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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
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043話.ヤクザ、種を明かす

「残念だ、伏見君。そんなことをしたところで状況は変わらない。君はただ、無為に私の信頼を裏切っただけだ」

 不意を突かれた驚きも、罪を暴かれた恐怖も、歯向かわれた怒りも呑み込んで。

 憤怒が喉元を過ぎれば、残るのは伏見を見据える冷ややかな視線だけだった。

「……本当に、残念なんだ。私はこれまで、君たちに出来うる限りの誠意を尽くしてきたはずだ。どうしてこんなことになる? 私に何か至らぬ点でもあったのか?」

 マトロの言葉から、虚飾が剥ぎ取られていく。そこにあるのは本心からの吐露だ。

 何の演出も演技もない。

 初めて、マトロの言葉を聞いたような気さえした。

「その道具は確かに便利なものだがね、全て無駄だ。私は祭祀会の意向を受けて行動している。……意味が分からないか? 君たちがいくら証拠を用意しようとも、祭祀共はその罪を認めないということだ」

 アルカトルテリアの最高意思決定機関。それが祭祀会だ。名だたる商人、商会が名を連ね、その頂点に四人の祭祀がいる。

 マトロによるアクィール家の乗っ取りは、非公式ではあるものの祭祀会によって承認されている。中枢にいる特権商人らは既に状況の変化に向けて準備を始め、聡い者はその兆候に気付き始めた。

 証拠が見つかったから、マトロが犯人だからでひっくり返せるような状況ではない。

 このネタでマトロを脅迫しようものなら、祭祀会、アルカトルテリア全体が敵に回るだろう。

 そして言うまでもなく。

 マトロ自身が、脅迫者を許しはしない。

「……今日は失礼させてもらう。伏見君はどうやら私との契約を望まないようだ」

 席を立ち、まだ笑っていた伏見を見下ろす。

「明日は君たちを潰させてもらう。これは最後の忠告だが――決して、都市外には出ないことをお勧めする。そうすれば少なくとも命だけは保障されるだろう」

 捨て台詞を残して、マトロが背を向ける。

 未だへらへらと笑っている伏見らには目もくれない。千明組の所有する知識、財産を効率よく搾り取るためのプランをその脳内に構築していく。

 外に出ようとマトロが手を伸ばす、そんなタイミングで、背後から声を掛けられた。

「あー、旦那旦那。なんか忘れちゃいませんか。ここじゃ、口約束だって契約扱いなんでしょ。ちゃんと払うもんは払って貰わねぇと」

 確かに、契約は契約だ。今更そんな小銭を集めても後で毟られるだけだろうに。

 もはや口を開くのも億劫で、無言のままマトロが懐から拳大の革袋を取り出す。

「えーっと、いくらだっけか。三ツ江、お会計」

「ウッス。えー、セット料金に酒とツマミ、女の子一人追加で……兄貴、氷はどうします? そういや値段決めてないっスけど」

「あー、氷はサービスでいいよ」

「んじゃ、それにサービス料十パーセントで、金貨十三万二千枚と銀貨三十五枚っスねぇ」

「……あぁ?」

 有り得ない金額に、思わず革袋を取り落とす。

 革袋の中の金貨が零れ、耳障りな音を立てた。




「三ツ江、旦那が財布落としたぞ。拾ったれ」

「うぃーっす。ほら、財布はしっかり持たねぇと。商人なんスから、金は命みたいなもんでしょ?」

 落とした革袋を握らされて、マトロが我に返る。

 手に掴んだそれを投げ捨てて、三ツ江に掴みかかった。

「なんだその額は! ふざけるな!」

「あっれ、食い逃げっスか? ダメっスよお客さーん」

 血相を変えたマトロの腕をねじり上げ、背後に回ってその背中を蹴り飛ばす。転がる先は先ほどまで座っていたソファーの上だ。

 腕を突いて即座に身を起こし、伏見を睨みつける。振るわれた暴力すら意に介さず、マトロはテーブルへその手を叩きつけた。

「この、こんな取引が有り得るものか! どんな詐術を使った!」

「詐術なんて人聞きの悪い。他ならぬマトロさん相手だ、こっちとしても勉強させていただいてるんですがね」

『勉強させていただく』。安くするという意味合いの言葉だ。実際には、もっと値を吊り上げることも出来たのだ。もっとも、これ以上値上げすればマトロの総資産を越えて契約が不成立に終わっていただろうけれど。

「……ま、種を明かさにゃ納得してくれそうにもない。まず見るべきものは、テメェの左手首ですよ」

 煙草を一本、取り出して口に咥える。

 火は自分で点けた。普段ならすぐさまライターを取り出す三ツ江は、マトロの襟首をひっつかんで取り押さえる仕事に手一杯だ。

 一息吸って、煙草の火でマトロの左手首を指し示した。

「その腕時計、マトロさんならいくらの値を付けます?」

 歯を剥いて伏見を睨み続けるマトロの頭を、三ツ江が掴んで揺さぶった。屈辱に顔を歪ませてマトロが答える。思いのほか素直でなによりだ。

「……金貨、五十枚」

「ま、そんなもんでしょう。こっちの見積もりと同じだ」

 ファティは金貨八十枚と見積もっていたが、それは時計の寿命、そして再生産不可能という希少価値を知らない時点での話だ。現実的にはその程度。庶民にはとても手が届かないが、自身の商会を持つような金持ちには買うことが出来て、かつ時計を持つこと自体がステータスになるくらいの適正価格。

「その時計、うちの都市では大体五百円くらいでね。円ってわかりますか。俺らがいた都市の通貨なんですけど」

 相手が分かっていないことを前提に、伏見が言葉を続ける。

「でもって、テメェがしこたま飲んだこの酒だ。ウチの都市の物なんだが気付きませんでしたか」

 ぬけぬけと、まぁ。

 伏見が掴んだ酒瓶は、アルカトルテリアで調達したものだ。マトロに気付かれぬよう、わざわざ中身を入れ替えてこの場に供した。

 人並みに酒を嗜んでいれば、その一口目で気付くことも出来ただろうに。

「山崎五十年って言うんですがね、これがまた希少な代物で。買った時で百万円、今ではプレミアがついてる上にもう手に入らない。文字通り、この世界で最後の一本だったんですよ」

 百万、という金額にマトロが言葉を失う。

 それは、時代による価値観の逆転だ。

 かつては高級品だった時計が工業的な安定生産により安価になり、一方で多くの時間と人手を使う酒が庶民には到底手が届かないような嗜好品へと上り詰める。

 伏見が育ち、そして目指す時代の価値観。

「あとはレートの計算だ。五百円の時計が金貨五十枚。百万の酒なら金貨十万枚。――懐かしい、もう帰れぬ故郷の酒の味だ、ちっとも高いとは思わないね」




 琥珀色の液体がガラス瓶の中に透け、オイルランプの灯火で揺らめいている。

 中身の酒は既に半分以上飲み干されていた。

 その一滴が金貨一枚に匹敵するような高級酒だ。今夜の一席、さぞや楽しんでもらえたことだろう。

「さて。マトロさん、お勘定だ。金貨十三万二千枚――うち三万二千枚はこっちの利益とサービス料、端数の銀貨はこっち持ちだ、キッチリ支払ってもらおうじゃないですか」

「そんな金額、払える訳が――」

 ない、とは言えない。

 契約の対象になるのは本人の財産のみだ。財産を越える契約は結ぶことが出来ない。伏見の提示した金額は、マトロの所有する全ての財産、権利を売り払うことでなんとか賄える。

 問題は、全てが即座に現金化出来ないこと。そして、現金化したところでマトロの手には何も残らないということだった。

「ま、三日で用意するのは確かに難しい金額だ。じゃあ借金ですねぇ。利率はこっち基準で、アルカトルテリアが販路を一周する度に一割。いやぁ、これは良心的だ。こっちの戒律じゃあ一周期ごと三割まで取れるんでしょう? 一割なら、まぁ――必死こいて働きゃあ、死ぬまでには返せるんじゃないですかね」

「ま――待ってくれ! 何故そんなことまで……!」

 伏見が語ったのは、アルカトルテリアの戒律における付帯条件だ。

 市井では一周期ごとに一割か二割が相場だが、マトロは教えた覚えがない。この一週間、伏見らが金を借りるようなことは起きなかったはずだ。

 そう。気付いてみれば、伏見が用意した罠は彼らが知らないはずの付帯条件を全てクリアしている。

 日時の指定がなければ三日以内に支払いを済ませなくてはならない。

 仕入れ値から五割を超えてはならない。

 金利は一周期ごとに三割を超えてはならない。

 たった一つでも抵触すれば契約を結ぶことが出来ないはずのそれらを、伏見は全て回避していた。

「何故って、自力で調べたに決まってるじゃァないですか。――こっちは世界で一番異世界慣れしてる日本人なんだ、異世界に来たなら、その世界の『設定』を調べ上げるのは当たり前でしょうよ」

 設定。

 異世界。

 日本人。

 アルカトルテリアの言語では翻訳不可能な概念を並べ立て、伏見が告げる。

「――さ、マトロさん。さっさと借金の契約を済ませて、次の話に移りましょうや。何せ金貨十三万枚の借金だ、何かとお入り用でしょう? 約束通り、ウチの商品を製造、販売する際の契約をしましょうや。――もちろん、こっちは金を貸してる訳だから、多少は色を付けてくれるんでしょう?」 

「そうそう、さっき聞かせてやったマトロさんの自白。アレもきっと、高く買ってくれると期待してるんですよ」

「ああ、喉が渇いて声が出ない。仕方ねぇなァ。三ツ江、旦那に酒飲ませてやれ。氷多めでな」

 酒を注がれたグラスにも、手が伸びない。

 俯き、血走った目で虚空を見つめたままマトロが息を荒げている。

 伏見はタバコの灰を落とすと、気分良く、煙で肺を満たした。

 これでひとまずの安全と主導権、そして資金源は確保出来た。おおよそ覆すことが出来ない形で、だ。

 脱力して、強張った肩と首筋を揉む。

 まだまだやることは山積みだけれど、今日くらいは気を緩めてもいいだろう。首を絞めつけていたネクタイを解き、もう一度タバコに口をつけた。

「そういやァ、アクィール家の処遇について、ちょっとご相談があるんですがね……」

 ――少しばかり、気を緩め過ぎただろうか。

 組の利益とは一切関係ない伏見の私情が、つい口をつく。

 後悔して頭を振るが、口にしてしまったものは仕方ない。

 どのみち、実務上の細かな契約はこれからだ。

 その合間にほんの少し、誰かに恩を売ることくらい。

 この都市にいるという神様も、きっとお目こぼししてくれるだろう。

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