052話.ヤクザ、折れる
「え、でも兄貴ロリコンじゃねぇっスか」
「……お前、兄貴分に向かってすげぇこと言うな……」
怒ることも忘れて、ついつい感心してしまった。
先を歩く女性陣には聞かれたくない会話だ。声を落として、ヤクザ二人が内緒話を始める。
「……まぁ、叱るのは後にしとくけどよ。なんでまたそんなことになってんだ、お前の脳内」
「や、昨日兄貴がマトロの野郎にナシつけて、ファティちゃんの結婚話撤回させたじゃないっスか。アレ、そこまでする必要なかったんじゃないっスかね」
「お前、結構ひでぇこと言うな……」
伏見としては、どちらでも良かったのだ。
ファティを助けようと、助けまいと。
トルタス村を生贄にアクィールを陥れたマトロに対し、伏見の判断は保留だった。
長い時間をかけて脅迫の材料を集める。材料がなければ作る。協力しながら金を稼ぎ、あるいは騙してでもいずれ主導権を得る――そんな計画だったのだ。
マトロがあんなぼったくりバーに引っかからなければ、伏見はファティを見捨てていただろう。見ず知らずの少女を 助けるために身内を危険に晒すほど、伏見は甘くない。
謀略に陥って望まぬ結婚を強いられた少女だ。助けたいと思ったことも、嘘ではないけれど――
「――てかお前、ファティちゃん助けねぇんですかーとか言ってたじゃねぇか」
「そりゃまぁ、助けたいとは思ってたっスよ? でもまさか破談までやるとは思わねぇじゃないっスか。これはもうロリコンじゃねぇっスか」
「……ありゃその場のノリだ。調子に乗ってたっつーのは認めるけどよ」
ファティへの行為を頑なに認めたがらない伏見に、三ツ江は眉をひそめて囁く。
「んなこと言って。……兄貴の初恋は?」
「ロードス島戦記のディートリヒ」
「ホラぁ!」
「ああ!? やんのかコラ!!」
ヤクザなのかオタクなのか、いまいち判断のつかない男連中はひとまず置いといて。
アルカトルテリアが接続してから二週間、馬車と人の足で踏み固められた農道を、少女達は穏やかに歩いていたりした。
主に話をするのはシルセだ。
トルタス村で、伏見らが助けた女の子。仕事の邪魔にならないよう、赤茶けた髪は短く切り揃えられ、草木染の貫頭衣に身を包んでいる。都市に住む者と農村に生きる者の違いだろうか、年齢の割りにその表情はあどけなく、内心をそのまま表すようにころころと変化した。
会えない間に、話したいことが積み重なっていたのだ。家畜は仔を産み、初めて機を織らせてもらい、編み物は少し上手になって。
言葉の内容と比例するように、シルセはよく笑う。それでも少し、肌に残る直りかけの傷が痛々しかった。
「……そういえば、ファティちゃん何かつけてます?」
そんな会話の切れ間に、聞き役に徹していたお嬢がたずねる。
さっきから気付いてはいたのだけれど、ファティが歩くたびに香るのだ。果実のような、甘くてお高そうな香り。
手振りや髪の流れを追うように、花の蕾がほころぶようだった。
「気付いてくれますか!」
嬉しそうに振り向いて、ファティは手に持っていた巾着から何かを取り出して見せた。
子供の手のひらにすっぽりと収まるガラスの小瓶。鳥の形にカットされた細工物のガラスは、血のように濃い香水の色を透かして宝石のように煌いている。
「えっ、すごい、かわいい!」
「えへへ、お父さんにおねだりしちゃいました!」
アクィールさん、商会の立て直しで大変だろうに……。
伏見がいればそんな感想を漏らしたかもしれないけれど、シルセらの興味はそんなことより香水だ。二人して、ファティの手のひらを覗き込む。
香水瓶の蓋を外し手のひらで扇ぐと、風に乗って香りがふわりと広がった。
少しくどい、鼻をつくような匂いだ。時間が経って薄まり、体臭と混じることで着けた人だけの香りになる。
「あっ、この匂い、私好きかも……」
「よろしければ今度、お店にご案内しましょうか。少しかかりますけど、自分だけの香水を調合してくれるお店もあるんですよ?」
二人が香水の話に盛り上がっている間、シルセはファティに近づいて髪の匂いを確かめていた。香水そのもののキツい匂いがどうしてこんないい香りになるのか、不思議がっているようだ。もう少し大人になれば、その価値も分かるだろう。
「家を出る時に着けてきたんですけど……伏見さんには気づいて貰えなかったみたいで」
「ウチの男連中にそういうのを期待してはいけません」
真顔でそう言われると、ついつい信じてしまうファティである。
――伏見の名誉の為に補足しておくが、一応気付いてはいたのだ。ただ、むやみに指摘するとセクハラ扱いされそうで、伏見は無難にスルーを選んだ次第である。
そこから、伏見と三ツ江への文句へと話題は変わる。女心を分かってないだとか、先に気遣われるとやりづらいだとかの他愛もない苦情だ。
かつてないほど盛り上がる会話の中、一行は人足の集団とすれ違う。
丸太を乗せた荷車を引き、あるいは押して運ぶ一団だ。自然、少女たちは声を落とし、道の脇にそれて彼らを見送る。
トルタス村で伐採された木材はこうして祭祀門へと運ばれ、筏状に括られてアルカトルテリアへ向かうのだ。今期の伐採地に選ばれた森の一角もすぐそこに見えている。枝打ちの為に振るわれる鉈の音や、雄々しく響く木挽き歌が伏見らの耳にも届いていた。
日本によく見られるような杉林ではない。手付かずの森だ。品種や樹形もバラバラの木が複雑に混じり合い、それぞれ生育年数や用途も異なる。
無制限に張りだした枝や蔦が視界を遮る森の中で、値が付く原木を見つけ出して切り倒すのだ。伐採場という言葉のイメージとは違い、その場所は森そのものだった。明確な境界線も存在しない。
切り出した材木が置かれた集積場と、その隣にある掘っ立て小屋が辛うじて目印として機能していた。
「あっ、シドレさん!」
ふいに、シルセが声を上げる。
彼女が見つけたのは、藪をかき分けて現れた人影――否、藪が自ら道を開け、主を迎えるように平服する様だった。
木漏れ日の合間から、何よりも眩しい金糸の髪がのぞく。肌を透かす薄絹と、それよりもなお白い肌。手足はするりと伸びて、その指先が触れた途端、木々は儀仗兵の如くぴんと背筋を伸ばしてその場を譲る。
シドレと呼ばれた女は、駆け寄ってくるシルセを見つけた途端、玲瓏とした美貌を柔く緩めた。ファティからお嬢、そして追い付いてきた三ツ江へと視線を流し、伏見に目を留める。
「ああ。あなたが伏見ですか」
「……エル、フ――」
見つめ合うのも、そこそこに。
伏見は、自らの目を信じられずにいた。
シドレの額、その生え際に、うっすらと――地毛の茶色を見つけてしまったからである。
「――パチモンじゃねぇか……!」
伏見の膝が折れ、憤りをそのまま、地面へと叩きつけた。




