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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
衰退森林都市・アウロクフト
83/130

082話.ヤクザになって。

 板張りの廊下には組員が勢ぞろいしていた。

 手前から八房、向山、駒田、篠原。さすがに和服ではないけれど、きっちりスーツを着こなして廊下の端に控えている。

 一人ひとりにお辞儀をして、お嬢は広間へと向かった。

 襖の前に正座し、左手で襖を引く。出来た隙間に手のひらを差し入れ、自身の正面まで開き、右手でさらに押し開いた。

「失礼いたします」

 なかなかどうして堂に入った振る舞いだ。母親の教育がうかがえる。

 広間に入り、馴染んだ所作で襖を閉め、上座に向かい頭を下げた。

「八代菜月、参りました」

「そないに肩肘張らんでええ。こっち来ぃ」

 身内の親しみやすさを意識してのことだろう、組長は強めの方言で言う。

 盃を交わす前に、二人きりで話したい。それが組長の希望だった。一度立って、お嬢は父親の前に座りなおす。

 ――考えてみれば、こんな風に父と話すのは初めてだ。

 進路の相談も、お小遣いの値上げ交渉だって、話す相手はいつも母だった。

 物心ついた頃からそう。禁止こそされていなかったけれど、父に会いたいと願うたびに、母はその表情を曇らせるのだ。

 父は悪い人で、だから会えない。そう言い聞かされて育った。会えるのは一年に二度か三度、それも正月やお盆ではなく、外食の際に同席するだけ。子供心に、ひどく寂しかったことを覚えている。

 中学に上がってからは一人で会いに行けるようにもなったけれど、母はいい顔をしなかった。

 当然といえば当然だろう。

 父親はヤクザで、無法者で、有体に言えば犯罪者だ。娘を近づけさせたくないという心理はお嬢にだって理解出来る。

 意識してしまうと、途端に緊張してしまった。

 父の眼光は鋭く、表情は厳めしい。何を言っていいのか、分からなくなる。

「……緊張するのも無理ないわな。そらそうや、盃を交わそうって時に緊張せん人間なんて……」ふと、組長の脳裏に、盃式にてなんの緊張も見せなかった某三ツ江の顔が浮かび「……緊張せん人間なんておらんしな」

 言葉を結びながら、そっと視線を逸らした。

 居心地が悪いのは組長も同じだ。

 父親らしいことなどなにもしてやれなかった。そんな自分が娘に説教を垂れる資格などあるのか――答えなど出るはずもなく、けれど、組長は口を開く。

「組に入って、ヤクザになる言うんがどういうことなんか、ちゃんと分かっとるんか? 今止めるやったら誰も怒らへん。ほんまに、ちゃんと考えたんか?」

「……その話は、三ツ江さんともしました」

 膝に置かれたお嬢の手が、ぐっと握りしめられる。

 唇を引き結び、顔を上げて、眼差しはまっすぐに父親を見返していた。

「もう、決めたんです。ヤクザのことはこれから勉強します。私にできることなんて何もないかもしれないけど……お父さん、私を、この組に入れて下さい」

 静かに、両手をついて頭を伏せる。土下座じゃない。座礼の最敬礼だ。そのままの姿勢で、お嬢は組長の言葉を待つ。

「……やめろ言うても、聞かへんのやろなぁ。成果を挙げたもんを無下にも出来ん」

「おとう……」

「でもな」

 顔を上げたお嬢の前には、険しい表情の父が居た。

 手に持っていた扇子を畳み、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえる。

「ヤクザになるゆうんなら、菜月、お前はもう俺の娘やない。勘当や」

 千明組組長としては受け入れざるを得ない。そして同時に、父親として、娘がヤクザになるなんていうことを許すわけにはいかなかった。

「俺と美冬――お前の母さんは結婚しとらへん。なんでってそら、言うまでもないわな。お前を、ヤクザなんて危ないもんに関わらせんためや。こんなよう分からん世界に飛ばされてしもうて、お前が組に入りたい言うんも分かる。けど、ケジメはきちんとせにゃならん」

 まだ痛む腰をかばいながら、組長はゆっくりと立ち上がる。娘の前に立ち、膝をついて。

「菜月、お前は今日より俺の娘でもなんでもねぇ。赤の他人だ」

「……はい」

「んでもって、だ」

 重苦しかった口調をがらりと変えて、組長は唇の端を吊り上げる。

「盃を受けるってんなら、お前は俺の子供だ。依怙贔屓は一切しねぇ、兄さんらの言うことをよく聞いて、イロハから教えてもらえ」

「――――」

 急に緊張から解放されて、お嬢の口がぽかんと開いた。

 結い上げた髪を崩さないよう、組長は娘の頭にそっと手を置いて発破をかける。

「ほら、どうした。うちの連中が廊下で待ってんだ、とっとと呼びに行ってこい」

「――はいっ!」

 駆け出していく娘を見送って、組長は広間の障子に手をかけた。

 開いた先にあるのは、異世界とて何も変わらぬ秋の空。そこに、組長は美冬の――日本に残してきた恋人の顔を浮かべる。

 最後に会ったのは、確か――娘が修学旅行で留守にしている隙に、二人で〇ィズニーシーへ行った時だったか。

「……いや、違うな。そのあと〇スパーニャも行ったし……ああいや、確か五月に〇ばなの里で……」

 思いのほか会っていたので、「最後の思い出」から「数々の思い出」へと頭の中身をシフトさせる。空に浮かべた美冬の頭にはミニ〇マウスのカチューシャがくっついていたけれど、それは些細なことである。

「……すまねぇなぁ、美冬ちゃん。菜月を、俺ぁヤクザにしちまった」

 元の世界であれば、こんなことにはならなかった。

 けれど異世界への転移は全ての状況を覆し、娘はヤクザになって、組の運営は何故だか上手くいっている。

 多少の不便があろうとも、組長にとっては大して苦ではなかった。もとよりケータイだのインターネットだのはあまり馴染んでいなかったのだ。

 だから、足りないのは一人だけ。

「――美冬ちゃん。そっちは元気にしてるかい」

 娘の前では、決してそんな顔は見せなかっただろうけど。

 ああ見えて、彼女は寂しがりやなのだ。娘もおらず、一人きりで、彼女はどうしているのだろう。

「……ちゅうか、自分らもしかしてお嬢に先を越されたんスか……?」

「バカ、俺らはいいんだよ。次の組長に縁組してもらうんだから」

「次の組長……やっぱり伏見さんですかねぇ」

 背後の襖が開いて、廊下からどやどやと組員らが入ってくる。

 物思いにふけるのもここまでだ。振り返るころには、組長はいつもどおり、厳めしい表情を浮かべていた。

 障子を閉めて、上座に座りなおす。

「尾頭付きもお神酒もねぇ、若頭すら不在の略式だが、こっちに来て最初の式ならこんなもんだろ。構えるこたぁねぇ、みんな気軽にやってくんな」

 そうして。

 今日この日、八代菜月は千明組の一員に。

 組員に。

 直参に。

 組長の子に。

 家族に――なった。

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