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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
46/130

045話.ヤクザ、そして。

「……おとう、さま……?」

 寝間着の上にガウンのようなものを被り、眠たげに目をこすりながら。

 少女――ファティがそこに居た。

 もう夜更けだ。肌寒そうに一度身を震わせた後、ファティは父親の険しい表情と対面に座る伏見の姿を見た。

「……伏見、さん?」

 心底驚いたのだろう。目をまぁるく見開いて茫然と伏見を眺め、慌ててガウンの前をボタンで留める。

 眠気で頭が回っていないのか、ファティは険しい表情の父を避け、伏見の隣へと歩み出た。

「あの、お話し中に、失礼いたしました」

「いや……こちらこそ、夜遅くに悪ぃな。起こしちまったか」

 ちょこんと頭を下げるファティからは、いつもの大人びた――大人ぶろうとする背伸びした印象がかき消えていた。

 無理もない、よい子はもう寝る時間だ。電気も街灯もないこの世界で、酒も飲めない子どもにはすることもないのだろう。夜更かしに慣れていない。

 顔を上げて伏見を見つめる姿は、年齢よりも幼く、そして儚げに見えた。

「……伏見さんが、どうしてここに?」

「どうしてって、まァ仕事の話だよ。お前さんは寝ときな」

「お仕事……」

 ファティが父親へと振り返る。アクィールの表情、そして目線の先にある羊皮紙を斜め読みして、ファティは事態を察したようだ。伏見が着ていたスーツへ、縋るように掴みかかる。

「助けて、くれるんですか……?」

「……別に助ける訳じゃねぇよ。こりゃあ単に仕事だ。儲かるの儲からねぇのってそんだけの話だ」

 縋られる伏見としては、たまったもんじゃない。

 伏見がここに足を運んだのは、第一にアクィールの商会を利用する為。第二にマトロとの折衝案を通す為。それだけだ。徹頭徹尾、伏見は千明組の利益の為に行動している。そこに善意を透かし見るのはファティの勝手だけれど、だからと言って善行を求められても伏見には応えようがない。

 伏見は一介のヤクザ者だ。それ以上でも、以下でもなく。

「さて、と。アクィールさん、一つ言い忘れたことがあってな。この条件を呑んでもらわねぇと、そもそもこの商談は成立しねぇんだわ」

 一度は諦めることを決めたアクィールも、愛娘を前に心を揺らしている。ファテイの登場は伏見にとって僥倖だった。

 条件を積み上げるには最高のタイミングだ。

「……アクィールさんにゃ当主を引退してもらう。しばらくの間当主の座は空席にしてもらって、その間の代行はマトロだ」

「…………え」

 伏見の告げた条件に声を漏らしたのはファティだけだった。

 アクィールはその言葉を予期していたように項垂れて、静かに目を伏している。

「こりゃ当たり前だ。既に祭祀会のお歴々や有力商人らはマトロが祭祀の座に就くことを前提に動いてんだからな、抗えばアルカトルテリア全体が敵に回る。俺らとしちゃあいただけねぇ」

「でも、それじゃ……! それじゃ……」

 消え入るように呟かれた言葉は伏見にも聞こえていた。それじゃ意味がない。その通りだ。

 いかに債権を握りマトロをコントロールしようとも、そのマトロが祭祀の座に至ればやがて状況は覆される。

 そう言えなかったのは、伏見の言葉に理があったからだ。

 マトロが祭祀の座に就かなければ、それまでに投じた資本も準備も全て無に帰す。そんな不利益を祭祀会は容認しないだろう。下手をすれば、マトロとアクィールを両者とも処断し、新たな祭祀を据えることだって有り得る。

 だから。

「三年だ。三年間、マトロには祭祀代行の座を約束した。その間にそちらさんは逆転の準備をすりゃあいい。債権を盾に交渉を迫るなり、手練手管を使うなり、好きにしたらいいさ。マトロの息の根止めねぇっつぅんなら俺から言うこたぁねぇよ」

 窓から明かりが差し込んでいたことを、ふと気づいたように。

 ファティが顔を上げた。

 今更流れに逆らおうとも、濁流に押し流されるだけだ。伏見の提案は、ファテイらアクィール家が辛うじて沈まない程度の板切れに等しい。

 弱みを握られようとも、マトロは祭祀の座にしがみつくだろう。その手を引き剥がし、祭祀座を取り戻せるかどうかはアクィールの手腕による。

 今回のようなだまし討ちではなく。商人としてまっとうな、交渉と権益によるマウントの取り合いだ。

 首の皮一枚で繋がって、勝ち目もなくはない。古代の剣闘士にも似た決闘は、自ら戦えるということが何よりも魅力的だった。

 諦めるのではなく。

 戦うことを、許されるというのなら。

「――ファティ。もう夜も遅い。お客様は私に任せて、今日は早く休みなさい」

「お父様、私は……!」

 何かを言いかけて、ファティはすぐに、父親の表情が変化していたことに気付いた。

 ここ数日、疲弊しやつれていたその表情はわずかに覇気を取り戻し、それでいてどこか険が取れている。それは実の娘にも気付くのが難しいくらい、ほんの少しの変化だけれど。

「……はい、お父様」

 アクィールと伏見、両方にお辞儀をして、ファティがドアへと足を運ぶ。

 部屋を出る直前、思い出したかのように唇を綻ばせ、二人へと振り向いた。

「お父様、おやすみなさい。伏見さんも。――また明日、です」

 疑問も返答も待たずに少女はドアを開けて、暗い廊下を歩いていく。

 伏見は気付いてもいなかった。

 アクィールが心を決めた理由。それは伏見が積み上げた様々な条件でも、利益でもない。

 ファティを見る伏見の目に、憐憫でも同情でもない、何かしらの情を見出したからだ。その情がどのような性質のものかは、アクィールにも判じかねたけれど。

「さて、アクィールさん。心は決まったようだ、返事をお聞かせ願えますか」

 身を乗り出して羊皮紙を突きつける、悪ぶっているだけの若造を笑みで迎えて。

 その父親は、娘の為に出来る全てのことの、ほんのささやかな始まりを口にした。

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