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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
衰退森林都市・アウロクフト
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077話.ヤクザ、来る

 さっきの悲鳴は、一体誰のものだろう。

 シドレは元探索者であり、現在は司書を務めている。どちらもアウロクフトでは忌避される肩書きだ。他の村人との接触は極めて乏しい。だから、悲鳴の主が一体誰の者なのか、彼女にはさっぱり分からなかった。

 村の中央にある神樹にまで届いているのだ、きっと他の者も悲鳴に気付いていることだろう。だったら焦る必要もない。

 悲鳴を挙げた誰かだって、彼女に助けられれば困惑してしまうだろう。

 枝と枝との間を伝って、シドレは物見高く、悲鳴の挙がった方向を見下ろした。

「……ああ、やっぱり」

 森と村の境に、霧とは違う何かがわだかまっている。

 正体など今更語るまでもない。イミュシオンが来たのだ。アウロクフトが衰退の二字をその名に頂いた時より約束されていた崩壊が。

 シドレの目に、エルメの村の混乱が映っている。

 悲鳴に気付いた老人が、家を飛び出すなり煙に巻かれた。

 子どもは泣き声を上げる暇もなく、イミュシオンを吸い込んで喉を嗄らす。

 神樹の枝を取りに走る青年の姿も、シドレには見えていた。

 よその人には馬鹿げた話に聞こえるのだろうけれど。アウロクフトには、イミュシオンに対する備えなど一切用意されていないのだ。

 いずれ滅びるのが当たり前で、ならば備えも必要ない。そのような思想、教義によって穏やかな衰退の日々は守られていた。

 ――さて。そんな枠組みから外れたシドレは、どうするべきかと考える。

 彼女にとっては、どちらでも良かったのだ。

 伏見の予言が当たっても外れても。

 この村が滅んでも滅びなくても。

 ただ、どちらかに決めるべきだとは思う。無抵抗のまま被害者の列に加わるのか、それとも無駄に戦って無駄に死ぬのか。

 神樹の琥珀に侵された胡乱な頭ではどうにも決めかねて、曖昧な笑みのまま、シドレは故郷の崩壊するさまを見下ろしている。

 もしも時間があれば、何れかの答えを導き出すことが出来ただろうか。シドレがそんなことを考えたのは随分先のことだ。もしもという言葉が示しているように、彼女は結局、答えを得ることが出来なかった。

 誰かに呼ばれた気がして、シドレは逡巡を止める。耳をすませば、声は真下、神樹の根元から聞こえているようだった。身体を起こすのもおっくうで、のそのそと枝上を這うように下の様子をうかがう。

 誰だったか――そう、確か。

 千明組の、伏見とかいう男だった。




「いやぁ、えらいことになってるみたいっスねぇ」

「つってもまだ二回目だぞ。三回目はさすがにねぇだろうし……」

 シドレが降りてくるまでの間、二人は気の抜けた会話を続けている。

 油断なく周囲を警戒してはいるのだが、表情には余裕が滲んでいた。イミュシオンの襲撃に騒然とするエルメの村において、二人のヤクザだけが異物のように馴染まない。

 シドレですら不可解に思うほど、伏見と三ツ江は落ち着き払っているように見えた。

 最後の数メートルを軽やかに飛び降りて、シドレは伏見達に向き直る。

「伏見、貴方はなんで……」

「なんでって言われてもな。約束してたろ、被害者の治療をしてもらうって。あとはまぁ……ちょっとした商売もしたくてよ」

 この状況で、一体何を売りつけようと言うのか。怪訝そうに首を傾げるシドレへ、伏見は紙袋を差し出した。

「ま、なんてこたぁねぇ。軽くて便利な霧吹きだよ。中には蒸留酒がたっぷり入ってる。……今は色々とご入用だろ?」

 そう言って、伏見は手に持った〇ァブリーズのトリガーを引く。

 シドレが知る霧吹きとはまるで違う形状だ。この時代、霧吹きと言えば金属のボトルにふいご状の革袋を取り付けた実に不便な代物で、両手を使わなければ到底扱えない。

 それに比べて、伏見が差し出したスプレーボトルは軽く、片手で楽に扱える。まるでイミュシオンを祓う為にあつらえたような道具だった。

 紙袋の中からマ〇ックリンのボトルを手に取り、試しにトリガーを引いて、シドレは噴霧されたアルコールの勢いに驚く。

「親父の……組長の腰がまだ悪くてな。治るまでしばらくかかりそうなんでもちっと薬が欲しかったんだが……ま、そんな状況じゃねぇよなァ」

 一目瞭然だろうに、伏見はわざとらしく言い放った。 

 まるで嬲られているかのようだ。遅まきながら、シドレは伏見の目的を理解する。

 確かに、伏見は商売をするつもりなのだろう。

 イミュシオンが襲来し、エルメの村は崩壊の危機に晒されている。もし生き残りたいのであれば、伏見ら外地の人間に助けを乞うほかにない。

 自らの価値が最も高まるその瞬間に、伏見は恩を売りつけに来たのだ。

 村の、そして住人全ての命の恩人だ。多少の無理などいくらでも通してしまえるだろう。

 おかしくっておかしくって、シドレはつい、状況も忘れ笑いだす。

 たかだか数年の探索行で何を知った気になっていたのか。これほどまでに悪辣な人助けがあるなんて、彼女は想像もしていなかった。

 腹を抱え、むせて、ひとしきり笑ったあと、ようやくシドレは正気を取り戻す。

「お、落ち着いたか?」

「……ええ。それで、伏見はこれから何をするおつもり?」

「ま、商談をしようにもこんな状況じゃなァ。こっちの学者さんの治療だってすぐには終わらねぇし、最低限、都市としての体を保てるくらいには助かって貰わねぇと」

 昨日の交渉の際に触れていた、イミュシオンの被害者だろう。すぐに気づけなかったのは、三ツ江の足元で簀巻きにされていたからだ。毛布の隙間から顔だけ出して、かすれた呼吸音で存在を主張している。

 エルメの村は入り組んだ村の奥だ。病人を運ぶのは大変だっただろうけど、もう少し人の尊厳というものを大事にしてあげて欲しい。

 周囲に散ってはいたけれど、他にも伏見は人を連れてきていたようだ。

 伏見らを村に案内したレーネに、シルセの両親。学者の毛布を解きにかかった少女は――伏見の都市の者だろうか。そういえば、伏見らとの最初の交渉で姿を見かけた気がする。

 彼ら八人――いや、病人は役に立たないので七人。

 周囲を警戒しつつ、片手に見慣れぬ霧吹きを構えた伏見一行。

 彼らが――ぶっちゃけ清掃業者か不審者にしか見えない彼らが、こんなんでも、一応、下心アリアリではあるけれど、エルメの村の救世主だった。

 ……衰退を受け入れるだのなんだの、負け犬根性全開でいるからこんなのしか助けてくれないのである。

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