060話.ヤクザ、エルメの村へ
森は生命の宝庫だ。
木の実や野草は野生動物を育み、人はそこからほんの少しだけ分けてもらう。畑と違って手間はかからないけれど、一方で面積比における収穫量で劣り、また季節によって大いに左右される。
採れる時に採っておく、ということなのだろう。エルフの村への道のりは食材を調達しならがのゆっくりとしたものだった。
山菜やキノコが主だが、虫も――まぁ、何匹か採っていたようだ。聞けば、罠猟なども盛んだと言う。ごちそうされるならそちらの方でお願いしたい。
歩くたび、荷物が増えていく道程の末。
伏見らが案内されたのは、何の変哲もない森の一角だった。
「……ここがそちらさんの村なのか?」
門や柵などの人工物、日が落ちたにも関わらず明かりの類も見つからない。いくら森を重要視しているとしても、人の暮らす場であれば火を全く使わないというのは有り得ないだろう。
「来れば分かりますよ」
そう言って、シドレが伏見の手を引いた。
境界を、超える。
ある面を境に空気が変質した。ぬるま湯に手を突っ込んだ時のような感触を腕、顔、そしてつま先まで通り過ぎて、確かめるように伏見が振り返る。
背後にあるのは、取り立てて代わり映えのない森の景色だ。残ったエルフと三ツ江がこちらを見て――レーネと、もう一人のエルフとは目が合った。けれど、三ツ江はきょろきょろと目線を泳がせるばかりだ。
「……見えてねぇのか」
「見えない、だけじゃないですよ。私たちに招かれない限り、入れないし気づけません。便利でしょ?」
こんな超常現象を便利という言葉一つで片付けてしまうあたり、常識の違いを見せつけられる。その場に立ち止まって境界面を探る伏見を置いて、シドレはまた歩き始めた。
境界の内側も、また森だ。けれど、遠くからは先ほどまで見えていなかった炎の明かりが漏れている。
カーテンを開くような手振り一つで森が開いた。その先に見えるのはかがり火だ。村の入口――いや、帰り着くための目印だろうか。柵も塀も見当たらない――そもそも、外地の人間がここまでたどり着くことなど有り得ないのだ。先ほど超えた境界がこの村の防壁であり、何よりも固く閉ざされた門である。
「――ようこそ、アウロクフトはエルメの村へ。歓迎は期待しないように。貴方は、異邦人に過ぎないのですから」
芝居がかった身振りでシドレは伏見を迎える。
背後では三ツ江がレーネに背中を押され、もう一人のエルフに支えられながら境界を越えていた。
幸運か、それとも不幸中の幸いと呼ぶべきだろうか。
千明組のヤクザは、閉ざされた森の奥へと侵入を果たしたのだった。
外部から隔絶した都市――とは言っても、その暮らしぶりは想像の枠からはみ出るような代物ではなく。
木をくり抜いた家とか、村に入るなり弓矢で狙われるとか。
そんな光景を想像していただけに、伏見は拍子抜けしてしまう。
「なんつーか、案外普通だなァ……」
「……外の人はいろいろ言ってるみたいですけど。そりゃ、私たちだって普通ですよ」
シドレはそう言うけれど、アルカトルテリアやトルタス村とは雰囲気が違う。
木々の密集した森の中に無理やり家を建てたような構造がエルメ村の特徴だった。魔法使いの帽子みたいなトンガリ屋根の建物は柱も壁も全てが木造で、その継ぎ目をなぞるように苔が深く根付いている。
村の中央には地下水を汲み上げる井戸があり、その奥には一際目立つ大樹が、村を覆う庇のように枝葉を広げていた。
「アレが神樹ってヤツか」
「ええ、あの木が私たちの神、アウロクフト。……珍しいですか?」
「いやぁ、そうでもねぇよ。うちの近所にも似たような信仰はあった」
もっとも、神の依り代たる神木と樹木そのものを神格として扱うアウロクフトでは意味が違う。八百万と言うだけあって日本書紀にも木を司る神は存在しているのだが、生きた木が神に成った例はない。
ご神木や鎮守の森など、神聖視される一方で神にまでは至らない。アルカトルテリアの巨象のように、神が実在するこの世界では人の形を持たない存在の方が神聖視されやすいのか。
確かに――神樹アウロクフトは、信仰を捧げるに値する偉容を夜空に誇っていた。樹高は目測でも三十メートルを超え、直径五メートルほどの幹がいくつも絡まり合い一つの樹形を形作っている。
伏見には見覚えのない木だ。葉の形は、強いて言えばカレーや煮込み料理に使うローリエに似ているだろうか。伏見の推測が正しければ、この神樹もまた元の世界に存在したものなのだろうが――どうにも思い当たらない。
長い年月を経て進化したのか、あるいはアルカトルテリアの巨象のように、信仰から生まれた地球には有り得ざる存在なのか。
神樹を見上げながら村を歩けば、伏見らの姿は否応なく人目を引いた。
髪や肌の色、顔つきはもちろんのこと、伏見のスーツや三ツ江のジャージはアウロクフトの物と違いすぎる。こちらを注視するエルフの服装は麻や革、毛皮を素材にしたものばかりだ。
遠巻きで怯えるような視線は居心地悪く、伏見の想像していたエルフ像とも大きく異なっている。
「……普通に入っちまったがいいのかね」
「アドレが説明に回ってくれてるから」
確か、もう一人のエルフがそんな名前だったか。振り返れば、三ツ江を支えていたはずの姿が消えていた。いつの間に手を回していたのか、随分手際がいいものだ。
「村人にはなんて説明を?」
「怪我人を拾ったから手当てをする、とだけ。……仕方ないじゃないですか、本当のことなんて言ったら混乱とパニックで治療どころじゃないですよ」
「ま、そりゃその通り……」
声を潜め、三ツ江の腕を担ぎ上げて伏見はシドレの後についていく。
一行が目指しているのは神樹の根本、そこに建つ一際古い建物だ。宗教施設――というよりは、木々の世話をするための納屋のようだった。ひび割れた壁面の板材には縄や桶が吊るされていて、彼らの生活ぶりを垣間見たような気分になる。
貧しい――とまでは言わないが、トルタス村とそう変わらない質素な暮らしだ。輸出入に頼らず、技術の発展もないとすればその生活は清貧と呼んでいい。
明かりすら乏しく、点々と灯されたかがり火は心許ない。星明りすら神樹の枝葉で遮られ、エルメの村は深い暗闇に閉ざされていた。こんな場所で暮らしていたら、肌だって白くもなるだろう。
かがり火の延焼を防ぐ為なのか、エルメの村では夜間の巡回が行われているようだった。二人組のエルフがこちらを咎めるが、シドレと二三言葉を交わしただけで素直に引き下がる。
外部との交流を拒絶する――というのも、都市圏を包む境界線ありきのことなのか。
ただ、そんな考察なんてどうでもよくなってしまうくらい気になることが出来てしまった。通り過ぎていく巡回のエルフを目で追いながら、伏見は恐る恐る口を開く。
「なぁ……さっきのはエルフ……エルフだよな?」
「そうですけど」
それがどうかしたのか、という表情でシドレが首を傾げた。
当然、言うまでもなく、どうかしているのである。
「あの、肌が黒い方は……アレか、ダークエルフって奴なのか?」
二人組の片方は――金髪に浅黒い肌の女性だった。暗い森の中で暮らすエルフには有り得ない、健康的な小麦色。
昆虫食の件で落ちていた伏見のテンションが、ちょっと回復する。
けれど。
なんというか、この世界はあまり伏見に優しくなくて。
「あれは日焼けしたエルフです」
「日焼けしたエルフ」




