074話.ヤクザ、消毒する
衰退の二字を名に頂いたその時より、アウロクフトは外界との接触を拒絶してきた。
試みは常に行われてきたのだ。
ルールに抵触しない範囲でのささやかな交易は、イミュシオンの変異によって潰された。宗旨、教義の変更はそれ自体がイミュシオンの攻撃対象だ。その神話体系から他の都市の如く移動することも出来ない。
辛うじてイミュシオンの縛りを捨てることが出来たのは、滅びた村から離散しアウロクフト外の都市に身を寄せたわずかな人々だけで――
今もアウロクフトに住み続けているのは、イミュシオンに抵抗せず、見逃されているだけの残り滓だ。
外部との交易を拒絶して森の中に閉じこもった者。
宗旨を、教義を盲目的に受け入れた者。
逃げ出すことも出来ず――衰退を、甘受した者。
アウロクフトに生まれたレーネにもまた、他者を拒絶するその慣習が染みついているようだった。
火につられて飛び出してしまったことを悔しがるように、少女は表情を歪ませる。
「……外地の人間が何をしに来た。治療はしてやっただろ? この上まだ欲しがるのか」
「なんだよつれねぇなァ。そちらさんのためを思って、大事な報せを持ってきたっつーのに」
「報せ?」
怒っていたことも忘れて、少女はきょとんと首を傾げる。
その表情が、レーネの素なのだろう。これまでの態度は外地の人間を警戒していただけだ。一皮むけば、大森林に育まれた厳しくも朴訥とした地が顔を出す。
出会った時に着ていた絹の服ではなく、麻と毛皮で作られた軽装に身を包んでいる。背負っているのは短弓と矢筒、腰を縛る麻縄にはちっぽけなナイフの鞘が括りつけられていた。
夜間の見張りにしては随分愛らしく編まれた髪を揺らして、エルフの少女は尋ねる。
「報せって……外から?」
「そりゃもちろん。なにせ、テメェらの神敵が変異して、アルカトルテリアの住人を襲ったって話だからな」
答えたのは伏見だ。
遠い異世界からやってきたヤクザは、少女に向かってもっともらしく嘘を付いた。
「俺らが襲われてから、トルタス村とアルカトルテリアの町中で相次いで被害者が出たんだよ。テメェらエルフと何の関係もない連中がだ。これを変異の兆しと見て、商人連中は商路を変更すると騒いでる」
「……そっか」
それなりのリアクションを予想していたのに、少女の反応は思いのほか淡泊なものだった。
驚くことなくうなずいて、伏見の言葉を飲み下す。
「……なんっか張り合いねぇなァ。もうちょっとなんかねぇのか? 驚くなり慌てるなりよ」
「慌てる? なんで?」
皮肉でも、馬鹿にしている訳でもない。
心底言っている意味が分からないと、そんな表情でレーネは首を傾げる。
「あ、そっか。外の人には分からないのか。えっと……私たちは、子どもの頃から約束されてるんだ。いつかは滅びるって。だから、こんなのは普通だ」
「……気に食わねぇなァ」
自嘲するように笑うレーネを見て、伏見は露骨に顔をしかめた。
盛者必衰は世の常だ。形あるものはいつか滅びて、色は衰え、花は散る。
けれど、それは老人の論理だろう。子どもは成長して、次を、未来を夢見るものだ。
子供が諦め顔で滅びを受け入れる。
その表情は、不快でしかなかった。少なくとも、伏見にとっては。
「気に入らねぇ気に入らねぇ、ガキが悟り顔で笑ってんじゃねェよ。ガキならガキらしく、言いたいことを素直に言えばいいんだ」
「言いたいこと、って……」
倒木から立ち上がり、伏見はレーネの前に立つ。
少女の頭に手を置くと、力ずくで上向かせた。
「助けて欲しいなら助けてって言え。わがままだったら叱ってやるし、泣いたら泣き止ませてやらぁ。もちっと大人を信用しろってんだ」
――言いたいことを言い切って、伏見はレーネの表情を観察する。
何を言われたのか分からない、そんな顔だ。
助かってもいい。
そんなことを言う大人なんて、アウロクフトには居なかったに違いない。
「ま、とりあえずは被害者の治療を頼みてぇんだが……シドレさんはいねぇのか?」
「姐さんは――今は、ダメだ。要件なら私が聞く」
頭に置かれた手を振り払って、レーネが胸を張る。
要件が本当に被害者の治療だけならそれでもいいのだけど、今回は事情が事情だ。なるべくならシドレ本人に話をつけたかった。
振り払われた右手で、伏見は頭を掻く。
「……いや、こんな夜分遅くに訪ねてきて、悪ぃとは思ってんだけどよ。寝てるんならちょいと起こして貰えねぇか」
「姐さんは夜更かしだから、まだ起きてると思う、けど、その」
何やら言葉を濁して、レーネは目を逸らした。
年相応と言うべきだろうか、急にもじもじとしだした少女の身体に――得体のしれない繊手がぬらりと絡みついた。
レーネが姿を現した時と同じだ。エルメの村の結界を越えて、シドレはそのまま少女の肢体を抱きすくめる。
「えっへへへへぇ、なぁに、わらひのはなひひっひひふふぇるのぅ?」
やっべ何言ってんのか全然分からねぇ。
「……え、なに、シドレさんどうしちゃったのコレ」
「神樹の琥珀のヤりすぎだ。さっきからこんな調子で……」
絡みつく手足をうざったそうに受け入れながら、レーネは言う。
なるほど、そりゃあ言葉を濁したくもなるだろう。明らかに尋常ではない様子だ。紅潮した肌には汗が滲み、呼吸は不規則に荒く、恍惚と陶酔の入り混じる眼差しの奥では瞳孔が開いている。
――いや、明らかにヤバ気なおくすりの症状のような気がするけれど、シドレが服用したのはあくまでも神樹の琥珀、換言するところのエルフの秘薬である。
決して依存症などないはずであり、多分法令にも触れてないし、つまりは健全。極めて合法的なドラッグだといいなって思う。
「ふれふぇあっははぅんらりのほうへっふ」
「どうしようかなコレ、俺話に来たんだけど。話になんのかコレ」
姐さんはダメだ、なんてレーネが言っていたけれど。どっちかと言えば姐さんがダメである。
仕方なく――伏見は、腰の〇ァブリーズを抜いた。
「えい」
「ひゃあらばばばぶ!」
火が点くような高濃度のアルコールを顔に吹き付けられたら、まぁ誰だってそうなるだろう。
抱き着いていたレーネごと地面を転がりまわって、そのまま約一分間、足元の惨状を伏見はぼんやりと眺める。
「――あに!? へ、なんなんです!?」
「お、良かった良かった。やっと人語を思い出したんだな」
正気を取り戻して周囲を警戒するシドレの正面に、伏見は柄悪くしゃがみ込んだ。
乱れに乱れた髪をかき分け、いまだ胡乱なままのシドレと目を合わせる。
「よう、エルフちゃん。ちょいと相談なんだが――一緒に、この村壊しちゃくれねぇかい」




