062話.少女たちの寝物語
鼻腔の粘膜から有効成分を吸引するエルフに、ヤクザがドン引きしていた頃。
アウロクフトからほど近いトルタス村では、働き疲れた村人たちが深い眠りについていた。
何しろ収穫期だ。夜明けから日暮れまで働きどおしで、夜には祭りの前祝い。村人も人足も区別なく、自棄のように酒を呑んで、潰れたものから順に麦わらの山へ放り込む。
備蓄していた食料もありったけ振る舞った。保存食など一年ももたず、代わりの食糧はアルカトルテリアから買い入れているのだ。祭りの分だけ残っていればそれでいい。
――そんなどんちゃん騒ぎがおしまいになり、村はしんと静まり返る。
火も消え、道端には酔っ払いが転がり、どこぞの家の親父が高らかにいびきをたてたそんな時。
トルタス村の片隅にある小さな家で、子どもたちは囁きを交わしていた。
「……ね、お母さん寝てる?」
「うん、大丈夫だよ。きづいてない」
かち、かちと音がして、ガラスランプに火が灯る。
照らされたのは、二人の少女だった。
「……そんなのはじめて見た……」
「すごいでしょ。伏見さんから貰ったの。ライターって言うんだって」
チャイルドロックを押さえながら、ファティは得意げに百円ライターのレバーを引く。シュっとガスの漏れる音がして、噴出孔に小さな火が浮いた。
このライターもまた、伏見がこの世界で作ろうとしている物の一つだ。何しろ構造が単純で、手軽に作れるうえに需要は絶えることがない。
マッチも考えてはいるのだが、アルカトルテリアでは燐が手に入らなかった。伏見の知識では、尿を煮込んで燐を発見した錬金術師――なんて話をひねり出すので精いっぱいだ。今はマトロの下、ライターの試作品が作られているはずである。
――ちなみに。現代と同レベルのライターを作るためにはセリウムが必要で、燐の生成以上に難しいことなのだが、伏見はまったく気づいていない。ファティやシルセは言わずもがなだ。
コンビニでおまけにもらえるような百円ライターを、ファティは大事そうに仕舞い込む。こちらで設えた専用の革袋だ。サイドテーブルに置いて、またベッドに寝転がる。
「伏見さん、どうしてるんだろうね。今日は帰ってこなかったみたいだけど……」
「大丈夫、だと思うけど。ほら、大人だから」
そう言うファティも不安げだ。
エルフに呼び出された伏見は、結局帰ってこなかった。殺された――なんてことはないだろうけれど、アウロクフトは迷いやすい森だ。迷い、遭難しているということは大いに有り得る。
森の中には小規模の都市が点在し、その境界線に近づくたびに認識が大きくズレてしまうのだ。木々の葉は太陽を隠してしまい、方角を確かめることすら難しい。
明日になっても帰ってこなければ捜索隊を作ることも視野にいれなければならないだろう。ファティは目を閉じて、その為に必要な段取りを思い浮かべる。
隣に寝転がっているシルセは、うつ伏せになって右手をランプの明かりにかざしていた。
「えへへ、今……えっと、十時だって。こんな時間に起きてるのって、なんかヘンなかんじ」
「……それ、腕時計?」
大きすぎてぶかぶかなそれに、ファティが目ざとく気付く。
その時計は、ファティが持っているものと同じタイプのものだった。左手を伸ばして、シルセの右手に添える。
「おんなじのだ。お揃い?」
「うん、お揃いだね」
にへら、と二人は笑い合って。
「伏見さんに貰ったの?」
「ううん、三ツ江さんに。仕事のお礼だって」
「仕事?」
「えっと……いろんなことを話したり、うちの村に案内したり……。そしたら、村が」
言葉を詰まらせる。
眼差しの先で、腕時計の安っぽい金メッキがランプの火を映していた。
その後のことは、口に出すことすら憚られる。既に葬儀も終わり、生き残った村人たちはいつも通りに働き始めたけれど――忘れられる訳は、ないのだ。
シルセが見たのは、血痕やゴブリンの死骸、家屋の壁に残る焼け焦げた跡。それくらいだった。
村が襲われている時、シルセは伏見たちと一緒にいた。埋葬も大人たちが手早く終えてくれたのだ。それでも、ふとした時――毎朝聞こえていた挨拶がなかったり、いつもは見えていた赤い屋根が見えなくなっていたり。そんな時に、遅れて彼らの不在を思い出すのだ。
村のあちこちに、彼らの生きていた痕跡が染みついている。
「……ごめんね、なかなかこっちに来れなくて」
気遣うようにファティは言うけれど、彼女だってこの二週間は苦労の連続だ。伏見との商談が決まりかけた時、思わぬ乱入者によって貶められ、商会も、少女自身の自由すら奪われるところだった。
その詳しい事情は知らずとも、ファティの声色になにか察することがあったのだろう。シルセは再び笑って、寝台の上で寝返りをうつ。
「ううん。もう大丈夫だから。他のみんなもね、祭りはまだか、楽しみだって、そんなことばっか言ってるよ?」
「……そう。うん、そうだね」
楽しみがあるというのは、いいことだ。一つ、次へ進むためのきっかけとしてはぴったりだろう。
そうやって人生に節目をつけて、また次の節目まで歩いていく。
商人としての目線で見れば、トルタス村の状況は決して悪くはないのだ。麦畑にもほとんど害はなかったし、死者の財産は――冷酷ではあるけれど、生き残った村人たちで山分け出来る。
加えて、伏見らは自らの都市で栽培していた作物をこの村で作るつもりのようだ。次の停泊までには新たな設備を導入する予定で、ファティの元にも温室を作れないかという打診がされている。壁や屋根をガラス張りにした建物だ、そんなもの、アルカトルテリアにだって数えるほどしか存在しない。
そうした資本の注入もあり、アルカトルテリアで雇い入れた人足の間にも移住を決めた者が何人もいる。次にアルカトルテリアが停泊するころには、この村は見違えたようになるだろう。
「ね、ファティちゃんはいつまでいられるの?」
「うーん……一度、帰らなきゃいけないかも。今、伏見さんとお仕事しててね。新しいことがいっぱいだから忙しいの。でも、お祭りの日にはまた来れるから」
「そっかー。ファティちゃんは、すごいね」
もう一度、シルセが寝返りを打った。ファティに背中を預けるような恰好だ。タオルケットのような薄手の布団が引っ張られて、シルセの足が片っぽ、はみ出してしまう。
「そういえば、伏見さんってどこから来たのかな」
「分からないけど……多分、ずっと遠い所だと思う。あんな人たち、今まで聞いたことなかったもの。不思議な道具を沢山持ってて、見たこともない服を着てて」
「お話の『かみさま』みたい?」
「そうそう」
寝物語で聞いた色んなお話を思い出して、二人の少女はくすくす笑う。
半年ぶりに、やっと二人で話す時間を貰えたのだ。会話は尽きることがない。けれど、会えなかった半年よりも、この二週間余りに起きた出来事が多すぎて、気付けば伏見たちの話ばかりしていた。
シルセの両親に気付かれてしまったら、きっと二人とも怒られてしまうだろう。だから声は小さく、囁くように。顔を寄せ合って、絶え間なく言葉を交わす。
「もしかして、伏見さんのことが好きなの?」
シルセの言葉も、そんな話題の一つだった。
突然の質問にファティが息を引きつらせ、しゃっくりのような音が部屋に響き渡る。誰かに聞かれてはいないかと辺りを見渡して、すぐさま布団の中に潜り込んだ。
「え、えと……どうかな。どうだろ。分かんない……」
「顔、赤いよ?」
そんなの、言われなくても知っていた。頬や耳が熱くなって、急に恥ずかしくなる。思わず両手で顔を覆い、指の隙間から、ファティはシルセの顔を見た。
「そういうシルセは、どうなの。好きな人、いるの……?」
シルセの顔を見て。
その目は、ファティの後ろを見ているようだった。視線を追って寝返りをうつと、板張りの壁がランプに照らされて――そのわずかな隙間から、白い煙のようなそれが音もなく、部屋へ這入ろうとしていた。




