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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
鏡面相克都市・ファウラ=ラド 上
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090話.ヤクザの食卓2

 納豆。

 言わずと知れた、日本の代表的発酵食品である。

 製造は決して難しくない。柔らかく煮た大豆を稲わらで包み、暖かな場所で一日か二日、発酵させれば完成だ。

 とはいえ――こちらで作る際には、それなりの試行錯誤があったりする。

 納豆菌の繁殖には温かく風通しの良い環境が不可欠だった。そのため専用の室を建て、稲わらの代わりに麦わらを使って失敗し、結局は冷蔵庫に残っていたパックの納豆、金の〇ぶから菌を移す形でようやく製造にこぎつけた。

 元の世界で改良されたにおいの少ない納豆菌は、当然こちらの世界では手に入らない。これもまた千明組の貴重な財産である。

「これは……どうやって食べれば」

「こう、粘りが出るまでかき混ぜるんだ。その後に醤油をちょっと垂らして」

 受け取った箸で納豆を練るファティを、伏見は背後から見守る。

「……なんだろうな、この落ち着かねぇ感覚は……」

 割とハラハラする。

 日本でも納豆は好悪のはっきり分かれる食べ物だ。現代の流通事情により全国で食べられてはいるけれど、千明組のあった三重県、関西圏では嫌う人も多い。

 ましてや、ファティは外国人どころか異世界人である。ハードルが高すぎるのではないだろうか。

 よく混ぜてふんわりとしたひきわりの納豆を、ファティがスプーンですくいあげる。引いた糸を箸で絡めとり、緊張の張り付いた面持ちのまま、納豆を口へと運んだ。

 薔薇色の唇に、白い糸が一筋、垂れる。

 二度、三度と咀嚼し、目を白黒させながら、意を決して飲み込んだ。

「これは……当商会では扱いかねます」

「ああ、うん、なんかごめん」

 精一杯、気を使った感想だった。

 納豆は安価かつ栄養価の高い食べ物である。蛋白質はもちろん、ビタミンやミネラルも豊富で、また免疫力増強、ホルモンバランス正常化、抗菌殺菌、決戦予防など様々な健康効果が証明されているのだ。

 悪いのは味と見た目と食感だけである。

 いや、そこは個々人の好みによる部分が大ではあるけれど。

「伏見さんたちは、こんなものを毎日食べてるんですか?」

「実は俺も食べれねぇんだ、納豆」

 ファティの目が、恨みがましく伏見を見上げた。

「いやぁ、まさか真っ先に納豆を選ぶとは思わなくてだな」

「……だって、出されたものをいただかないのは失礼じゃないですか。うちは沢山の地方を回る移動都市ですから、よその食べ物を振る舞われるのはよくあることで……」

 だからまず、一番危なそうなものから食べるんですとファティは語る。

「最初さえ我慢すれば、あとは全部美味しくいただけるんですよ」

 配膳された豚汁に口をつけて、ほっと息を吐いた。

「ん、このスープはなかなか……。ちょっと変わった風味がしますけど、おなかの中からあったまりますねー」

「そりゃなにより。さっきの納豆も、そうやって食うと気にならないだろ?」

「え」

 あっけにとられた表情で、ファティはお椀と伏見の顔を交互に眺める。あの奇妙な豆料理がスープの中に入っているとはとても思わなかったのだろう、スプーンで豚汁の具をさらい始めた。

「探しても見つからねぇよ。全部磨り潰してあるから」

 納豆汁、である。

 元は郷土料理だが、最近ではインスタントの商品もあるため知名度は高いだろう。江戸時代から明治にかけて、納豆汁はごくありふれた納豆の食べ方だった。

 日本食の要は出汁、旨味にこそある。鰹節に煮干し、昆布、干し椎茸。けれど、そうした食材はもう手に入らない。

 アルカトルテリアの通商路は海洋都市も巡るため、今後に期待したいところだが――再現には時間が必要だろう。

 伏見が納豆を作らせたのは、少しでもそういった日本の味を再現するためだった。

 もう一度豚汁に口をつけ、ファティは慎重に、その商品価値を吟味する。

「ん、んー。珍品好きの方には売れるかもしれませんけど……」

「商品として売るならもうちっと時間が欲しい所だなァ。生モノだから日持ちがしねぇし、乾燥させて売るにも製法が確立出来てねぇ」

「あ、じゃあコレとかどうっスか!」

 横から、三ツ江がサラダを差し出した。

 食料自給率の極めて低いアルカトルテリアにおいて、生野菜は比較的高価な食材だ。冷蔵庫が存在しないため鮮度の維持も難しく、状態の良いものは市の直後でなければいくら金を積んでも手に入らない。

「伏見さんたちは、朝からこんなに贅沢なものを?」

「ま、久しぶりに全員揃った朝食なんでな」

「……それに、このクリームは……」

 不審気に、ファティはサラダへフォークを突き刺した。

 サラダに絡められているのは異世界モノにおける定番中の定番、マヨネーズだ。主な材料は油に卵黄、そして酢。わりと定番すぎて、今さら登場させるには少々躊躇してしまうアレである。

 匂いを確かめ、眉根に皺を寄せつつ、ファティは口元にサラダを運ぶ。

「うん? んー」サラダを呑み込んだあと、首を傾げ「……なんだか、変な味ですね?」

「……兄貴、なんか期待してたリアクションと違うんスけど」

 取り立てて不味くはないが、決して美味くもない。そんな反応だ。後味が残っているのか、口の中で舌を動かしながら、ファティは何度も首を捻る。

「ま、予想どおりっちゃ予想通りだなァ」

 むしろ、納豆が受け入れられたのが不思議なのだ。

 昨今は海外で日本食が受け入れられているため誤解されがちだが、人の味覚はそもそも保守的なものである。普及するには十年単位の時間を要する。

 刺身や寿司は言わずもがな、醤油には独特の匂いがあり、卵の生食など命知らずのやることだろう。

「大体、日本のマヨネーズが美味い、なんてのが思い上がりだろ。確かに美味いが、ありゃあキユー〇ーさんの企業努力っつーもんだ。新鮮な卵に良質のサラダ油、日本人の味覚に合わせた米酢と多種多様なスパイスに添加物があって初めてあの味が出せるわけであってだな……」

「……兄貴はキユー〇ーに金でも積まれたんスか?」

 金を積まれたかどうかはともかくとして。

 予想通りではあったけれど、いささか残念そうに、伏見はまとめる。

「俺ら別に料理人でもなんでもねぇしなァ。やっぱ、日本の料理で一儲け、っつうわけにはいかねぇか」

「……じゃあなんで私はここにいるんですかね……」

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