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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
衰退森林都市・アウロクフト
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057話.ヤクザ、立ち向かう

 霧の化け物から逃げ続けた伏見の前で、唐突に森が途切れる。

 川だ。幅は十メートルほど、水底が覗けるほどに浅く、緩やかに清水が流れている。川底には丸石が転がり、その表面はぬめる藻で覆われていた。

 普段なら苦もなく渡れていただろう。けれど、今は背後に敵がいる。森の木立すら素通りする霧の化け物にとって、こんな川など障害物にも成り得ない。

「三ツ江、このまま突っ切れるぞ、出来るか!?」

 返事はない。

 振り返った先で、三ツ江は木の幹にその身体を預けていた。息はか細く、呼吸音は笛のようにかすれている。病か、毒――だろうか。霧の化け物は口から三ツ江に這入り込んだ。その影響であるのは間違いあるまい。

 悪態をつきながら、伏見が三ツ江の腕を担いだ。半ば引きずるようにして歩き出す。

 背後の森からは、既に霧の化け物が姿を現していた。一体、二体――次々に増える敵を数え上げる暇もない。

 濡れることも構わず、膝下で水を切るように川を渡る。

「ああクソッ、歩きづれぇ……!」

 悪態を吐く伏見の背中に、腕が――腕と、呼んでいいものか。白く、輪郭も曖昧な塊が、伸びる。

 口を塞がれる、その直前に。

「霧だか何だか知らねぇが――土が効くなら、コイツはどうだ!」

 振り返る伏見の足が水面を蹴り払う。

 子どもの遊びだ。蹴り足を追うように水面がしぶきを上げて、伸びた腕を切り落とした。

「……効いてんのかな、これ」

 川上に位置取りしつつ、伏見は霧の化け物を観察する。

 先ほど、腐葉土をぶっかけた時よりもずっと効果はあったようだ。たった一回で化け物は明らかに密度を薄く、形を崩している。二回、三回と続ければすぐに消滅した。

 先ほどのように沸こうとしても――川は流れているのだ。その頃にはとっくに川下へと遠ざかっている。

 あとは、沸いて出たあの化け物共が居なくなるまで水をぶっかけ続ければいいだけだ。

「……なんか、今日はどうも恰好がつかねぇなァ……」

 今日やったことと言えば、逃げて、土ぶっかけて、逃げて、今度は水をぶっかけて。

 一応、正体不明の化け物と命がけで戦っているのだけれど。

 はた目から見れば遊んでいるようにしか見えず、本人としてもなんかこう、ヤクザってこんな感じだったっけ……という自嘲にかられたりしていた。

「なんか、なぁ……異世界ってもっとこう、さぁ……」

 完全にやさぐれている。

 向こう岸へと渡り、川辺に三ツ江を転がして伏見は作業に戻った。

 対処法が判明し、安全に倒すことが出来るのなら作業と言っても差し支えないだろう。

 拾った木の枝やその辺の小石で水しぶきをたてて、霧の化け物を処理しつつ伏見が思考を巡らせる。

 ただの腐葉土や水でも効果があるのだから、幽霊や亡霊の類ではなさそうだ。煙、霧、あるいはガス――そういった物質で構成されているのだろう。

 霧の化け物を溶かし込んだ水しぶきは黒く淀み、川下では魚の死骸がいくつも浮かんでいた。水を汚染する気体――そう言われても、ぱっとは思いつかない。いや、思い当たる物質が多すぎて判断できないのだ。その正体はひとまず保留にしておくとして。

 神敵――都市を滅ぼすという存在の一種、だろうか。

 だとすると伏見らが襲われた理由が分からない。トルタス村の神敵、あのゴブリンもどきは伏見達になど目もくれなかったのだ。無差別に人を襲うタイプが存在するのか、それとも伏見達が何らかの条件に抵触したのか。

 今後も襲われるのなら、対策は必要だ。

 最後の一体に水をかけて、伏見が思案を終える。

「三ツ江、体調はどうだ? 歩けるか?」

「……ウス。走るのはキツそうっスけど、歩くくらいならなんとか……」

 まだ呼吸は荒いが、立ち上がれるくらいには回復したようだ。

 川辺をふらふらと歩き、三ツ江が深く腰を折る。

「……すんません。オレ、役に立ちませんでした」

「病人に謝らせるほど鬼じゃねぇよ。とっと頭ァ上げろ、ケツが痒くならぁ」

 言い捨てて、伏見は頭を掻きながら歩き出す。

 この世界に来て、まだ一か月も経っていない。考えるよりもまず、知っていそうな人間に当たるべきだろう。エルフのシドレか、あるいはアルカトルテリアのファティか。

 川辺に打ち寄せられた魚の死骸をまたぎ、川の中へ。ざぶざぶと音を立てて伏見は歩みを進める。

「足元、気ィ付けろよ。無理だったらこける前に言えな」

「……兄貴、ソレなんか動いてません?」

「あん?」

 振り返ると、三ツ江は水際を指さしていた。

 汚染された水で死に、白い腹を膨らませた魚の死骸だ。言われてみれば、もがくように痙攣している。

「まぁ、そういうこともあるだろ。なんか問題あるか?」

「んじゃ、アレも問題なし……っスか」

 そう言って三ツ江が下流を指さす。

 そちらではより多くの死骸が転がり――痙攣し、身を寄せ合って、一つの塊としてうごめいていた。

「なんだ、ありゃ」

 それはもはや、魚の原型を留めていなかった。

 何匹もの魚が集まり、その腹が風船のように張り裂ける。互いの身体を磨り潰すように蠢いて、道々に転がる魚の死骸を吸収しながらこちらへと近づいてきた。

「フィッシュゾンビ……いや、フレッシュゴーレムかな」

「フィッシュかフレッシュかどっちっスか」

 ちなみに、フレッシュゴーレムとは生肉を素材にしたゴーレムのことである。グロテスクなのでゲームにはあまり出てこないが、TRPGなんかではたまに見かける。

 練りあがったその化け物は、魚に手足が生えたような姿でのたのたと歩いていた。鱗もなければ目玉もない。川辺の小石を巻き込み、その質量を増大させながら伏見らに近づいてくる。

 それは、とことん現実味のない光景だった。

「……オメェ、おでんの具は何が好きだ?」

「えー、ベタにタマゴっスかね。牛スジも捨てがたいっスけど」

「そこは練り物で答えろよ」

 雑談をしながら、伏見は懐の銃を抜いた。

 試しに一発。乾いた銃声は水面を震わせ、撃ちだされた銃弾は魚もどきの頭に見事命中する。

 化け物はわずかに身をのけぞらせ――けれどそれだけだ。体内に留まった銃弾ごと、深い銃創を肉が埋めていく。

 痛みを感じていない。いや、痛覚そのものがないのか。

「……そういや、魚に痛覚がないって書いてたのは誰だったかな」

 子どもの頃に読んだデマを思い出しながら、伏見は次の手を考えあぐねる。

 霧の化け物とは違うタイプの物理無効だ。前者は攻撃しようが意味はなく、後者は――いくら傷つけようと、いくら殺そうと死ぬことがない。

 借りにも魚なのだから、川を渡って逃げることは難しいだろう。森の中であれば逃げることは可能だろうが、今度は帰り道を見失う。

 おまけに、魚の死体はまだあるのだ。

 今は大型犬くらいのサイズだが、これ以上肥大化すれば手に負えない。

「三ツ江、お前も持ってんだろ。貸せ」

「……やる気っスか」

 何を、と問いはしなかった。

 三ツ江が懐に隠していた短ドスを受け取り、片手でナイフのように構える。

「いい加減逃げるのも飽きてきたしなァ。刺身になるまで切り分けりゃあ、噛みつくことも出来ねぇだろうよ」

 魚もどきが近づいてくるにしたがって、そのディティールが明らかになる。

 間抜けに開いた口には骨をより合わせて作られた歯が覗き、ヒレが変形した四肢の先端には鋸状に鱗が並んでいた。材質はどうあれ、その鋭さは人の肉など容易く貫くだろう。

 長い尾をバネのように使い、魚もどきが弾けるように飛び跳ねる。

 その跳躍をステップ一つでかわし――かわそうとしたのだけれど。

 魚もどきが伏見に喰らいつくよりも早く、その横っ腹に矢が突き立った。

 空中で姿勢の制御を失った魚もどきは成す術もなく伏見の足元へ転がり、地面に転がったその身を次々に矢が貫く。

 見れば樹上にはエルフの射手が弓を構え、そのすぐ下にはシドレが、呑気に手を振っていたりした。

 どういう理屈か、銃弾をものともしない魚もどきは矢傷をきっかけにその身を崩す。川下で成長中だった魚もどきも、その悉くが矢に貫かれて動きを止めた。

 救われたと、言っていいのか。

「……なぁ、三ツ江。俺の見せ場、どこにいった?」

 見せ場などない。


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