061話.ヤクザ、ドン引きする
「あれは日焼けしたエルフです」
「日焼けしたエルフ」
日焼けしたエルフってなんだよ。
そう言いたげな伏見の目線にも気づかず、シドレは詰まらなさそうに言葉を続けた。
「私たち、日差しには弱いんですよ。一日二日ならともかく、何年も暮らしてると肌が真っ黒になっちゃって」
「……んじゃ、さっきのエルフは出戻りか何かかい」
「何年かに一度、外地がどうなっているのか知るために探索者を送り出すんです。……私たちだって、それほど世間知らずではないんですよ」
それは――まぁ、そうなのだろう。
鎖国時代の日本ですら出島があり、天文学や薬学を含む蘭学を教える教育機関も存在していたのだ。外部との交流を拒んでいるからこそ、アウロクフトへの敵意を気にかけずにはいられない。
「しっかしまぁ、よく戻ってきたもんだね。使命感てヤツか」
「いえ。探索者は帰らずにはいられない。そういう風になっているんです」
「帰らずにはいられない……?」
どこか不穏なシドレの言葉に、伏見は眉をひそめる。
けれど、無駄話はここまでだった。一行はもう神樹の元に辿り着いて、先頭のシドレが足を止める。促され、伏見は神樹の根本へ三ツ江の身体を横たえた。
「兄貴、すんません……」
「あー、気にすんな気にすんな。さっさと治して貰え。……んで、治療ってのは何するんだ?」
前半は三ツ江に、後半はシドレに向かって言う。
シドレは伏見らと離れ、納屋へと歩いていた。壁面に立てかけられていた道具を手に取って、重たげに伏見へ差し出した。
「まず、そこに穴を掘って下さい。人が埋められるくらいのヤツを」
「……コイツまだ死んでねぇんだけど」
「なんだか妙に手慣れてますねぇ」
「そりゃまぁ、商売柄な」
そういう目的の時は野生動物に掘り返されないよう、深く掘らなければならないのだけれど。
今回埋めるのは死体ではなく弟分だ。浅く広く掘った穴にその身体を転がし、呼吸出来るよう頭を避けて土饅頭を作り上げる。
刃先に金属を嵌めた木製のスコップは随分使いづらかったけれど、落ち葉混じりの土は柔らかくて助かった。ほんの十分ほどで作業を終え、伏見は地面にスコップを突き立てる。
「こんなもんでいいのかい」
「ええ、後は神樹がイミュシオンの障りを吸い取ってくれますから」
本音を言えば、もっとファンタジー的な魔法や薬草をふんだんに使った治療を期待していたのだけれど、治るというのであれば文句はない。
伏見がしゃがみ込み、地面に埋められた三ツ江の顔を覗き込んだ。
「三ツ江、大丈夫かー? 身体楽になったりしたかー?」
「あー……なんか、学生ん頃砂浜に埋められたの思い出しますわー」
そんな経験したこともなかったので、伏見はちょっと悲し気な顔をした。
横になったおかげか、それとも既に治療の効果が出ているのかは分からないけれど、三ツ江の体調は少しずつ回復しているようだ。呼吸も穏やかになり、血色も良くなっている。
「じゃ、私たちは治療が終わるまでお茶でもしましょうか」
「そりゃ構わねぇが、治療はどれくらいかかるんだ?」
「夜明けまでには終わりますよ」
そう言ってシドレは神樹の裏へと歩き始めた。穴掘りを手伝っていたレーネも、スコップの手入れを早々に終えてシドレの背中を追う。
「ま、そういう訳だ。ちょっと茶ァシバいたらまた様子見に来っから」
「ういー……っス」
眠気の混じった返事に手を振って応えつつ、シドレを追って神樹の裏へと向かう。
そこにあったのは、さっきの納屋と似たような古さの建物だった。シドレがドアを開けると、その奥に地下へと続く階段が見える。
「足元に気をつけてくださいねー」
松明を手に、シドレは躊躇なく階段を下りて行った。
足元の石段はぬめり、壁面に張られた板の隙間から神樹の根がのぞく。一歩下りるたびに、むせ返るような土の匂いが伏見の鼻を突いた。
果たして何メートル下りたのか。階段の終わりで、シドレが扉を開く。
手に持っていた松明で明かりを灯したのだろう、扉の向こうから光が漏れていた。足早に階段を下りて、部屋の中へと入り――伏見は言葉を失った。
そこにあったのは図書館だ。
神樹の太い根が柱のように伸びる地下空間。一辺が二十メートルを超える広間の壁面は書架で埋め尽くされ、装丁のない紙の本や羊皮紙が所狭しと並んでいる。
その片隅。
ペンやインク、本、革、紐に糊で埋め尽くされた書斎机に行儀悪く腰掛けて、シドレはこちらを見ていた。
「どうですか? 神樹の地下書庫――村人も近寄らない、アウロクフトの心臓部は」
「これこれ! こういうのを待ってたんだよ!」
伏見のテンションに、シドレがちょっと引いた。
「あ、いや失敬。――しっかし、すげぇなここ。俺みてぇなのが入っても良かったのかね」
「だって、家には上げられないじゃないですか。私、こう見えても未婚なんですよ?」
「未婚、ねぇ……」
エルフは長命だと聞いていた。シドレの外見は精々女子大生くらいにしか見えないが、結婚するのが当たり前の年齢なのだろうか。
気にはかかるが、何しろ女性の年齢だ。正面切っては聞きづらく、伏見が黙り込む。
シドレと言えば、そんな伏見の様子も気にかけることなく、一緒についてきたレーネにお茶を頼んでいた。書斎机の隣にあるドアを開けてレーネが退室すると、会話もなく、書庫の空気が静けさを増す。
「……この本が、かつての栄光ってヤツかい」
シドレの言葉だ。
イミュシオン――アウロクフトの神敵は、彼らがかつての栄光を取り戻そうとするたびその芽を摘むのだという。
衰退森林都市・アウロクフト。
その名に冠する衰退の二字こそが、過去の栄華を物語っていた。
「何百年も前、私たちの祖先はこの森がちっぽけに見えるくらい広大な都市圏を築いていたそうです。崩壊後はその知識を保存し、今に至るまで連綿と伝え続けたんですよ。中には外地から手に入れた書物もあったりして。新しい村が出来るたびに、写本を集めてまた図書館を作って――」
長広舌に疲れたのか。言葉を切って、シドレは自嘲する。
「――この場所は、アウロクフトの未練そのものです。役にも立たない知識をひたすら抱え込むための私の仕事場」
新たな技術の開発も出来ず、埋もれた技術の復古もままならない。飾って眺めるだけの紙の束、それらを守り管理するだけの仕事は確かに無為だ。
「村人が近づかねぇってのは……怖ぇからかね。知るだけなら害はないとはいえ、知ったら試したくなるもんなァ」
「分かってるじゃないですか」
「俺らがろくに止められもせずここまで来れたのだってそうだろ。外の人間と話して、何かを知ってしまうことが怖ぇんだ」
技術の魔力、とでも言うべきだろうか。
知れば、試さずにいられない。
空を行く鳥に憧れて崖から飛び降りるようなものだ。鳥が空を飛んでいるから、人も飛べるのではないかと考える。アウロクフトの住人にとってはそんな憧れ一つが致命的だ。新たな技術を試すだけで――殺されて、しまう。
だから怖い。
知るだけならば問題ないとしても、知れば誘われるから――知ることが怖い。
「……やりづれぇな、まったく」
溜息を吐く。
千明組にとって最大の武器は、この世界にはまだ存在していない知識や技術、そしてそれらを証明する様々な品々だ。
交渉の切り札と成り得るはずのそれが、アウロクフトでは無価値になる。それどころか、その知識を持っているからこそ恐れられるのだ。
どうにも噛み合わない。
「……レーネが来ましたね」
どういう耳をしているのか、その言葉から何秒も待って伏見にも足音が聞こえる。
ドアが開くと、レーネがその小生意気な顔をのぞかせた。手に持っていたトレイを書斎机に下ろし、緊張を解いてふっと息を吐く。
「姐さん、茶ぁ淹れましたけど……」
「ありがと。アドレの方、どうなってるか見てきてくれる? あの娘ったら口下手だから」
「行ってきます!」
命じられて、レーネは小走りに地下書庫を飛び出した。その足音が聞こえなくなるまで見送った後、シドレはトレイの上に置かれたポットに手を伸ばす。
「伏見もどうぞ? 気が休まりますよ」
「そりゃどうも、ご丁寧に」
湯気の立ち昇るカップに口をつけて、伏見はようやく疲労を自覚した。
早朝にアルカトルテリアを発って、馬車と軽トラを乗り継ぎ、挙句の果てに正体不明の化け物から逃走してここまで来たのだ。無理もない。
暖かな飲み物に、ふっと気が緩む。
口にした茶はどうにも青臭く癖が強いが、飲むたびに活力が沸く気がした。
「ドライフルーツもいかがです? 今のうちに少しでも食べておかないと、帰りがつらいですから」
「そりゃありがたいが、そちらは大丈夫なのか」
皿ごと差し出された枝付きの木の実を摘まみつつ、伏見が尋ねる。
一口だけ茶を飲むと、シドレはすぐにカップを置いた。代わりに手を伸ばしたのは、書斎机の隅に置かれた小さな革袋だ。
口紐を解いて、革袋の中身を摘まみだす。
「私はこれだけで十分です」
それは、ガラスのように透き通った琥珀だった。小指の先ほどのひとかけらを、乳鉢で丹念に磨り潰す。
「……それは?」
「神樹の樹液を固めたものです。これが疲れによく効くんですよー」
白い粉末になった琥珀を、シドレは無造作に机の上へと払い落した。紙の端で一直線になるまで整え、机に伏せるように顔を近づける。
一息に、鼻から吸引してみせた。
「あっ、これっ、コレがキくんですよぅ……!」




