073話.ヤクザ、エルフを召喚する
ごく短時間の協議を境に、村はひっくり返したような騒ぎになった。
伏見には分からないことだけど、神敵の変異はそれだけの意味があるのだろう。ゴブリンの襲撃を受け隣人の多くを失った直後だ。協議は紛糾したが、現実を呑み込んでからの対応は実に速やかだった。
価値の高い物、必要性の高い物から順に荷造りをして避難に備える。常日頃から死の脅威に直面しているせいなのか、彼らは悲嘆にくれながらも生きることに懸命だった。
――トルタス村の人々には、事実を伝えていない。
いわば保険だ。
今回立てた計画はひどく杜撰なものだった。推測を検証する時間もなく、具体的な方法はこれから手探りで構築していかなければならない。
そのための材料は三ツ江に頼んであるけれど、いかにも心許ない。そもそもマトロ相手の交渉が上手くいかなければその時点で失敗なのだ。
正直言って、こんなやり方は伏見の流儀に反する。賭け事は金を賭けるから楽しいのである。
それでも、やらなくてはならない事情があった。
「いやぁ、悪ィね。そちらさんもお忙しいだろうに、こんなことに付き合わせちまって」
黒々としたアウロクフトの大森林を前に、伏見は二人に声を掛ける。
「他ならぬ大恩人の頼みだ、応えなきゃ男が廃るってもんです!」
「……報酬もきちんといただいていますから。村の代表としてこの仕事、務めさせていただきます」
背後に控えていたのは今回限りの用心棒だ。
トルタス村の狩り手――シルセの両親。
長柄の槌と短弓をそれぞれ携えて、シルセの両脇を固める。
森の中でも動きやすそうな軽装に、組から貸与した様々な装備を装着した日異混合のスタイルだ。
「目的はエルフとの接触だ。森ん中に入る以上、イミュシオンに襲われる可能性もある。……なぁに、命を賭けるようなもんじゃねぇんだ。はぐれたらすぐに森から脱出。日の入りまでに接触出来なければ諦める」
要旨を伝え、伏見は自らの装備を確認する。
今回ばかりはいつものスーツ姿もお預けだ。スニーカーに作業用のツナギ、頭にはヘッドライトを着けて、腰のベルトには鉈と拳銃、それに――
「あ、そうそう。コレのノズルがオフになってると酒が出ねぇから、オンにするのを忘れないようにな」
腰のベルトには、〇ァブリーズのボトルが固定されていた。
当然、〇ァブリーズはイミュシオン対策である。
中身は全て捨てて、代わりに火が点くほどに濃い蒸留酒が注がれていた。
イミュシオンの弱点は酒に塩、それに火。
塩は固形物で扱いづらく、森の中では火も使えない。その点、〇ァブリーズならば手頃で取り回しも楽だ。
こちらの世界にも霧吹きはあるけれど、屋敷の中にあるスプレー容器がもっとも手っ取り早かった。今頃は村人らにも〇ジックリンや〇ビキラー、肌水〇ストの容器が行き渡っているだろう。
唯一の欠点は、むやみやたらに格好悪いということだけである。
「――また来た。イミュシオン発見。数は……そもそも固体じゃねぇしなァ。一体分って所か」
先頭で鉈を振るっていた伏見が、イミュシオンを見つけるなり後ろに下がる。
〇ァブリーズは近接武器だ。あくまでも噴霧器に過ぎない以上、飛距離はそう長くない。
イミュシオンの移動速度は決して早くないが、ここは暗い森の中だ。不定形な霧の身体は落ち葉の隙間だろうが容易くすり抜け、死角からこちらへと触れてくるだろう。
三人で円陣を組んで、一行は周囲を警戒する。
「っ、きました! おとうさんのほう!」
声を上げたのはシルセだ。茂みから漏れ出る霧状の身体を見つけて、父親の足の間から〇ァブリーズを突き出した。
教えられた通り、イミュシオンのやや上から周囲の空間にかけて蒸留酒を噴霧していく。
「……なんて盛り上がらねぇ戦闘なんだ……」
本能的な回避行動すらせず、イミュシオンは自ら噴霧された空間に進んでいく。自らの身体が消滅していくことに何ら痛痒を感じていないようだった。
ゴブリン共のような生物ではなく、現象に近いモノ……なのだろう。
「いや、ゴブリンじゃねぇんだったか」
「……伏見さん?」
「何でもねぇ、こっちの話だよ」
イミュシオンが完全に消滅するのを見届けて、伏見はまた先頭に戻る。
距離的には既にエルメの村の近くまで来ているはずだった。だというのに、入口はおろか神樹すら見つからない。
「しっかし、やっぱり入れねぇんだなァ。シルセの嬢ちゃんがいりゃあなんとかなるかと思ったんだが……」
背後のシルセをうかがうけれど、少女は首を振るばかりだった。
既に日は暮れかけて、時計の針は五時をとっくに過ぎている。当初決めていたタイムリミットまであとわずかしかない。
ちょうど手頃な倒木を見つけて、伏見はその上に座り込んだ。
「さぁて、どうっすっかねぇ」
シドレが気付いてこちらに接触する――というのがベストだったんだけど。
平地の夕暮れ時とは違い、周囲は既に真っ暗だ。とりわけ村の周辺には巨木が密集し、ヘッドライトがなければ歩くこともままならない。
マトロとの交渉結果が届いていない今、長居すれば置き去りにされかねない。ここらが限界だろう。
「よし、燃やすか」
足で枯れ葉の山を作って〇ァブリーズを構え、ポケットからライターを取り出した。
いやぁ、ほんとはこんなことしたくないんですよー森の中でたき火なんて危険だし水も消火器もないんだけどエルフの人らが気付いてくれないからしかたないなー、的な空気を醸しつつマッチをこすって着火する。
一切の躊躇もなく、足元に落として蒸留酒を噴射した。
「あーっ! あーっ! ちょ、何してんだこの……このばか! ぶあぁぁか!」
シルセでも、シルセの両親でもない足が慌てて火を踏み消す。
その少女はどこからともなく現れた。伏見の推測が正しければ――村に近づいてからずっと、結界の内側からこちらを観察していたのだろう。
煙が出なくなるまで何度も何度も地面を踏み、火が消えたことを確認する。
見覚えのある顔だ。
シドレの従者、エルフの射手、名はレーネ。
「よーう。相変わらず元気だなァ、山猿ちゃん」
「あ……」
衰退森林都市、アウロクフトは外界との接触を断っている。
そのことを思い出したからだろう、気まずそうに、エルフの少女は表情をゆがめた。




