。ホラ、あの道端で物乞いやってた子。テディはその伝手でウチに来たんスよ」
「ああ、ヴィールカちゃんの……」
この都市にやってきてすぐの出来事だ。お嬢にとっても印象深い。両脚のない哀れな子供――を、演じていたヴィールカの一件だ。彼女は今、千明組の所有するキャバクラで雑用として働いている。女の子ばかりだったという物乞いのグループは、今、千明組に雇われて、
「あれ、じゃあテディ君は……」
テディの見た目から、お嬢は性別を取り違えていたのだろう。子どもの頃なら別に珍しい話でもない。振り返り、やってきたテディの姿を見て――どうしようもなく、お嬢は言葉を失った。
足が、ない。
裾を短く縛ったミュセの下から、膝丈のハーフパンツが覗いている。その片側、右太ももの半ばから先がないのだ。事故か病気、それとも生まれつきのものだろうか。
見ず知らずの他人にとっては、尋ねることすら憚られる傷跡。
篠原が用意したものなのだろう、松葉杖を両脇に抱え、テディは苦もなく事務所の中を歩いていく。観音開きの扉をそっと押し開けて、お嬢へといたずらっぽく笑みを向けた。
「どうぞこちらへ。ちょっぴり遅いかもしれませんけど、どうか我慢して下さいねー」




