006話.ヤクザ、交渉する
今まさに滅びようとするこの村の、教会の奥深くにある密室で、ヤクザ二人がやっているのは打ち合わせだった。
認識のすり合わせ、とも言う。
「三ツ江よう。おめぇ、ウチの状況をどう思うよ」
「……ヤバいっすね」
「そういうことじゃなくてだな……」
わずかに伏見が苦笑する。
深く考え込まずに即応するのは三ツ江の美点だが、まったくの考えなしというのも困るのだ。
現状において、危機に対応し千明組を指揮できるのは伏見だけである。その伏見が動けなくとも千明組が動けるように、予備の頭が必要だった。
「まあ、なんだ。今、ウチに必要なもんを考えろ」
伏見に促され、ようやく三ツ江が頭を回転させる。
こう見えても馬鹿ではないのだ。ただの馬鹿であれば、若衆のまとめ役など任せていない。
「メシもっスけど、まずはシノギっスね」
「よし、上々だ」
三ツ江の答えが正解だ。
シノギ。
定職を持たないヤクザ者が、日々をしのいでいくための仕事。それがシノギだ。
異世界にやってきた千明組にとって、まず生き残るために必要なもの。法や倫理より優先されるべきものだった。
「俺らァなんもねぇからなァ。畑もサラリーマンも無理だ。ヤクザってのはまあ、社会の寄生虫よ。その社会ってのがなくなりゃなんも出来ねぇ。ならどうする?」
「まずは、この村を守って……」
「それで?」
伏見の意図を理解して、三ツ江は言う。
「出来るだけ高く買わせりゃいいんですね?」
かくして、空々しく会話は進む。
クロスの敷かれたテーブルには、得体のしれない黒いお茶と細長くカットされた燻製肉、この村が滅びるか滅びないかという話題が並んでいた。
お茶請けというにはあまりに重い。
顔の傷から血がにじむ村長の向かいには伏見と三ツ江のヤクザコンビ。極めて男臭い、むさくるしい空間だった。
「改めて。私、千明組若頭の伏見と申します。彼は舎弟の三ツ江」
「ではこちらも改めて。この都市、トルタス村の村長ミゾロです」
テーブルの上でもう一度、わざとらしいくらいに握手を交わす。伏見の後には三ツ江にも、ミゾロがその手を差し出した。
野良仕事で分厚くなり、武器を持ってすり切れた手のひらを三ツ江が握りかえす。
「いや、実は村長になったのもつい先ほどで……」
「お察しします」
落ち着かなく見えたのはそのせいだろうか。前任者はこの襲撃で命を落としたのだろう。その葬儀すらも出来ない状況で、この男は必死に足掻いているのだ。追い詰められたような印象も頷ける。
「しかしあの――ゴブリン共は厄介ですね。あの子を助けたときに三匹ほど仕留めましたが、少なければそれほど脅威でもない。しかし、群れともなれば話は別だ。よく撃退されましたね」
「撃退した、訳ではないんですよ」
知っている。
撃退したのであれば、こんな教会に立てこもる準備などしていないだろう。
分かっていて質問するのは、相手の言葉を引き出すためだ。
「連中は、明朝には再びやってきます。これまでもそうだった」
ミゾロは簡単に釣られてくれた。忌々しく呟いた言葉の意味は、前例があるということだ。
ゴブリン共は夜目が効かず、夜の間は営巣地にこもり、火を焚いて過ごすのだと村長は語った。伏見のイメージとは違うが、何せ異世界のことだ。そういうこともあるらしい。
火を使える分、猿よりはいくらか頭の回る生き物だと伏見は認識を改める。
「これから、どうするおつもりで?」
「準備が整い次第、今度はこちらからゴブリンを襲撃します。連中は女王がいる限りいくらでも増えていく。逆に、女王を倒せばしばらくは大人しくなりましょう」
「勝算は、おありですか」
伏見の問いかけに、ミゾロは閉口する。
道すがら見かけた村人は、ほとんどが女性か子供だった。比率にして八割はそういった非戦闘員だ。
先の襲撃で多くの男手を失ったのだろう。ゴブリンが何匹残っているかはわからないが、到底勝ち目はあるまい。
ミゾロは逡巡ののち、テーブルにこすりつけるように頭を下げて見せた。
「お願いが、あります。どうか、ゴブリンとの戦いの間、子供たちを預かってはいただけないでしょうか……!」
「――子供たちを?」
少々意外な提案だった。
てっきり、力を貸せとかそんなことを言われると思っていたのだ。
子供らを保護するだけならリスクは高くない。が、その分リターンもそう期待できない。
「頭を上げてください。――実は、私共も少々困窮しているのです。食料などがいささか不足しておりまして……」
「食料ならば、こちらでご用意します! 何分貧しい村ゆえ、ご満足いただけるかはわかりませんが……」
「しかし」
ミゾロの言葉を伏見が遮る。
「しかし、こちらはいつまでも子供を預かるという訳にはいきません。あなた方が死んだ時には、子供たちはどうすればいいのですか?」
「一週間の内に先行商隊がやってくるはずです。彼らに託していただければ、いいように計らってくれるでしょう」
ミゾロの言葉はまるで用意してあったように滑らかだった。
つまり、伏見たちに任されたのは保険だ。一週間以内に村が滅ぶかもしれないから、子供たちだけは守ってほしい。そういう意味だろう。
それでは困るのだ。
死なれてしまえば元も子もないし、何よりふんだくれない。
ヤクザは寄生虫と同じだ。ならば、宿主には健康でいてもらわねば困る。
「――子供たちの件、確かに承知いたしました。その上で、不躾な質問ではあるのですが……」
ミゾロの言葉、そして村の様子で、分かったことがいくつもあった。
ゴブリンは、女王を殺せば静かになる。
村人を集めて女王を襲撃する。
村では、教会を中心に立てこもる用意をしている。
それはつまり、
「戦えない村人を囮にして、その隙に女王を殺す。……これがミゾロさんの答えですか?」
窮余の策ではあるのだろう。
他に村人たちが生き残る手段もない。それは理解する。
だけど気に入らない。
守るべき人々を見捨てて生き残る。それはつまり外道だ。筋が通らない。
本来のヤクザであれば、もっとも恥じるべきこと。
「もしそうであれば、当方としても手助けは出来かねます」
「――なら、どうしろと言うんだ! 他に生き残るすべがあるのか!」
ミゾロは分かりやすく激昂した。礼儀もクソもなく怒鳴り散らす。
「ならば助けを乞えばいい。あんな猿ども相手にムキになる必要もない。助けてあげますよ。まあ、何人かは死ぬかもしれんが」
「……あぁ?」
ことなげもなく伏見は言う。
「これはあなた方に対する大きな借しです。分かりますか? 村の全財産を合わせても到底足りない、そんな貸しです。その変わり、村人たちは生き残る。あなたも。子供たちも。決めるのはあなただ」
伏見が椅子を蹴り立ち上がる。栄養不足の村人たちよりもはるかに高い上背で、哀れな男を威圧する。
「どちらがいいですか? 村人全員死ぬか、生き残って死ぬほど働くか」
「そ、んなもの、答えられるわけが――」
「こっちはどちらでも構わねぇんだ。アンタらを生かして搾り取るか、アンタらが死んでからむしり取るか。さぁ、決めてもらおうじゃねぇか」
「い、いささか失礼ではありませんか!」
伏見に威圧されながらも、村長はまだ吠えるだけの気力を残していた。
両手をテーブルに叩きつけて、村長は怒りを表現する。
「さっきから聞いていれば、脅迫のような物言い……! 村の子を助けてくれた方ならと、歓待して差し上げたと――」
ミゾロの言葉を遮ったのは伏見ではなく、三ツ江の振るう拳だった。
テーブルへと叩きつけた拳が轟音を打ち鳴らし、その余韻すら消えぬうちに啖呵を切る。
「だぁに口きぃとんじゃこのボケェ!! この××××、そのクセェ口塞がねぇと」
以下、日本語ですらないため聞き取ること出来ず。
方言と訛りの混じった罵声は意味など通じないが、怒りをストレートに伝えるためには効果的だった。
ミゾロは水面の鯉のように口を開閉するばかりで、言葉など忘れてしまったようだ。息すらろくにできていない。椅子に背もたれがなければ、床に転がってさらにみっともない姿をさらしていただろう。
それで趨勢は決した。今のミゾロならば、娘を差し出せと言っても抵抗すらあるまい。
「おい、三ツ江」
だから、伏見は三ツ江を殴りつけた。
少々大げさなくらいに三ツ江が吹き飛ばされ、壁に激突する。
「いや、失礼した。どうもウチの若いもんはまだまだ躾がなっちゃいねぇようで。これで許していただけますか」
「は、はぁ……」
形ばかりの謝罪を、村長は間抜け面のまま受け入れる。
今度こそ、趨勢は決してしまった。
古典的な手法は、未知の相手には実に効果的だ。
まず、交渉役の伏見が相手を煽る。
相手が怒りを露わにしたところで、理屈や道理など歯牙にもかけず、脅し役の三ツ江が声量と暴力で叩きのめした。
怒声など、耐えようとすれば耐えられる程度のものだ。耳をふさがずとも、聞き逃すことは出来る。頭を庇ってうずくまれば、多少の暴力を耐えしのげるように。
けれど、ミゾロは今まさに怒声を上げていたのだ。
大声が暴力のようであれば、それは相手を殴りつける瞬間に、横合いから殴られるようなもの。
最も無防備な瞬間に衝撃を受ければ精神は萎縮する。
「そ、そこまでしなくとも……」
「いえ、御心配なさらずに。彼は丈夫なのが取り柄なので。……三ツ江。立て」
「ウス! 失礼しやしたぁ!」
ぶつけた身体の痛みにも気を留めず、勢いよく三ツ江が直立する。
兄貴分の交渉に口を挟んだのだ。椅子に座ることはせず、両腕を後ろに組んで伏見の背後に立つ。
三ツ江が殴られたことにも意味はあった。
まず、交渉の場での上下関係を決定づけること。
三ツ江が怒鳴りつけた時点で、ミゾロは三ツ江の下だ。その三ツ江を殴ることで伏見は場の頂点に立つ。
三ツ江は今後もミゾロ相手の脅し役として機能するだろう。
伏見はミゾロを気遣うことで上位としての寛容を見せる。あとは寛容と恐怖、二枚のカードを要所で切るだけだ。たやすく手のひらで転がってくれるだろう。
動物園の猿山と変わらない。けれど、それこそが人の習性だった。
「――さて、話がそれましたね。どうしますか? 私たちの手を借りますか?」
煽られ、罵られ、萎縮したミゾロに向けて伏見は柔らかな笑みを浮かべた。
追い詰められた人間に垂らした蜘蛛の糸だ。濁流に流された者が葦を掴むように、縋らずにはいられない。
乾いた喉を潤す嚥下の音が密室に響く。
答えなど、聞くまでもない。