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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
衰退森林都市・アウロクフト
56/130

055話.ヤクザ、接近する

「えぇっと。そちらの組長にお渡しした薬も供給出来なくなるんですけどー。いいのかなぁ、それ」

「……どういうことだ」

 自然、声は低くなる。

 組長は千明組の大黒柱だ。実質的な指揮権こそ伏見が握っているが、そんなことは関係ない。千明組における正統は組長に他ならず、この異世界で千明組が千明組として存在する為の看板――なのである。

 この世界において、伏見は既にいくらかの成果を得た。例え組長を失おうとも三ツ江を含み組員の殆どは伏見につくだろう。けれど、全てではないのだ。

 日本の知識を持った組員が伏見のコントロールを失い、好き勝手に動き出す。商売敵になることも有り得るだろう。言うまでもなく、組員が担っていた仕事を失い、千明組は力を失う。

 状況の複雑化に千明組の弱体化。考えたくもない事態だ。未然に防ぐ為には組長の存在が欠かせない。

 そして、何よりもまず。

 組長は身内なのだ。

 血の繋がりではない。盃事によって結ばれた親と子だ。

 自らの親父を見捨てれば、伏見はヤクザですらいられなくなる。

「オイ。どういうことだって聞いてんだ。答えろ」

「もちろんお話しますよ? ですから、ほら」

 席に着けと促すシドレに成す術もない。

 どっかと椅子に座り込み、腕を組んでエルフを睨みつけた。

「はい、いい子にしてくださいねー」

 くすくすと、シドレは笑う。

 端からこうするつもりだったのだろう。まず相手の急所を掴み、そこから交渉を始める――マトロ相手に伏見がやった手だ。奇しくも、伏見にとってはやり返された形になる。相手が違うとはいえ、その事実がさらに伏見を苛立たせた。

「さっき言ったじゃないですか。あの焼け跡を見て、私たちは事実確認と協議に追われました。村の人たちに聞けば、千明組という異邦人がやったことだって言われて。それでシルセちゃんに組長を紹介して貰ったんですけど」

 脳内で、伏見は時系列を整理する。

 伏見が最後に組長と会ったのは、マトロを嵌めたその日の早朝だ。翌日、馬車と軽トラを乗り継いで千明組の屋敷に帰った時は留守だった。組長に報告がてら、トルタス村の様子でもうかがおうか――なんて考えていたら、エルフが向こうからやってきたのである。

「そしたら、そちらの組長が大変なことになってて。私たちはあくまでも善意として、薬を処方したんです」

 昨日今日の間に、薬が必要になるような何かが組長の身に起こった。シドレの言葉はそういう意味だ。

 危惧自体は既にあった。異世界と言わず、ほんの二百年前、江戸時代にタイムスリップしたと考えればいい。抗生物質もワクチンもなく、アルコールによる除菌の概念すらそこには存在しないのだ。人糞を発酵させた肥料は寄生虫の巣窟で、危険な伝染病も駆逐されていない。

 当時の平均寿命は、医療や食糧事情に大きく影響を受けている。

 加えて、人間五十を過ぎれば持病の一つや二つは確実に抱えているものだ。伏見らやお嬢はともかく、組長ら年配組にとって異世界の環境は過酷そのものだろう。

 配慮はしていたつもりではあるが――万全かと聞かれれば、不可能と答えるしかない。日本と同レベルの医療など果たして何百年かかるのか。

「それで、組長は無事なのかい」

 あからさまな親切のお仕着せはひとまず無視だ。相手にする余裕は伏見にない。組長の安否が確認できなければ、駆け引きなんて悠長なことを言ってられないのだ。

 なので当然、

「自分で確認してきたらどうですかー?」

 そう易々と、相手の弱みを手放すような真似はしない。

 今伏見が席を立てば、シドレは脅迫で済んでいた交易の停止を実行に移す機会を得る。それでいて、伏見らはそもそも交渉の場を設けるところから始めなければならないのだ。現状よりもさらに不利な条件を呑まされる。

 最悪の場合は――組長の死、そして千明組の解散。

 伏見に選べる選択肢は一つしか残されていなかった。

「……石油、そこから精錬したガソリンで森を燃やした。今後はそちらに被害が及ばぬよう、出来うる限りの配慮を徹底させる」

「兄貴!」

 成す術もなく手札を晒した伏見の言葉を遮って、三ツ江が一歩前に出る。

「なんだ、三ツ江。話の途中だ、黙ってろ」

「でも兄貴、こんなんハッタリに決まってんじゃないスか!」

「……どうしてそう思った?」

 交渉相手の目の前だ。シドレに聞かれないよう声を落とし、三ツ江は尋ねられた理由を数え上げる。

「いやだって、組長がヤバいんならここの村人が教えてくれない訳ないじゃないっスか。それに今だって、組長が本気でヤバいなら、一度組長に会わせてから交渉した方が早いっスよ」

 三ツ江の指摘は正しい。存外に的を射ている。

 ハッタリ、ブラフというものは自らの手札を相手に誤認させる為のものだ。こちらの交渉材料を強く、あるいは弱く見せて相手をコントロールする。

 伏見達が組長に会えないよう状況を縛った。その時点でシドレの意図は明白だ。伏見が席を立ち、組長に会いに行けばその時点でシドレが吹っ掛けたハッタリは意味を失う。

「……まぁ、なんだ。よく考えたじゃねぇか」

 褒めるように、伏見が三ツ江の胸板を軽く叩いた。その上で、三ツ江の意見に補足する。

「あちらさんの言葉は、まぁ九割ハッタリだろうよ。でも無視は出来ねぇ。天秤が釣り合ってねぇからな」

「天秤……っスか」

「別に、ガソリンの情報程度なら漏らしても構わねぇんだ。相当なことでもねぇ限り、この森を燃やす意味もねぇからな。賠償も、まぁ――金貨千枚程度なら惜しくもねぇよ。そんなもんで組長の安全が買えるなら、まぁ安いもんだ」

 ――それに、ただで負けてやるつもりもない。

 そう言い切って、伏見は交渉に戻る。

 エルフと言えば、五感に優れているというのがお約束だ。三ツ江との内緒話を聞き取られているかどうか、シドレを値踏みしながら。

「いや失礼、ちょっと相談をね」

「構いませんよ。――しかし、あれが石油ですか。書物では見知っていましたけど……サンプルをいただいても?」

「近日中に用意させて貰おう。どこに届けさせりゃあいい? そっちの村か?」

「トルタス村に届けてください。外地の方は村に入れませんから」

 ガソリンの取り扱い方法や性質、注意事項からエルフの森に被害を与えない為の方策まで、細かな内容を詰めていく。

 具体的には、ガソリンなどをアウロクフトへ持ち込むことの禁止、および販売する相手の規制だ。

 ……細かなことだからこそ罠を仕込まれかねない、そんな交渉には神経を使う。

 ひとしきりまとめ終えて、ようやく伏見が息をついた。

 その疲労に付け込んで、シドレはさらに畳みかける。

「賠償金は、金貨二千枚ってところでどうですか?」

「……まぁ、いいだろ。そちらも近日中に用意させる」

「あら、素直」

 三ツ江との会話を聞いていたのか、それとも偶然か。前者だとすれば、こちらが用意出来ると言った金額の倍だ。性格の悪さがにじみ出ている。

 頬に手を当て、感心するような素振りが尚更その印象を助長していた。

「支払いは金貨でいいのかね。なんならアクィール商会を通して商品を用意させるが」

「んー。半分は金貨で、もう半分は白色金貨でお願いできます?」

「白色金貨って……」

 あの、白色金貨だろうか。

 アルカトルテリアで使われている貨幣の一つだ。

 金を含んだ合金の一種で、表には知らないおっさんの横顔が、裏には迷路のように複雑な意匠が彫りこまれている。

 金貨が一万円札だとしたら、白色金貨は五千円札みたいなものだ。渡す額面としては同じなのだから問題はないが、その分重量は増す。森の奥まで運び込むのは一苦労だろう。

「別に、そりゃ構わねぇがよ。なんでまたあんなもんを」

「アウロクフトにとって白色金は特別なんですよ。レートが違いますから」

「あー、まぁそういうこともあるか」

 高校の時に読んだ歴史の教科書を今更思い出す。大航海時代、日本と海外では金と銀の通貨価値が異なり、両替だけで大層儲かったらしい。まったく交流のない経済圏ではそんなこと日常茶飯事だ。

 残りの金貨は、トルタス村との取引の為――ということだろうか。

「情報は渡した、賠償もする。これでそちらは満足かい、シドレさんよう」

「ええ、後はちゃぁんと履行さえしてくれれば、次も同じように商品を供給しますよ。……もちろん、組長さんのお薬も」

 互いを支配する法も、共通する常識もない。ならばこの交渉は外交と呼ぶべきだろうか。

 アルカトルテリアでの交渉はつくづく楽だった。契約さえしてしまえば、戒律によって確実に履行されるのだ。契約を守れと脅迫することも、借金を取り立てることも必要ない。

 本来ならば、こんな風に脅し賺し、交渉を重ねることで信頼を積み上げるものなのだろう。

 今はこれでいい。

 今回の接触は相手の情報が不足しすぎていた。アルカトルテリアも数日中にここを離れるのだ。とてもじゃないが時間が足りない。

 相手が欲をかけば、いずれ隙も出来る。

 ひとまずは閉鎖的なエルフと交渉が出来ただけで儲けもんだ。今すぐに交易を拡大しなければならない相手でもない。

 この脅迫がただのハッタリなら、いずれきっちりカタに嵌めるとして。

 伏見が席を立ち、シドレに向かって手を伸ばした。握手だ。エルフの文化がどんなものかは知らないけれど、友好の証としては一番わかりやすい。

 手を――繋ごうとして。

 一番早く気付いたのは三ツ江だった。続いてエルフらが驚きに目を見開き、最後に伏見がそれを見た。

 忽然と。

 否、そこに居るのが当たり前とでも言うように。

 霧か朝靄のような、ミルク色の人影が伏見の傍らに立ち尽くしていた。

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