092話.ヤクザ、働いてた
「んじゃ、後のことは頼むな。明日中には帰るから」
「うぃっす」
「なんかあれば村の方に使いを寄越してくれ。あああと、商人連中が話を持ち掛けてきたら……」
細々とした注意事項を言い連ねて、ようやく伏見は馬車に乗り込んだ。
見送りの三ツ江とお嬢は兄貴分が乗り込んだ馬車が通りの向こうに消えるまで頭を下げ続け、やがてゆっくりと顔を上げる。
「さて、次は自分らの番なんスけど……どうしたもんスかねぇ」
「みなさんの仕事場を案内してくれるんじゃ?」
「そりゃ、そうなんスけどー」
いまいち気乗りしない様子で、三ツ江が踵を返す。
向かう先は屋敷の玄関だ。出かけるにしてもそれなりの準備が必要になる。この異世界にやってきてから半月を過ぎたけれど、慣れたとは到底言えない。
「三ツ江さん三ツ江さん、何か必要なものありますかー?」
「んー。ハンカチ、ティッシュ、スタンガン。あ、あと筆記用具なんかも」
「……仕事場を巡るだけですよね?」
応えないまま、三ツ江は靴を脱ぎ、玄関に上がって靴を整える。
かがんで低くなった三ツ江の顔を、お嬢は横からそっと覗き込んだ。
「……三ツ江さん、怒ってます?」
「や、別に怒ってるわけじゃ……」
ないっスけど、と視線を逸らす三ツ江に、お嬢はずずいと顔を寄せる。
「じゃあなんなんですかー? さっきから、目も合わせてくれないですよね」
「あのお嬢、近い、近いっス」
顔を逸らしつつ、三ツ江はお嬢の肩をやんわりと押し返した。その場で胡坐をかいて、やがて観念したように天井を見上げる。
かつてシーリングライトが吊るされていた天井は、余計なものを全て取り外され、その名残であるケーブルだけがかすかに揺れていた。
「……まぁ、その。正直に言えば、まだ納得はしてねぇっスよ。でも別に怒ってたわけじゃなくて……。考えてたんス。ウチの仕事場を案内するだけでいいのかって」
伏見からは、お嬢を案内しろとだけ命令されていた。けれど多分、それだけでは足りないのだ。
どこから語るべきか、三ツ江は考え込んだ末に口を開く。
「多分、お嬢は勘違いをしてると思うんスよ。親父と盃交わしてヤクザになって、あとはヤクザとしての仕事をすればいいって」
「……違うんですか?」
「いやま、仕事を紹介してもらえることはあるんスけど……。それだけじゃなくて、ヤクザになったらまず、上納金とられるんスよ」
「お金取られるんですか!?」
取られるのである。
そうした集金システムは、日本のヤクザでは当たり前のことだ。末端も直参もその点においては変わらない。ヤクザとしての肩書きと組のバックアップを引き換えに、組員は所属する組へ上納金を納めなければならないのだ。
「今はまだこっちに来たばっかなんで、兄貴も上納金の件は保留してます。でもいずれは、お嬢も上納金収めなきゃならねぇんスよ」
組長の血を引くお嬢であれば、厳しく取り立てられることはないだろう。仕事だって融通して貰えるし、本人さえ望めば足抜けだって許されるに違いない。
けれど、それではダメだ。
少なくとも、三ツ江はそう考えていた。
「別に、最初っからお嬢がばりばり稼げるなんて思っちゃいません。兄貴はもちろん、組の連中は全力でサポートしてくれます。ですから、お嬢。仕事場を見学するときに、自分だったらどんな商売をやるかってことを考えちゃ貰えませんか」
「――はい」
頷きながら、お嬢は三ツ江をじっと見つめる。
まだ千明組が日本にあったとき、女子高生の売春を取り仕切っているという理由でお嬢の面倒を見るよう組長に頼まれた。三ツ江はそんな男だ。
性格はチャラくて軽く、割といい加減。
歳の近い三ツ江は、お嬢にとって丁度よい話し相手だった。
組長の娘である自分を前に物怖じなく、気軽に話しかけてくれる。行動の端々に同世代の男子とは違う心遣いを感じ、一方で大人にありがちな説教や小言は決して言わない。楽しくお話しているだけならば、三ツ江はきっと理想の相手だろう。
だから、組入りに反対されたときはびっくりしてしまった。
いつもの調子で、軽く背中を押してくれると思っていたのだ。けれど実際には、面倒見のいい伏見や実の親である組長よりも真剣に、三ツ江が反対してくれた。
今だってそうだ。
三ツ江らしくもなく、伏見の命令以上のことを考えてくれている。
そのことに気付くと、ほんの少し、頬が熱を持った。
「んで、今からうちの仕事場を巡るわけっスけど。お嬢はどのくらい把握してます?」
「さすがにそれくらいは……。こことさくら、それに村の方の試験農場と、篠原さんや向山さんの所……ですよね」
「あとはまぁ、アクィールさんとこの研究会。あそこはウチの管轄って訳じゃねぇっスけど、外部協力って形でちょいちょい呼ばれてるんスよ」
指折り数えるお嬢に三ツ江が補足する。
随分手広く商売を広げたものだ。組の人手不足もそのせいだろう。とはいえ、致し方ない面もある。
伏見ら千明組の面々は、現代の知識を元に第一次産業、第二次産業に手を出しているのだ。組員らにはそれぞれ得意分野があり、その知識を存分に振るっているけれど、決してその道のプロ、専門家というわけではない。
米の栽培一つとっても、千明組だけでは収穫にこぎつけることは出来ないだろう。実際に田を起こし、稲を植え、水や栄養分の管理をする農民らの協力が不可欠である。
知識はあっても、技術はない。それが千明組の現状だ。
なので、
「基本、どの仕事場でも俺らの立場はお、おぶざーばー? みたいな感じっス。俺らがアイデア出して、こっちの連中が試行錯誤、詰まったらこっちがまたアイデア出しての繰り返しっスよ」
「なんだか、割と地味ですね……」
「仕事なんてそんなもんっス。相手側から頼まれて知識を売ることもあれば、逆にこっちが金出して人を雇うケースもあったりして。形式はその場で適当に繕ってく感じっスね」
各所の運営は、概ね担当の組員に任されている。
それぞれ得意分野が違えば、当然、付き合う相手も違う。商人は商人の、職人は職人の、学者は学者の気風があり、彼らに合わせて柔軟に運営していくべきだろう――というのが、伏見の方針だった。
丸投げ、とも言う。
「伏見さんと三ツ江さんはどんなお仕事を?」
「んー、兄貴は全体の統括と管理、それに交渉事なんかも。デカい仕事や困りごとは全部兄貴の方に回ってくる仕組みになってるんで、毎日四苦八苦してるみたいっスよ? 自分はまぁ、さくらの方の運営と兄貴の手伝いやってるだけなんで楽させて貰ってます」
そうは言うけれど、各所との連絡やスケジュールの調整を行う三ツ江も実に多忙な毎日を送っている。肉体労働や荒事に呼ばれることもあり、また伏見に付き従って交渉の場にも顔を出す。その上で朝の水汲みや料理の下ごしらえなどもこなしているわけだ。
この異世界にやってきて以来、休み知らず。
伏見と並んで、千明組で最も忙しい男である。
「……あれ」
そこまで話して、お嬢はふと気付いた。
伏見、三ツ江の指揮の元、篠原と向山は外部の仕事場で働いている。組長はトルタス村にて試験農場を管理し、山喜やトシエさん、それに八房は各所の手伝いに奔走している。先日までは部外者だったお嬢ですら、毎日を遊んですごしていたわけではないのだ。
だとすると、一人が余っていることになる。
「そういえば、駒田さんは何を?」
「あいつは自宅警備員っスよ?」
「自宅警備員」




