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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
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042話.ヤクザ、脅迫する

「テメェの企みで旦那を失くした女にお酌をされて、どんな気分だったかって聞いてんですよ」

 今度はマトロが言葉を失くす番だった。

 何よりも、伏見の豹変に驚かされる。交渉の場で笑みを絶やさず、けれど小細工を看破されうなだれていた筈の伏見が歯を剥いて、悍ましい程に深く深い嗤いを表情に刻み込んだ。続く言葉はマトロの急所を抉り、テーブルの上に晒し上げる。

「あの娘らもね、お客さんの前では笑ってみせたけど、可哀そうな身の上なんですよ。聞けば、つい二、三か月前に幼馴染と結婚したらしいんだ。まだ新婚の熱も冷めないうちにゴブリン共が村を襲って、旦那も親御さんも殺されて。マトロの旦那との時間がちぃっとばかりでも慰めになってりゃいいんですがね……」

 つい先ほどまでマトロの隣に座っていた彼女たちの正体を、伏見がつらつらと語り上げる。

「アルカトルテリアの寄港もね、ご夫婦で楽しみにしていたそうで。あのー、なんでしたっけ、街の真ん中にある、象牙の塔? この都市が寄港したらある程度まとまった金が入るでしょ。その金で観光でもして、二人で象牙の塔を見ようかなんて、そんな話をしてたらしいんですよ。結局、奥さんは出稼ぎでアルカトルテリアにやってきて、一人であの塔を見たんだ。世の中、惨いもんです」

 伏見の言葉の節一つ、抑揚一つに背筋がぞっと震え、マトロの顔から血の気が失せていく。

 ちらりと、自らの手のひらに目を向けた。彼女たちの肩に乗せられていた手のひら。ペンや紙、そしてティーカップばかり握っていた豆もあかぎれもない手のひらが、血に塗れているように錯覚する。

 ざまぁみさらせ、だ。

 露骨に顔色を変えたマトロを伏見は嘲笑う。

 報いを受ける覚悟もなしに人を害するものだから、そんな顔をする羽目になるのだ。商売人としてはマトロの方が一枚も二枚も上手だが、悪人としての振る舞いがまるでなっちゃいない。

 村一つ、関係もなく利害もなく恩讐もない人々を地獄に陥れ、自分の番が来ることを想像すらしていなかったのだろう。

「……伏見君。君は何か勘違いしているようだ」

 罪悪感を大いに煽られ、いくら体裁を繕おうとも、マトロの言葉には震えが混じる。

「彼女たちに不幸を押し付けたのはアクィール氏だよ。君も、あの場に居合わせていたじゃないか」

 マトロが言うのは、あの日、伏見らとマトロが初めて顔を合わせたアクィールの本宅での出来事だ。

 トルタス村の崩壊をアクィールが企てた。そう仕向けるために用意した証拠は、奇しくも伏見らが回収してくれたのだ。

 もしこの事件に疑問を抱くものが現れたとしても、用意された証人、証拠を辿ることでアクィールが犯人であるという確信に至る。そんなルートをあらかじめ構築しておいた。人は、自身で探り当てた情報をこそ妄信するものだ。

 そして何よりマトロには祭祀会からの後押しがある。たとえ伏見が真相に辿り着き、証拠を揃えたところで状況は何一つ変わらない。

 言い聞かせるように自覚して、マトロが平静を取り戻した。後に残るのはわずかな動揺と、目の前の伏見に対する不快感だ。

 怒気の混じるマトロの眼差しを、伏見はめんどくさそうに受け流す。

「あー、そういうのはいいんで。三ツ江ー、例のブツ持ってこーい」

「うぃーっす」

 伏見がバックヤードに向けて声を上げた。暖簾をかき分けやってきた三ツ江が持参したのは、トレイに載せられたMP3プレイヤーとスピーカーだった。

 テーブルに置かれたMP3プレイヤーのボタンを、伏見が無造作に押す。

 マトロはまず、こんな小さな箱から声が聞こえたことに驚いた。次に既視感を覚え首を傾げ、そして今度は自らがその表情を豹変させた。

『アクィール家が神敵と通じていたという疑惑をもっとも作りやすいのがあの村だった。その為にあのゴブリン共を繁殖させ――』

「なんだこれは!」

「あ、やっぱびっくりするっスよね。俺も初めて自分の声を自分で聞いた時、すげぇびっくりしたっスよ。うわ、自分の声気持ち悪ぃって」

「いやぁ、そういうことじゃねぇだろ。ほら、マトロの旦那も分かってるみたいだし」

 録音を聞いたマトロの顔色が、青を通り越して土気色、そして赤へと変化していく。

 それは紛れもなくマトロの肉声だった。つい一時間半ほど前、自室でレイコ相手に語った言葉だ。

『……それでもあの祭祀どもは決断しなかった。かの村が崩壊する段になってようやく――』

 マトロはスピーカーを掴んで奪おうとするが、徒労に終わる。

 ここはアルカトルテリアだ。たった一つの厳しい戒律によって所有権の一切を保障されている都市。このスピーカーは伏見の私物を三ツ江に貸し与えたものだ。マトロには奪うことも、壊すことも叶わない。

 人の声や言葉に、この都市は権利を認めていないのだろう。かくして、盗まれたマトロの肉声が否応なく店内へ垂れ流される。

『こちらが用意していたブレーキも機能しないような状況でようやく――』

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「……うるせぇなァ……」

 恥も外聞もなく叫び声を上げたマトロに顔をしかめ、伏見は仕方なく一時停止ボタンを押した。

 自慢の髪を乱し、脂汗を滲ませてうなだれる姿には先ほどまでの面影など微塵もない。生皮の如く余裕を引き剥がされて、マトロは力なく俯いていた。

 バックヤードからはキャバ嬢たちが顔を出し、何事かと様子を伺っている。――彼女たちはまだ、何も知らされていないのだ。マトロが彼女らの村を陥れたことも、その自白を伏見が確保したことも。

「……伏見、君。なんだ、これは……!!」

「なんだって、テメェの声でしょうよ。もしかしてもう忘れてんのか? その歳で痴呆は大変だなァ」

「何故! 私の声が聞こえるんだ!!」

「便利なもんでしょう。残念ながら、こっちで生産するには二百年くらいかかりそうだがね」

 からかうように、マトロの目の前でMP3プレイヤーを左右に振る。

 この音声データが手に入ったのはつい先ほどのことだった。マトロの商会を見張らせていた元浮浪者の子供たちから未処理のデータを受け取り、三ツ江がマトロの相手をしている間に編集作業を済ませた。

 マトロを一時間も待たせたのは、その為の時間を稼ぐ為だった。

「ま、分からなくても無理はねぇわなァ。マトロさん、アンタ蓄音機も盗聴器も知らねぇでしょう?」

「チクオン……トウチョウ?」

「そうそう。簡単に言やぁ、テメェはこの一週間、イビキも屁ェ垂れる音も全部こっちに聞かれてたってことだ」

 実際には、そう簡単なことではなかったけれど。

 一番手軽な盗聴器は、家電やコンセントから電力をかすめ取って動くタイプのものだ。言うまでもなく、この都市の文明レベルでは全く機能しない。

 別のタイプの盗聴器もあるが、一度屋内に入り込まなければ設置出来ず、また見つかる危険性も高い。盗聴器は小型化など目立たないための細工がされているが、それは現代日本の家庭やオフィスに紛れ込むための迷彩なのだ。この異世界ではどう隠したところで悪目立ちするだろう。

 そんな条件下で、伏見が今回選んだのは赤外線レーザーによる屋外からの盗聴だった。

 人が声を出せば、その部屋の窓ガラスが震える。レーザーを窓ガラスに当て、反射した赤外線を計測することで窓ガラスの振動を読み取り、再び音声データに変換するという代物だ。

 マトロの執務室を監視できる位置に機械を設置し、足萎えの振りをして同情を乞う路上の子供たちを隠れ蓑に、伏見らはこの機会を伺っていた。

「さて、マトロさん。ここはアルカトルテリアだ、金と契約の話をしましょうや。俺らが確保したテメェの声、いくらの値で買って貰えますか」

 手に持っていたMP3プレイヤーを、伏見がこれ見よがしにテーブル上へ置いてみせる。

 ファティを助けるとか、マトロの罪を糺すとか。

 そんなことより重要なのは、目の前の男の弱みを千明組の利益に変えることだ。商売相手として優秀であることはこの一週間で把握している。伏見としても、マトロを潰すことは本意ではない。

「この道具はね、記録したテメェの声を何度でも再生することが出来る便利なもんです。……こっちは出るトコ出たっていいんだ、出来る限りいい値で買い取って欲しいね」

「……誰が、こんな脅迫に金を払うものか」

 商品の価値を提示した伏見に、けれどマトロの答えは端的な拒絶だった。

 一度は激昂した精神を呼吸で整え、ソファーに座りなおす。

「残念だ、伏見君。そんなことをしたところで状況は変わらない。君はただ、無為に私の信頼を裏切っただけだ」

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