053話.ヤクザ、不満をぶちまける
エルフと言えば、どんなイメージを持つだろう。
黄金よりも希少な金の髪、透けるような白い肌、細見の長身に器用な指先。
奥深い森に隠れ住み、古の魔法や精霊に近しく、時には賢者のように助言する。
お話によっては、妖精の末裔や森の貴婦人、果ては古代文明の系譜に連なったりしているのがエルフという種族のイメージだ。
その源は北欧神話にまで遡る。ファンタジーどころか、文字通り神話上の存在――それがエルフだ。穿った見方をすれば、西洋の人々が漠然と抱く超越者のイメージだと言えるのかもしれない。
要は、日本人にとっての天狗みたいなもんなのである。
秘境に住み、力や知恵を蓄え、時に人を教え導く。
トールキンによる伝説体系以降の創作物は、彼の影響を強く受けて「美しく長命、感覚は鋭く、智に富んだ優れたる人」、あるいはその変種としてのエルフを描いた。日本人が彼らの設定に書き加えたのは「金髪、力や体力は劣り、儚く脆い」というイメージだ。
伏見もまた例に漏れず、そういったJRPG的な幻想を抱いていた。
そりゃあ、実際の西洋人には金髪以外の髪色も多く、中には脱色してブロンドを維持している人も多いだろう。でも、ここは異世界で、エルフと呼ばれる人々が実在していたのだ。幻想の方も、ちょっとくらいサービスしてくれてもいいだろうに。
「ちくしょう……がっかりゴブリンの次は残念エルフかよ」
「兄貴兄貴、どっちかってーと今は兄貴のが残念っスよ」
そんな弟分のツッコミで、伏見は現実に引き戻される。
突然膝をついた伏見を心配して、ファティが伏見の顔を覗き込んでいた。何が起きたのか分からないのだろう、エルフのシドレも不思議そうに首を傾げている。そりゃそうだ。
「あら、伏見はどうかしたの? 持病か何か?」
「やー大丈夫っすよ。持病っちゃ持病っスけど、発作みたいなもんなんで」
「……ほんとに大丈夫?」
気遣いはありがたいのだけれど、残念ながら不治の病だ。お脳の病気なので手の施しようもない。
若い頃に治療すれば過去の恥ずかしい記憶がフラッシュバックする程度で済むが、この歳で患っているのなら早々に諦めることをお勧めする。
ともあれ、将来的にはぜひとも友好関係を築きたい相手との初対面だ。膝の土を払い、伏見は立ち上がってシドレを観察する。
「失礼しました。私は千明組若頭、伏見と申します。初めまして……、ええと、シドレさんとお呼びしても?」
「ええ、お好きに」
伏見が浮かべる商売用のスマイルに、シドレはそっけなく返す。
外部との接触を拒絶し、森に隠遁しているという前情報とは裏腹に、シドレはどこか緩い雰囲気の女性だった。歳は十七、八くらいだろうか。エルフは長命だと言うから予断は出来ないけれど、老成してはいないように見えた。むしろ、どこか子供じみた奇矯さを感じる。
細身の体に薄絹をまとい、シドレは蕩けた瞳で無作法な異邦者を見つめた。
「シドレ・ハースベル。アウロクフト、エルメの村で司書を務めています」
「司書?」
「かび臭い写本の管理人ですよ」
自嘲でも謙遜でもなく、心からそう思っているような口ぶりだ。初対面の伏見はもちろん、故郷も、自分自身すらどうでもいいというような。
挨拶を終えて、伏見の品定めをしていた視線が傍らに立つファティに流れる。シドレの眼差しを受けて、ファティは慌てて目礼した。
「お、お久しぶりですシドレさん。……一年ぶりくらいでしょうか」
「そっか、もうそんなに経つんだ。おっきくなってるから、私びっくりしちゃった」
シドレの背後からは、更に二人のエルフが現れて彼女の左右に控える。片方は飾り布をつけた杖を持ち、もう片方は長弓をたすき掛けにしていた。おそらく護衛役だろう。二人とも金髪だが、地毛の色は確認できない。
シドレとは違い、二人のエルフは剣呑な眼差しで伏見を見据えていた。
シルセはどうやらエルフたちと顔見知りのようだ。その姿を見つけるなり駆け寄るのだから、相当懐いている。三人の興味がシルセへと移っている間に、伏見は傍らのファティへ囁きかける。
「……なぁ、オイ。こんな簡単に会えるなんて聞いてねぇぞ。どうなってんだ」
「わたしだってびっくりしてるんですよ……!」
お互い、商売上の笑顔をシドレに向けたまま、声を潜めて会話を始めた。
「エルフは閉鎖的なんだよな? シルセちゃんと仲良さそうなのはどういう訳だ?」
「……それが、さっきの質問の答えなんです」
軽トラの荷台の上で、時間切れになってしまった問いの答え。
アルカトルテリアの祭祀であるアクィールが、愛娘を通わせてまで手に入れようとしたもの。
エルフとの交易を左右する鍵。
「あの子とシドレさんの交流が、そのままトルタス村とエルフの交易なんです。実際はどうあれ、形式上は」
エルフの都市、アウロクフトは他の都市との交流を拒絶している。一方、トルタス村には商品を卸しているのだ。その矛盾の正体は、つまりそういうことだ。
エルフであるシドレは、あくまで個人的に、シルセへとエルフの品を渡す。それが回り回ってアルカトルテリアへと流れていたのだ。
返礼はそれこそどんなものでも珍重されるだろう。他の都市との交流を断ち森に籠る人々だ、金属や石材、文物など全てが不足している。
売るもよし、プレゼントして恩を着せるもよし。アウロクフト内でどのような処理をしているのかは伏見に知る由もないが、そのような無理を通せるのだ、シドレは相当の有力者に違いない。
「しっかし、シルセちゃんも上手いことやったなァ。どうやってそんなコネを手に入れたんだか」
「わたしも詳しくは知らないんですけど、森で迷ってたシルセをシドレさんが助けてくれたらしくて……」
「すげぇ身に覚えがあるんだけど」
伏見らがシルセを助けたことが、千明組とトルタス村の縁だった。そこからなんやかんやあって今に至る。
「……ヒロイン属性か何かか、アイツ」
「属性……?」
「おっと」
きょとんと、小首をかしげるファティを見て伏見は思い出した。
あまりにも自然に会話出来ているから忘れがちだけれど、ここは異世界なのだ。各都市が持つ神域が接触することにより他言語が翻訳されている……らしい。翻訳不可能な言葉は、異世界人であるファティには通じないのだ。
確かに、キャラクターを分類する為の「属性」なんて、アルカトルテリアには存在しない言語だろう。
「話戻すけど、エルフが欲しがりそうなものって分からねぇかな」
「んー、金属製の道具なんかは、ウチからも卸してますね。あとは蒸留酒や穀物、反物なんかも喜ばれてるみたいですけど……伏見さん?」
非難するような目で見上げられて、伏見は肩をすくめる。
「分かってるよ。無理に商売して今の関係を壊したりはしねぇって。俺が知りてぇのは……」
そこまで言って、伏見が言葉を止めた。
シルセとの話を終えて、エルフらが伏見を見ていたのだ。シドレが一歩前に出て、身体の線を強調するように胸の下で腕を組む。
「さて、伏見さん。お話は終わりましたか?」
「まだだって言えば待ってくれるのかね」
伏見の軽口も意に介さず、シドレが口を開いた。
エルフがここにやってきた理由。伏見の想像が正しければ、それは――
「先日、貴方たちが燃やした森の一件、詳しく聞かせてもらえます?」
――まぁ、なんというか。
誰だって、近所の森にガソリンぶちまけて放火されたらキレる。
その誰かさんが森に棲むエルフならなおさらだ。




