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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
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041話.ヤクザ、牙を剥く

 三ツ江の言葉通り、伏見がフロアに姿を現したのは時計の長針が一周した頃だった。

 フローリングの上で、革靴が高らかに足音を鳴らす。

 一セット一時間がキャバクラの基本ではあるけれど、少々待たせ過ぎただろうか。伏見はそんなことを考えていたのだけれど、マトロからは何の反応もなかった。

 どうやら、靴音にも気づかない程酒が回っているらしい。機嫌よくキャバ嬢の肩に腕を回し、手を取って楽し気に談笑していた。

「――だから、早く次に進まなくてはならないんだよ! 千明組のような都市が接触してきたこと自体がその証拠だ、祭祀共は何も分かっていない ……!」

 酒を飲み干したマトロが、グラスを叩きつけるようにテーブルへ戻す。

 すっかりめんどくさい客と成り果てたマトロの隣ではキャバ嬢がうんうんと訳知り顔で頷き、逆側ではもう一人の女が次の酒を用意している。

 山喜に新人の教育をお願いしたのは間違っていなかったようだ。そう確信して、伏見が前へと進み出る。

「すごーい! 頭のいい人ってそんなことまで考えてるんですね~」

「無論、キミたちだってそう捨てたものでもないさ。この先、彼らについていけば次々に新たな世界が……あっ」

 調子よく語っていたところに現れた伏見を見て、マトロが口を閉ざす。

 いい気分で女の子相手に偉ぶっているところを知人に見られてしまったような、そんな顔をしてたりした。

「……伏見君。待ちかねていたよ」

 いや、あと三十分はこうしてたかったってツラだそれ。延長してやろうか。

 女の子の肩に回していた腕を気まずそうに戻し、足を組みなおしてマトロが態度を取り繕う。

 そういった気まずさは見てみぬふりをするのが大人のたしなみというものだ。何事もなかったかのように、伏見がマトロの対面へと腰掛ける。

「いやぁ、お待たせして申し訳ない。ウチの店はお楽しみいただけましたか」

「な、かなかだね。時間はかかるだろうが、商売としては成功するのではないかな」

「そう言っていただけると、こちらも大赤字覚悟で持て成した甲斐があるってもんです」

「……三ツ江君も、そんなことを言っていたね」

 酔いが回っていても、マトロは決して冷静さを失ってはいない。期待通りもう三十分ほど待つべきだっただろうかと、伏見は内心で舌打ちする。

「ええ、最初はこの氷をウチの目玉にしようと思ってたんですがね……。計算してみたら、マトロさんや祭祀くらいの金持ちでないとなかなか手が出ない値段になっちまいまして」

「ふむ……」

「で、氷の代わりと言っちゃなんですが、こんなもんがありましてね」

 顎先をつまんで何やら考え込むマトロを尻目に、伏見は次の商品を取り出して見せた。

 サーモス――いわゆる魔法瓶だ。二重構造の間を極低気圧状態にすることでその中身を保温、保冷することが出来る。完全な再現には相応の時間が必要だが、実用に足る程度であれば半年と掛からずに作ることが出来るだろう。

 持て成しに使った氷と合わせて、交渉の一手に使うつもりだった。

 テーブルに次々と並べられるサーモスを、けれどマトロはやんわりと押し返す。

「……一つ質問があるのだがね。何故君はそうやって、わざとらしく、もてなしに使った金の話をするのかな」




「持て成しに使った金額をわざわざ相手に伝えるのが君たちの文化なのか? 違うな、君には品性がある」

「一時間、この店を体験するという建前で私に酒を飲ませたのは何故だろう? 隣に女性を用意して、飲み干す度に酒を注がせて」

「金がないだの赤字だの、わざとらしく隙を見せて、君も三ツ江君も私の言葉を待つように沈黙する。さて、私は何を期待されているのかな」

 次々に言葉を並べ立てられて、伏見が押し黙る。その様子を見てマトロは満足げにグラスへと口を近づけた。

「もしかしてそれは、こんな言葉だろうか。『君たちの歓迎に感謝する。礼と言ってはなんだが、もてなしの分の支払いはさせてもらうよ』」

 酒を呷るように飲み干して、マトロが伏見を見下ろす。

 事情を知らぬキャバ嬢らすらも押し黙る重苦しい静けさの中に、グラスを置く音だけが響き渡った。

「……よくあることなんだ。特に、この都市に慣れていない新参者にはね」

 マトロの言葉には酔いが混じり、目つきもぼんやりしたものだ。だからこそ、呆れ果てたようなその感情が剥き出しになる。

「アルカトルテリアの戒律を聞いて、君たちはどう思ったのかな。順守される契約――必ず果たされる約束だ。自らの所有物は決して奪われることなく、契約内容の如何によっては他人の意思すら買える。きっと、大層便利なものに見えたことだろうね。契約は必ず果たされる。であれば――そう、例えばこの酒だ」

 トレイの上に置かれたラベルもないガラス瓶を掴み上げ、中身の酒を揺すってみせた。

「この酒の値段を決めずに、まず売買契約を結ぶ。後から値段を吊り上げて、契約を盾に法外な値で売りつける、と。……実際の手際はもっと巧妙だがね、その類の詐欺を企む者が後をたえない」

「……言いがかりは良しとくれませんか。そりゃアンタの思い違いだ」

 ようやく絞り出した伏見の言葉には力がない。

 そんな弱弱しい反論などマトロは気にも留めなかった。ソファーに浅く腰掛け、足を組みなおして余裕ありげに微笑んでみせる。

「しらばっくれようが構わないさ。何、どちらでも同じことだ。今夜の持て成しには満足しているし、支払っても構わないとも」

「……はぁ?」

 間の抜けた言葉が、伏見の口から洩れた。

 それでは白紙の契約書に署名をしたようなものだ。正気とは思えない。前後の話が矛盾している。

 身を乗り出して疑惑の眼差しを向ける伏見に対し、マトロはこみ上げる笑い声をぐっとこらえながら口を開いた。

「いや、実はね。詐欺を企む輩がいくらいようと我々は一向に構わないんだよ。事実、詐欺師共の企みは常に失敗し続けているのだから」

 テーブルの上のグラスを取り、マトロは酒を注ぐように促す。話についていけていないキャバ嬢らは困惑しながらも自らの仕事を果たした。グラスの底で、溶けた氷と酒がゆるゆると混じり、馴染んでいく。

「アルカトルテリアの戒律はそれほど万能ではないんだ。基本的に所有権は契約を経ない限り移り変わらないけれど、道や公の場に放置すれば数日で所有権が破棄される。死後は所有権が自動的に相続人へと移るが、契約の対象にある物は相続人が契約を果たさなければならない。――様々な付帯条件が存在し、加えて契約外にも祭祀会が定めた法が存在する。正式に祭祀門を通っていればある程度説明されたはずなんだがね」

 まるで、大人が子どもに事の道理を言い聞かせているような口ぶりだった。

 不快感に伏見が顔を歪める。何より癪に障るのは、上から目線のマトロに何一つ反論できないということだ。

 伏見らは正式なルートでアルカトルテリアに入った訳ではない。祭祀であるアクィールの計らいにより、特別扱いでこの都市に入ることになった。それが瑕疵だと言うのなら、返す言葉は伏見にない。

 黙りこくる伏見を前に、マトロの舌がますます調子を上げていく。

「そして、付帯条件の一つが不当に高額な商品の売買。神学者によると、売り手側の認識に関わっているらしいんだ。売り手側がその値を『高い』と考えることで契約を結ぶことが出来なくなる。商倫理というものだが――さて、翻訳出来ているのかな」

「商倫理、ね……」

 異世界に来てまで、そんな言葉を聞かされるとは思わなかった。

 カルテルの禁止からパッケージ裏の栄養表示に至るまで、日本は法により明文化された商倫理に溢れている。比べれば多少緩いのだろうけれど、アルカトルテリアでは戒律と法が商倫理を守るために機能しているのだろう。

 人が社会を構成している以上、それは当然のことだ。

 再び、マトロが酒に口をつける。伏見の企みを看破し、言い負かして、さぞやいい気分だろう。酒の味は肴やその時の心持ちで大きく変わるものだ。

 傾けられてグラスを伏見は恨めしそうに見つめていた。自分が用意した酒ではあるが、強引に奪い取って一息に呷りたくなるような心境だった。

「さて、今夜の支払いは私が持つが、伏見君はいくらの値をつけるのかな。いくらでも構わないが、これは一つの貸しだ。本題である今後の契約で多少なりとも色を付けてくれるとありがたいのだが」

 つまりは――それが目的だったのだろう。

 こちらの企みを看破したことも。

 契約の付帯条件を語ってみせたことも。

 そもそも、その付帯条件とやらを伏見らに伝えずにいたことも。

 祭祀門を通る際にある程度教えてもらえるというのなら、アクィール家もまた同じように伏見達を言いくるめるつもりだったのだろうか?

 今更、確かめる訳にもいかないだろうけれど。

 俯いたまま、伏見は手振りでキャバ嬢らを下がらせる。

 伏見が席に着いた時点で、こうする予定ではあったのだ。すっかりタイミングを見失っていた。

 言い負かされ、俯いてしまった伏見を心配そうに眺めながら席を立ち、バックヤードへと下がる。彼女らは何も知らない。伏見とマトロが会話している間、さぞや居心地の悪かったことだろう。

 広い店内の一角、ミルカセを仕切り祭祀の座にまで手を伸ばした大商人、蟹男、マトロを相手に伏見が一人対峙する。

「そういやァ、ウチの店はお楽しみいただけましたか」

「その話は先ほどもしたね。女性は美しく、酒は美味い。もちろん満足しているとも」

「いや、そういう話じゃなくて」

 伏見が顔を上げる。

「テメェの企みで旦那を失くした女にお酌をされて、どんな気分だったかって聞いてんですよ」

 伏見の顔に深く刻まれたその表情は。

 紛れもなく、獲物の喉笛に牙を剥く獣のそれだった。

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