065話.ヤクザ、忘れてた
三ツ江がトルタス村に帰ってきたのは、朝焼けが終わって空が真っ青に染まる早朝のことだった。
エルフの治療のおかげだろうか、イミュシオンに襲われる前よりも身体が軽い気がする。そう長い時間居座った訳ではないのだけれど、たっぷり十時間寝たような気分だ。
心なしか足取りも軽い三ツ江は、けれど村の様子に首を傾げる。
「……なんか、変な感じっスねぇ」
昨日までの村人たちは、祭りを控えて浮ついていた気がした。けれど今は怯えるように落ち着きがなく、口数も少ない。たき火のような匂いがどこからともなく漂っていた。
辺りを観察しながら、三ツ江はトルタス村を歩いていく。
向かうのは村の外れ、森林にほど近い一軒家だ。先の事件で所有者が居なくなったものを組の名義で買い上げた、試験農場のための仮拠点。
倒れたという組長と山喜はきっとそこに居るだろう。ならば伏見もそこに立ち寄るはずだ。
そう当たりをつけてやってきた三ツ江が、壁際にもたれかかる少女を見て駆け出した。
「お嬢! こんなところで何してんスかー?」
「三ツ江さん!」
そこに居たのはお嬢だ。
ミュセをまとい、その上からカーディガンを羽織っている。この二週間ですっかり板についたアルカトルテリア風の装いだ。長い黒髪とそれをまとめるかんざしがなければ、日本人だとは誰も気づけないだろう。
顔を上げて、お嬢もまた三ツ江に駆け寄る。
「三ツ江さん、お体は大丈夫なんですか? ヘンなのに襲われたって、伏見さんが……」
「見ての通り問題ねっス! それよりお嬢はこんなとこで何してんスか?」
「仕事の話をするからって、追い出されちゃって」
表情を陰らせて、お嬢は再び壁へともたれかかった。粗末な土壁が軋み、ぱらぱらと埃が舞う。
お嬢の様子から、三ツ江はおおまかな事情を察した。
組長は千明組の仕事からお嬢を遠ざけようとしているのだ。いまさら言うまでもなく、ヤクザなんてのは汚れ仕事で、十四、五の小娘に務まるようなものでもない。
異世界にやってきて以来、千明組は慢性的な人手不足に陥っている。人材は喉から手が出るほどに欲しいけど――お嬢に限っては、別なのだ。
「……お嬢はヤクザになりたいんスか?」
「別に、そういう訳じゃないんです。でも、私だけ蚊帳の外っていうのは……なんだか、イヤなんです」
「じゃあ、やめといた方がイイっスよ。ヤクザになんてなるもんじゃねぇっス」
いつもなら、お嬢を出来る限り擁護するのが三ツ江の役割だった。
お嬢のお願いなら出来るだけ叶えてやりたかったけれど、こればっかりは、賛成できない。
「……三ツ江、さん?」
お嬢を見る三ツ江の表情はいつも通りのにこやかな笑顔で、なのに、突き放すような冷たさを感じさせた。
「……娘が、な。うちの組に入るって言って、聞かねぇんだ」
「そりゃあ……面倒なことになりましたね」
布団にうつ伏せたまま、組長は頭を抱えていた。
情けない姿ではあったけれど、伏見は組長のことを笑えない。
伏見もまた、頭を抱え込みたい気分だった。
「そもそも、女がヤクザになるってのはアリなんですか」
「いやぁ、普通はねぇよぅ。よその組じゃ、跡目が育つまで組長の嫁が組を預かるってのは聞いたことあるなぁ」
伏見の質問に答えたのは、組長の隣で同じように寝転ぶ山喜だ。
千明組に落ち着く前、山喜は博徒としていくつもの組を渡り歩いたと聞いている。その山喜が言うならば、女ヤクザというのは有り得ない話ではないのだろう。
幸い、ここにはしきたりにうるさいお偉方も居ない。組長の娘ならば資格は十分だ。
「でもよ、そういう話でもねぇだろ。お嬢が組のモンになりゃあ、間違いなく跡目争いになる。お嬢を無理やり手籠めにして組長の座を手に入れようって輩も出てくるんじゃねぇか?」
「んなこたァさせね……っああああああ」
激昂して身を起こそうとした組長が、腰の痛みに再び悲鳴を挙げる。
組長がいくら怒ったところで、そういう連中からお嬢を守ることは不可能だ。一日中お嬢を監視する訳にもいかないし、何よりお嬢がそんな待遇を拒絶するだろう。
女一人モノにするだけで千明組が手に入るというのなら実に安上がりだ。組員に限らず、様々な有象無象がお嬢を付け狙う。
「……まず、お嬢を自由にするためには跡目争いから遠ざける必要があります。親父、腰が治ったら一筆お願い出来ますか」
「何て書きゃあいいんだ」
「詳しい文面はこちらでご用意いたしますが――相続の拒否ですね。とにかく、お嬢には組長の座を相続しないと、そう契約していただければ」
「……んなもん、役に立つのか?」
元の世界であれば、組長が一筆残したところで抜け穴はいくらでもあっただろう。
けれど、アルカトルテリアの神域内であれば、結ばれた契約は確かに果たされる。
伏見の説明を聞いて、組長はわずかに顔をしかめた。
「この……なんだ? 異世界ってヤツはよく分からねぇなァ。テメェの言うことだ、間違いはねェんだろうが……」
「よく分からねぇのは自分も同じで。一体何が何なのか」
この世界にやってきてしばらくたったけれど、伏見にとってもわからないことだらけだ。
神だの、神敵だの。
さらに困ったことに、この世界の住人ですら「この世界のルール」を科学的に理解している訳ではないらしい。
これからのことを考えると、頭が痛くなりそうだった。
「ともあれ、お嬢の話です。跡目の問題はいいとして――実際、親父はお嬢にどうして欲しいんですか」
「どうって、なぁ……」
うつ伏せになったまま、組長は深く深く息を吐く。
「そりゃあ、いきなりこんな世界に飛ばされてよ。娘のことを心配しない親なんざいねぇよ。でも、なぁ。……実の娘をヤクザもんにしようなんて、そんな親がどこにいるってんだ」
そう。
つまるところ、それが問題だ。
娘を守りたいけれど、かといってヤクザにはしたくない。
世間様に顔向けできる商売であれば、こんな風に思い悩むこともなかっただろう。極道という生き方は、つくづくどうしようもない。
「ひとまず。お嬢の件、自分に任せちゃいただけませんか」
正座をしたまま、伏見は半歩分、組長ににじり寄る。
「……どうするつもりだ、伏見」
「どうにもこうにも。お嬢にはうちの仕事がどんなもんか実際に体験して貰いましょう。諦めてくれれば良し、それでも諦めないようなら――親と娘、膝と膝ァ付き合わせてよおく話し合って下さい」
「しかしなぁ……」
未だ決めかねる組長に、伏見ははっきりと言い切った。
「この良く分からねぇ異世界で、日本人は俺ら九人だけなんですよ。そんな中でお嬢だけが仲間外れってのは、寂しいじゃねぇですか」
「伏見……」
――とまぁ、なんだかいい感じのこと言ってやったぜ的な空気の向こうで、山喜がうつ伏せのまま指を折る。
「俺ら二人にトシエちゃん、お嬢、伏見、三ツ江、八房に、駒田篠原向山……」
パーだった両手が、ちょうど最後の名前で二つともグーになる。
十人。
「……伏見、誰を忘れてた?」
「えっ、あっ」




