087話.ヤクザ、異世界を語る
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「アイドルをプロデュースしてぇ……」
「うわ、起き抜けからそれとかマジすか兄貴」
千明組の敷地内に存在する別邸――かつて住み込みの若衆らが暮らしていたその場所に、千明組若頭、伏見の私室はあった。
板間、畳合わせて十畳ほどの和室だ。右手側の壁には洋箪笥と小難しい書籍のならぶ書架が並び、畳の上にはちゃぶ台と座椅子、そして布団が敷かれている。
枕元にしゃがみ込む弟分を眠そうに睨み、伏見はのそりと身体を起こした。
「あー……今何時だ」
「朝っスよ。もうすぐメシの準備出来るんで起こしに来やした」
「ああ、うん……」
伏見にしては珍しく、長い間眠り込んでいたらしい。ぼんやりとした頭のまま、伏見は昨日の出来事をゆっくり追いかけていく。
「昨日は確か、イミュシオン追っ払って……」
「トルタス村とエルメの村の編入手続きを終わらせて、その後はずっとここで寝てたんスよ。腹減ってねぇっスか?」
「減ってる……」
枕元に置いたケースから金縁のサングラスを取って、伏見は布団から抜け出す。下に着ているのはワイシャツとトランクスだけで、寝すぎたせいか節々が固くなっていた。
風呂にも入っていないので、身体がベタついてどうにも不快だ。
「庭の方にシャワーの準備してあります。着替えとタオルも脱衣場に用意してあるんで」
「……気ぃ利きすぎて気持ち悪いなお前……」
「ひどくないっスか兄貴」
さっきまで炊事場にいたのであろう、エプロン姿の舎弟が文句を垂れた。
契約商業都市・アルカトルテリアは、祭祀門から続く四つの大道を基礎に成り立っている。
大道の交点となる湖には無数の鐘を吊るした象牙の塔が突き立ち、周囲には祭祀会に属する商人らの店や屋敷が立ち並ぶ。
物資に乏しいアルカトルテリアにおいて、石材や木材は高級品、一種のステータスだ。庭に樹木があるか、石材や木材をどれだけ使っているかなどである程度の財力を推し量ることが出来る。
中心部や大道の周辺には石造りの家屋、商店が立ち並ぶ一方で、多くの人々は土壁の粗末な建物で暮らしていた。彼らが住まう一帯はミルカセと呼ばれる未開発地区だ。そこから先には刈り取られたばかりの麦畑がえんえんと続いていた。
伏見の企みによって、トルタス村とエルメの村はアルカトルテリアの外縁部に編入されている。アルカトルテリアの神である白蛇が巨大な都市圏をまるごと取り囲み、その向こうには地面も何もない。
空中を移動しているのだ。眼下には荒涼とした荒れ地が広がり、剥き出しの地盤を四柱の象が支えている。
その質量を以て大気を捻じ伏せ、雲を裂きながら、アルカトルテリアは行商路を進み続けていた。
伏見が暮らしていた元の世界――日本であれば、有り得ざる情景。
物理法則に唾を吐くがごときその都市に、千明組の屋敷は確かに存在していた。
「ちゅうわけで、この世界にいる人間は全員、俺らみたいに転移してきた連中の子孫なんじゃないかと」
昨日までに得られた情報をそうまとめて、伏見は味噌汁をすする。
早朝、久しぶりに組員全てが揃った食卓だ。床の間を背にする上座には組長が座り、左手には山喜、トシエさん、八房が、右手には伏見を筆頭に組員がずらりと並ぶ。
卓上には和食に見えなくもない様々な料理が大小の皿に盛りつけられて、組長らは思い思いに箸を伸ばしていた。
「……連中の正体が分かったのはいいとしてだ。そりゃつまり、どういうことなんだい」
魚の焼き物をほぐしつつ、組長は疑問を口にする。
「まず、連中は生物学的に俺らと同じ人間だってことになります。繁殖も問題なく出来るでしょう。んでもって――おそらく、この世界と元の世界は幾度となく繋がってきました。俺らが経験した、転移という形で」
そこまでは、分かっている。
証拠の一つは古アウロクフトの存在だ。千年前、彼らは突如としてこの世界に現れ、その技術を用いて周辺の都市を併合、一時の栄華を享受した。
着目すべきは二点。まず、彼らは産業革命以降の時代から転移した。そして、彼らが転移した時点でこの世界には人が存在していたのだ。
「転移がどれくらいの規模、頻度で発生しているのかは分かりかねますが、少なくとも、人間が絶滅しない程度の個体数を保ってきたんでしょう」
「絶滅ってのは、穏やかじゃねぇなぁ……」
菜の花に似たなにがしかのお浸しを箸で摘まみ、山喜が口を挟む。
「なんつーか、そう、動物園を思い浮かべて貰えれば分かりやすいですかね。雄と雌が居れば交配は出来ますが、新しい個体を入れないと近親交配が続いて繁殖力が低下したり病気に弱くなったりする訳です。ところが、アルカトルテリアの連中にはそれがない」
契約商業都市、アルカトルテリアは複数の都市が寄り集まって成立した都市だ。それはつまり何種もの転移者の血が混じり合っていることを意味する。
「こっから先は推測になりやすが、種を維持出来るほどの大人数が大昔にこの世界へとやってきたんでしょう。一度にまとめてか、それとも少人数の転移が連続したのかは分かりませんが……」
「……伏見よう。いや、よくもまぁんなことまで考えるもんだよ。ただな、どうもついていけねぇ。結論だけ教えてくれや。俺らは日本に帰れるのか?」
「それは……すいやせん。まだ、なんとも」
答えあぐねる。
本格的な調査はこれからだ。シドレには写本の目録作りを頼んではいるけれど、調べたところで帰還の方法が書いてあるかは分からない。
「こっちの世界に飛ばされたとき何があったのかすら分からねぇんです。なんかこう、GATE的な場所を通ったって言うんなら話は早いんですけども」
「……うん? 今おめぇ、ゲートの発音が……」
「GATEです。……そういう勝手口さえ見つかっちまえば実に都合がいいんですが……」
組長と伏見との間には、決定的な差異がある。
どうやら、組長は元の世界に未練があるらしい。伏見とて帰還方法に興味がないわけではないが、組長とは視点が異なるのだ。
日本に帰る。それはいい。伏見だってそろそろジャンプの連載の続きが気になってきた頃合いだ。
しかし、千明組の利益を最大化するのであれば――転移の秘密、方法を確保して伏見らだけが独占する。そのような状況が最も好ましい。
――皮算用もそこそこにして、伏見は茶碗を手に取った。卵黄の味噌漬けを箸先で摘まみ上げ、湯気の立つ白米の上に載せる。
「ともあれ、方針はこれまでとそう変わりありません。事業を進めつつこの世界の情報を収集する。何にしても、まずは生きなきゃお話になりませんから」
組長らの会話に箸を止めていた組員らが、伏見の言葉をきっかけに食事を再開した。
身内とはいえ目上は目上だ。取り立てて禁じられているわけでもないが、遠慮して箸を置いていたらしい。一斉に箸を取り、茶碗を構えて、
「……あの。すいません、ちょっといいですか?」
そんなタイミングで口を開いたのは、つい昨日、盃を交わし直参となった組長の娘だった。
箸を構えたまま、組員は再び動けなくなる。
「お嬢、なんかありやした?」
声を掛ける三ツ江を、お嬢は一瞬、不満げに眺めてから手を挙げた。
「ちょっとした疑問なんですけど。……みなさん、こっちに来てからヤクザっぽいことあんまりしてなくないですか?」




