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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
ヤクザ、異世界に行く
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004話.ヤクザ、少女を帰す

「――伏見よう。おめぇ、組長やってみる気はねぇか」

「親父……」

「おめぇは頭ぁキレるし、飛ばされてからこっち、活き活きとしてやがる。十分に務まるだろうよ」

「親父!」

 伏見が声を荒げる。

 組長はぼんやりと、塀の向こう、日本なら電線に寸断されているはずの青空を見上げていた。

 気のせいだろうか、一気に老け込んだ気がする。背筋は曲がり、着流し姿にも威勢が足りない。

 人は歳を重ねれば重ねるほど新たな環境に適応することが難しくなっていく。日本での経験が役に立たない現状は、組長にとって受け入れ難い現実だった。

「元々、俺が引退した後はおめぇに任せる予定だったんだ。それがちぃとばかり早くなっただけよ。おめぇなら、この状況でも組を……」

「親父。そっから先は口に出しちゃあいけません」

 組長の弱音を伏見が遮る。

 靴を脱ぎ、居住まいを正して組長へと向き直る。

「私、伏見正春。千明組の生え抜きじゃあ御座いません。本を質せば清栄会、当代の若頭、西原の舎弟に御座います。ご承知のことと存じますが、千明組組長が身まかられたならば看板を下ろし、シマごと清栄会へ下る算段で御座いました。清栄会と遠く離れた今、私が組長の座に腰掛けるのは筋が違いましょう。この上は若頭の位を返上し、三下として一意攻苦、やり直させていただく所存に御座います」

 伏見は自覚しているのだ。

 どれだけ馴染もうと、どれだけ受け入れられようとも、自身が外様であることを。

 清栄会もまた田舎ヤクザに過ぎないが、それでも盃事では千明組の上位にあたる。シマの規模も勢力も千明組とは桁違いだ。

 その清栄会から、千明組を解体、吸収する際の布石として差し向けられたのが伏見だった。

 口上を終えて、伏見は深く座礼を行う。組長に促されて顔を上げると、まっすぐに組長を見据えた。

「……次の若頭は三ツ江がよろしいかと存じます。あれは少々頭が悪う御座いますが、徳というものに恵まれております。周囲の助けを借りて、何れは一端の極道になりましょう」

 それは紛れもなく伏見の本心だ。小賢いばかりの自分とは違って、三ツ江は常識などお構いなしに筋を通すような強さがある。

 現代の日本でなら伏見だって極道として活躍できるだろう。けれど、ヤクザとしての本道は三ツ江のような人間なのだ。千明組に入るより前、三ツ江は既にそれを証明している。

 一方で、計算もあった。

「伏見よう。おめえの心意気、確かに受け取った。……でもな、おめぇは千明組の若頭なんだ。そう簡単に辞めさせられるかよ」

 伏見が若頭の座を降りると言えば、組長は引き止めにかかるだろう。そういう人だ。

 こうして禊を済ませれば、ひとまず若頭の地位は保障される。指針も目的も明確でない今、組長交代やお家騒動のごたごたは避けたかった。

 こんなことを考えているからこそ、自分は頭には向かない。俯いて表情を隠し、伏見はそう自嘲する。

「あまり親を舐めるもんじゃねぇぞ、伏見。誰の回し者だろうが、盃を交わした今は俺の息子よ。馬の骨に若頭を任せるほど耄碌しちゃあいねぇや」

「親父……」

 ヤクザ、極道、暴力団。

 様々な呼び名を持つ彼らは社会から爪弾きにされた者たちの集まりだ。血縁もなく、故に盃事――儀式による疑似的な親子、兄弟関係が何よりも重要視される。

 組員は皆家族なのだ。兄貴だの親父だのという呼び名はその盃事に由来する。

「……わしにまだ組長をやれと、そう言いたいんやな」

「親父には、決めていただきたいんです。親父が決めてくれなきゃ、俺たちは逆らうことも出来ねぇ」

 一呼吸おいて、伏見は兼ねてより考えていたことを口にした。

「日本に帰る道を探す。それはいいでしょう。しかし、本当に帰るかは――別問題で御座います。日本に戻ったところで俺たちゃ食い詰め者だ。そう遠くないうちに千明組も潰されるでしょう。けれど、この世界でなら本来の意味でのヤクザとして生きていけるかもしれない。その上で、帰るのか帰らないのか、帰らないのならどこまでやるのか。それを決めていただきたいのです」

 本来のヤクザは、犯罪組織ではないのだ。

 犯罪組織でなかった、と言うべきだろうか。宿場町においては無茶苦茶をする流れ者を抑制し、賭場を運営することで遊興を提供した。ミカジメ料を受け取ることでその界隈を守り、戦後は闇市によって物資を提供した。

 現代の日本には必要されなくなってしまった、極道という生き方。

 それが、出来るかもしれない。この場所、この世界なら。

 伏見の問いかけに、組長は迷わなかった。

「帰るのか帰らないのかは、今決めても意味がねぇな。帰れるかどうかも分からねぇ。ただな、伏見。ここがどこであろうと、わしらが極道ならやることぁ一つよ」

 丸まった背中がほんの少ししゃんとして、伏見を見る目に覇気が宿る。

 異界の天地において、千明組の指針となる一言を組長が口にした。




 BBQも終わり、シルセの話も済んで。

 ひとまずの方針も決まれば、あとはシルセを帰すだけだった。

 子供をお預かりしたのなら五時までに家に帰すのが鉄則である。

「あの、わたし、やっぱり一人で……」

「いやほら、さっきのゴブリンの仲間がまだうろうろしてるかもしれないし」

 手当ては終えたといえ、シルセはまだ傷だらけだ。サイズの合う靴もない。そんな女の子を一人で帰すというのは、ヤクザ以前に人としてどうかという判断だった。

 とはいえさっきのように負ぶっていては三ツ江もシルセも疲れてしまう。そんな訳で、用意したのは古風な背負子だ。昔話でおじいさんが背負っている道具である。

 納屋の中で埃をかぶっていた物を引っ張り出してきたのだが、シルセ一人程度の重さなら問題ないようだ。先を歩く三ツ江と、その背中にベルトで固定されたシルセを眺めながら、伏見がその後ろについていく。

 三ツ江とシルセは、背負子越しに会話を弾ませているようだった。

「あと、村の人たちにも挨拶しておきたいしね。さっきの発表会だと分からないことも多かったしさ」

「あ、あれは、だって……!」

 BBQの後、予定していた通りシルセに話を聞いたのだけれど。

 シルセは何を話せばいいのか分からず、千明組の皆は聞きたいことだらけだ。シルセは見知らぬ大人たちに囲まれて緊張しっぱなし。話はたどたどしく、組長ら年配組は孫を見守るような目をしていた。

 そういう意味で、発表会だ。どう翻訳されたかは分からないが、シルセにも意味は通じたらしい。

「大丈夫大丈夫、可愛かったからさ。ウチ、顔の怖い人多いでしょ? ホント、ごめんね?」

「いえ、そんな、あの」

 調子よく語る三ツ江につられて、シルセははにかむように笑ってみせた。

 追い立てられた恐怖も少しは和らいだということだろうか。遠慮がちではあるけれど、子どもが笑うのならそれに越したことはないと伏見は思う。

「道はこっちで間違いない?」

「いえ、あの……はい、大丈夫です」

 伏見ら一行が歩いているのは森と草原の境目だ。シルセが空を見上げて、太陽の位置で方角を確かめる。

 シルセの村はこのまま境界線上を歩いてけば行き着くらしい。

 ゴブリンの襲撃を警戒して、一行が歩くのは森から少し離れた草原だ。

 三ツ江とシルセを先に歩かせて、伏見は二人を視界に収めつつ周囲を警戒する。二人の会話が聞こえる程度の距離だ。自然と、背負われているシルセとは常に向かい合う形だった。鉈を片手に徘徊するスーツ姿のヤクザがトラウマにならぬよう、切に願う。

 しかし、見れば見るほど奇妙な地形だ。

 右手側には見渡す限りの草原と、遠くぼやけた山脈が。左手側には鬱蒼と茂る森林がある。ただ、その境界があまりにも明確に存在しているのだ。多少の凹凸こそあれど、布に木炭で引いたようなラインがずっと続いている。

 開墾されたのかとも思うが、それにしては畑が見当たらない。

 ふと、伏見が手に持っていた鉈の先で地面をほじる。

 山火事か焼き畑なら、地面には炭や灰の層があるはずだ。けれどそれもない。

 草原に茂る草むらへ目を凝らせば、引きちぎられたような丸太が所々に隠れている。

 まるで、何か巨大な生物が森を踏みつぶしていったような痕跡。

「あっ、シルセちゃん、アレ何かな? 鹿みたいに見えるけど」

「鹿です!」

 鹿かぁ。

 まあ、草食動物がいるのならこの辺りは安全だろう。そう判断して、伏見は二人の後を追う。

 森にはいくつもの切れ目があった。

 流れの遅い小川が流れ、草原へと染み込んでいく。中には淀んで沼になっている場所もあった。

 その度に三ツ江を支えて川を渡る。

 いくつかの川を越えると、人造物が所々で目の端に留まるようになってきた。

 それは猟師小屋や、深い小川にかけられた渡り板。切り株や、樹液を集めるための桶、傷から樹脂が滲む松の木まで。

 一つ一つ、見つけるたびに伏見は安堵する。

 それは文明の、人の痕跡だ。

 シルセと初めて遭遇した時も思ったけれど、人間はこの異世界でもそれなりに文明を作っているらしい。

「……お嬢ちゃん、そろそろ村に着くかい」

 そして、それはシルセの村が近いことも示している。

 足はともかく、ずっと警戒を続けていたことによる精神面の疲労は相当なものだ。人の領域に近づけば、それだけで危険な野生動物と遭遇する可能性も減る。

 問いかけられたシルセが前方へと振り向いた。

「そろそろ、畑が……」

 シルセもいい加減飽き飽きしていたのだろう。故郷に近づき、弾みかけた声が詰まる。

 三ツ江もまた足を止め、空を見上げた。

 晴天だった空には、古傷のようにいくつもの煙が立ち昇る。

 胸をすくようだった清涼な空気には異臭が混じり、遠く、悲鳴すら聞こえるような。

「……これは、BBQじゃないっすよね」

 三ツ江の冗談に笑うことも出来ず、伏見の頬が引きつった。

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