081話.ヤクザ、信じる
銃弾を当てる一番簡単なコツは――近づくことだ。
特に、眉間や口の中へ直接銃口を当てれば確実である。
眉間も口の中も分からなかったので、お嬢はとりあえず、精いっぱい近づくことにした。
スニーカーが――何故か父親が用意していたサイズぴったりの高価そうなスニーカーがなだらかな地面を蹴り、お嬢は走り出す。
立ち止まれなかった伏見と三ツ江が通り過ぎていくのを意に介さず、太い触腕を靴底で踏みしめて銃を構える。
一度大きく息を吸って、呼吸を止めた。
次にお嬢が考えたのは、誤射の可能性だ。
伏見と三ツ江はもう後ろに居る。イミュシオンの正面に立ち、左右ではエルメの村の人々が思い思いに肉塊を攻撃していた。
だから、左右に撃ち損ねないよう、両手でグリップを握りしめた。
銃身の先端と後部に存在する照準を一斗缶が飲み込まれたばかりの箇所に合わせ、片目を瞑る。
自然と、姿勢は半身になった。
拳銃から手、肘、肩と一直線に伸ばし、左手から少し力を抜く。
顔も右肩に寄せて、思いのほかあっさりと、お嬢は引き金を引いた。
――当たるはずはないのだ。
三ツ江が言った通り、素人が拳銃を撃ったところでそうそう当たるものではない。そも、訓練を受けた軍人だって百発百中とはいかないものだ。
案の定、女子高生の細い手首では発砲の衝撃を殺しきれず、銃弾は上方に逸れ、肉塊に空しくめりこんだ。
ただし。
イミュシオンの肉塊は、取り込んだ異物を体表に押し出すという性質があった。
一斗缶を異物だと判断した肉塊は軽油を垂れ流すそれを今まさに移動させている最中であり、銃弾はちょうど、一斗缶の上部を貫いていく。
一斗缶の内部では、揮発した軽油が充満していた。みんなだいすき粉塵爆発と理屈は同じだ。
空気中に可燃物と酸素が混在していることで急激な燃焼反応が生じ――肉塊は、内側から爆発する。
音が、なくなったのかと思った。
距離が近いお嬢や村人が腰を抜かし、イミュシオンの肉塊はまき散らされた軽油と自身の油によって内側から炎上する。
誰もが、言葉を失ったその場所で、最初に口を開いたのはヤクザの組長の一人娘だった。
「あ――あは、あはははははははは!」
「お嬢、お嬢! 大丈夫っスか?」
「みつ、三ツ江さん! 三ツ江さんですか!? わたしやりましたよ! ほらアレ! アレわたしがやったんです! すごくないですか!?」
「分かりました、分かりましたから! こんなところに居ちゃあ燃えっちまいますって!」
テンションが変な方向に入ったお嬢を引きずって、三ツ江がその場から退避する。
村人らは揃って放心し、あるいは神に祈り、何をとち狂ったのかお嬢にひれ伏す者までいた。
拳銃も石油も、何も知らない村人から見れば――お嬢が銃を向けた途端にイミュシオンが爆発した、なんてことになるのかもしれない。
「……これで、お嬢が神になったりしねぇだろうな」
全く統制の取れない、地獄絵図みたいな場所で、立っているのは伏見だけだった。
だから彼は彼らしく、その場をコントロールする。
持ち込んでいた拡声器を手にとって。
「あー、テステス。全員、焚きつけ用に渡した軽油をコイツにぶっかけろ! 全部だ! コレでダメなら逃げるしかねぇ、薪も油も、燃えるもんなら全部放り込んじまえ!」
――かくして、対イミュシオン戦は炎の中に終結した。
収穫期に相応しく、火祭りのように。
ゴブリンの件ではBBQ。
そして今回は、ハンバーグだった。
「三ツ江さん三ツ江さん。……これ、似合いますか?」
イミュシオンとの戦いから、一夜開けて。
遠く、アルカトルテリア内に組み込まれた千明組の屋敷、その中庭にお嬢と三ツ江は居た。
踏み石の上の下駄をひっかけて、お嬢が縁側から降りてくる。
お嬢が着せられているのは少々渋めの白振袖だ。肩から袖、裾にかけて、一色の染料で何重ものグラデーションを施した牡丹の型抜き染め。
文庫結びにしてもらった西陣織の袋帯を見せびらかすように、お嬢はその場でくるりと回る。
昨夜、拳銃をぶっ放してハリウッドばりの大爆発を起こした当人だとはとても思えない、艶やかな姿だった。
「そういうの着ると、一気に大人っぽく見えるっスね。うん、美人さんっス」
トシエさんがしてくれたお化粧は流行りのものでこそないけれど、古臭さはなく、きちんと振袖の色味に合わせている。
結い上げた髪の余りや袖が、お嬢の動きに合わせてひらひらと舞っていた。
「……いっつも思うんですけど、なんでわたしにぴったりの服や靴が用意されているんですかね……」
「や、前に言ったじゃないスか。親父が趣味で買ってたって」
「じゃあなんでサイズがぴったりなんですかね……。母か。母が漏らしてたのか」
「まぁまぁまぁ。とりあえず写真撮るっスよ、写真」
何やら不機嫌なオーラを感じて、三ツ江が話を変えにかかる。
ネックストラップに吊るされたデジカメを構え、一枚、二枚とシャッターを切った。
「ちょっ、いきなりはダメです! えぇっと……ポーズはこう! こうでお願いします!」
「割とノリノリじゃないっスかー」
そういう三ツ江も、今日ばかりはきちんとした礼装に身を包んでいた。
長着に黒紋付の羽織、それに縞柄の袴。伏見から借り受けたものだが、サイズが合っていないようで窮屈そうに肩を回す。
そもそも、本来は伏見の役割なのだ。その代理として、三ツ江は今ここにいる。
「お嬢。今ならまだ間に合います。こんなこたぁやめませんか」
「……三ツ江さんって意外と頑固なとこありますよね」
カメラのファインダーから顔を上げた三ツ江を見て、お嬢は困ったように首を傾げる。
――昨夜の戦いにおいて。
イミュシオンを撃退出来たのは、お嬢の活躍が大である。
信賞必罰は人の道理だ。疎かにしていては信を失う。人を従える立場にあれば尚更に。
千明組の組長として、愛娘の挙げた成果には応えなければならなかった。
「盃を交わしちまえば、お嬢は正式にヤクザの仲間入りです。足抜けも許されねぇ、お嬢にはそれが分かってねぇんです」
「分かってる、つもりです」
「それが、分かってねぇって言ってるんです!」
声を荒げてしまった自分に気付いて、三ツ江は呼吸を整える。
大の男に怒鳴られれば誰だって怯むものだ。細身とはいえ三ツ江は背も高く、声も大きい。女子供から見れば、それはもはや暴力に等しい。
三ツ江自身が嫌う、ダメな暴力。
けれど、お嬢はちっとも怯えてなんていなかった。
「三ツ江さん、言ってましたよね。わたしが仲間外れにされて寂しいだけだって。えーその通りですよ。ヤクザなんてよく知らないし、悪いことをする覚悟なんてぜんぜんありません。……でも、寂しいじゃないですか」
着慣れない着物の袷を気にして、お嬢は右手を伸ばす。
「父のことがありますから、組の方は私のことを大事にしてくれます。でもやっぱり他人行儀で、落ち着きません。頼ったりは出来ませんし、私だって遠慮しちゃいます」
「そんなつもりでヤクザなんて――」
「でも!」
三ツ江の言葉を打ち消すように、お嬢は声を挙げた。
「……でも、三ツ江さん言ってたじゃないですか。三ツ江さんが失敗したって伏見さんがケツを持ってくれるって。だったら――私が組に入ったら、三ツ江さんが私のケツを持ってくれるんですよね?」
「俺が……お嬢のケツを……!?」
「え、あの、そういう言い方をされるとちょっと、その」
とっさに、両手で尻を隠す。
目を瞑り、息を吸って、吐いて。
「だから私、なんにも不安じゃないんです。三ツ江さんを信頼してますから」
お嬢の言葉を聞いて、三ツ江はもう、何も言えなかった。
ばつの悪そうにつま先で砂利を蹴り、頭を掻く。
「……言っときますけど、自分はそんな、大したもんじゃないっスからね」
「謙遜しないでください。昨日のあれ、凄かったですよ。ズバッ、ズバッって、格好良かったです。何かやってたんですか?」
「別に、体育の授業でちょっろとやったくらいで」
「……その程度で命を賭けたんですか……?」




