040話.ヤクザ、持て成す
「やー、どうもどうも! マトロの旦那、お待ちしておりました!」
約束の時間から遅れて五分、一人徒歩でやってきたマトロを門前で迎えたのは三ツ江だった。
いつもの人懐っこい笑顔を浮かべて近づいてくるが、その装いは普段とは違っていた。伏見が常に着ているものと同じタイプの装束だ。彼らの都市の民族衣装なのだろうか、その斬新なデザインとほつれ一つ見当たらない緻密な縫い目に気を取られる。
「あ、コレっすか? 今日の自分は黒服役なんで、兄貴に借りたのを裾上げしてもらったんスけど」
「相変わらず素晴らしい品物だね。予備があるようなら一着……いや、二着売っては貰えないかな?」
三ツ江がボタンを外し、スーツの前を開いて見せびらかす。その裏地に顔を近づけて、マトロは細部を観察した。
「はぁ。……これ、兄貴の持ってるやつの中ではかなり安物なんスけど。なんに使うつもりっスか?」
「君たちの持ち物はどれも素晴らしい物ばかりだよ。一度縫い目を解いて、型紙を取って……ああ、布の織り方も是非学ばせてほしいね」
「もう一着は?」
「恥ずかしながら、私用にね。これでも私はファッションに強いこだわりがあるんだ」
それはまあ、南米の九官鳥みたいな服装だけで一目瞭然なのだけれども。
ひとしきり観察を終えて、マトロか上体を起こした。思い出したかのように千明組の店を眺める。
「そういえば聞き忘れていたね。君たちの店はなんて名前なんだい?」
「ああ、そういやそうっスね。――どうぞ、こちらへ。キャバレークラブ、さくらへようこそ」
堂に入った三ツ江のお辞儀と共に、店のドアが開く。
薄暗い照明の向こうに並ぶ化粧濃い目の女性たちが、楚々としたお辞儀と共にマトロを迎えた。
一歩踏み入るだけで、空気の違いに戸惑う。
化粧や女の体臭が香に混じり、店の内に籠っていた。布で覆われたランプは光量に乏しく、けれど空気に色を付けるようで、手を伸ばせばそのつま先が暗がりに触れるようだった。
「では、お席に案内いたします」
いつもの軽薄な調子は鳴りを潜め、無駄口一つなく三ツ江がマトロを先導する。
店内は驚くほど席数が少なかった。背の低いテーブルをソファーが囲み、席と席の間には衝立が置かれている。それなりに広い店舗を用意したはずだけれど、席数はせいぜい十かそこらだろう。同じ面積でも、調度を選びカウンター席を用意すれば五六十人は入れられる。
この席数では、入れられても精々四十人、十グループが限界だ。
とはいえ高級志向というほどでもない。その手の店なら個室が前提だ。丁度、その中間の客層を集める為の店なのだろう。
マトロが案内されたのは、フロアの奥まった位置にある一際広い席だった。
促されて腰を下ろすと、その両側を二人の女性が固める。
「三ツ江君、彼女たちは?」
「キャスト――キャバ嬢って言うんスけど。お客さんの隣で酒を注いだり、話を聞いたりするのが仕事なんすよ。ボディタッチは……」
「肩から手まで、それにここから先までは大丈夫で~すっ」
身振りを交えて、キャバ嬢が触れてもいい部位を示す。太もものかなり際どいラインまで、だ。
衣服はアルカトルテリアのそれに準じているが、肩口や鎖骨、それに腿を露出させるような着こなしは破廉恥極まりない。
一切女性には触れず、冷めた目でマトロが三ツ江を見上げる。
「……つまりは、売春もする酒場ということかな」
すっかり興ざめしてしまったようだった。その表情には呆れと、それ以上に侮蔑が含まれている。
表通りにならばともかく、一歩裏路地に入れば食事と酒、それに売春を合わせたような店がいくらでもある。いわんや、ここはミルカセ――開発途上区域だ。農村部から流れてきたり、借金のカタに売られたりと、その手の女性に事欠かない。
立ったままの三ツ江をマトロは見上げていたけれど、その視線は見下げ果てているようだった。
「いやぁ、ウチはそういう店じゃないんで。女の子と楽しく酒を飲むための店なんスよ。ま、合意の上でそういうことするのは止めないっスけどね?」
そんなマトロの反応も、三ツ江にとっては想定内だった。
「お客様が来店したら、テーブル一つにつき一人、女の子がやってきて持て成します。この女の子はその時暇だった女の子っスね。んでもって、お気に入りの女の子が居たら、金を払って呼ぶことも出来ます。でもまあ、それだけっス。それ以上は、店としてはノータッチで」
「ふむ……それは、商売として成立しているのかね?」
「要は、女の子との出会いとか、仲良くする時間を売ってる感じっスかね。可愛い娘を探して、口説いて、ご飯に誘うっつー手間をこっちが代わりにやってる感じで」
実際には、そこに席料や女の子の分を含めた飲食代、さらに延長料やサービス料が追加されるのだが、敢えて触れない。重要なのはキャバクラという概念をマトロに伝えることだった。
「なるほど……。一つ質問があるのだがね、正式に開店したら、私の商売相手をこの店に誘っても構わないかな?」
「もちろん。伏見の兄貴も、そういうお客さんを狙ってるみたいで」
アクィールやマトロのような大商人はともかく、小規模な商いで生計を立てている商人らにとって歓待の場所を用意することはなかなかに難しい。客が少なく、静かで、持て成すための女性も用意されたこの店は彼らにとって都合のいい場所のはずだ。多少値が張ろうと、この店を使いたがる客はたえないだろう。
「それで、当の伏見君はどうしたのかな」
「や、申し訳ねぇっス。兄貴は裏でこの後の準備してるんスよ」
頭を下げて弁解する三ツ江の背後から、給仕役の子供たちがトレイを運んでくる。
透明度の高いガラス瓶に注がれた蒸留酒と、切子細工の施されたグラス、そしてなにやら見慣れぬ金属製のバケツが一つ。
「それに、兄貴が出てくると仕事の話になっちゃうじゃないっスか。まずはウチの店を楽しんでもらおうっつー兄貴の計らいで」
普段ならば、すぐにでも断るであろう提案だ。
マトロが口を閉ざしたのは、自身の隣に腰掛けるキャバ嬢らの手先を見たからだった。
「……これは珍しい。氷とは」
アルカトルテリアではそうそうお目にかかれない代物だ。
この時代、氷は冬に出来たものを洞窟や地下の氷室に保存し、少しずつ切り出して使われる。移動都市であり、平坦な大地のアルカトルテリアでは寄港先でしか手に入らない高級品。
それがごく当たり前のように出てきたのは驚きだった。酒瓶もよく冷やされているようで、ガラス瓶の底から結露が滴り落ちてテーブルを濡らす。
「こういった趣向なら大歓迎だ。楽しませてもらうよ」
両腕を広げ、マトロは大げさにその喜びを表現して見せた。
このテーブル上で広げられるのは、伏見ら千明組がもたらした変化の先にある未来そのものだ。
時計によって同じ時間を共有し、酒場に行けば当たり前のように氷やよく冷えた酒が供されるような。
そんな趣向、見過ごせるはずがなかった。
「ま、今日は旦那の為の特別仕様なんスけどねー」
そう言って、三ツ江はナッツとフルーツの盛り合わせをサーブする。
アルカトルテリアにおいて、多少値は張るが、それは一般的な酒の肴だ。煎ったり素揚げにした木の実や豆、それにドライフルーツなどがテーブルの上に並ぶ。
「それは、どういうことかな」
「なんつーか、別に毎日氷を作ることだって出来なくはねぇんですよ。ただ、こっちが出せる物資には限界があるっつー話でして」
こうやって三ツ江が話している間も、発電機は駆動しガソリンは消費され続けていく。ガソリン自体はいくらでもあるけれど、発電機が故障してしまえば二度と使うことが出来ないのだ。冷蔵庫だってそう。無理をすれば一年だって続かない。
「この店では、出来る限りこの街で手に入るものだけで運営したいってのが兄貴の考えなんスよ。じゃねぇと続けられねぇっス。……最終的には、この店を売っ払うことも視野に入れてるみたいで」
「……店を、売る?」
この世界では、未だ馴染まない概念だろう。
店を持つというのは、商人にとって一つのゴールだ。どこぞの商会や商人の下で学び、独り立ちしてからは露天商や出店、行商で金を稼ぐ。店を買うというのはそうした年月の先にあるものだ。マトロもそうして自らの店を持ち、祭祀の座に手が届くほどまで大きく育て上げた。どんな小さな店であろうと、その価値は決して安くない。
「マトロの旦那も勘違いしてると思うんスけど……別に、自分らは商人じゃねぇんスよ。どんだけ頑張ってもいつかボロが出るっス」
「そうは見えないけれどね。三ツ江君はもちろん、伏見君は私の商会に欲しいくらいだ」
「兄貴はまぁ、特別で。さておき、そんな自分らに出来ることは精々が新しい商売のアイデアを売ることくらいなんスよ」
例えば。
キャバクラにしたって、店が成功すればその手法を模倣する人間が現れるだろう。それはもちろん、日本育ちのヤクザよりももっと上手く、この世界に受け入れられやすい形で、だ。
時計も、冷蔵庫も、千明組が優位を保てるのは精々数年がいいところだろう。成功者を模倣する人間は必ず現れる。そして、その競争に千明組がついていけるのかと言えば否だ。この世界には特許も知的財産権もなく、千明組には競争の先頭を走る持久力も手広く商売を続ける人手もない。
「――つまり、一つ所に拘泥する気がないんだね。君たちは」
グラスに口をつけ、マトロが氷のように冷えた酒を流し込んだ。
慣れぬ味だ。腐り落ちる前の果実のような芳香に、口当たりは柔らかく、その冷たさを忘れたころに喉奥や舌根が燃える。後には酒気の混じった息と雨後の森に似た香りが残った。
酒の味と伏見らの有り様に、マトロが笑みを深くする。
「それこそ私の望むところ、だ。つくづく私と君たちは相性がいいらしい」
「……まあ、そういう訳で今回は特別なんス。あとまあ、ぶっちゃけ店で氷なんて出したら金いくら貰っても赤字っスよ」
「ふむ……」
もう一口、マトロが酒を飲み下す。
話が丁度終わったそのタイミングで、三ツ江が腕時計を外し、テーブルの上に置いて見せた。
「とりあえず、旦那は兄貴が来るまでウチの店を楽しんでってください。一セット一時間が基本なんで、まあそれまで」
「私はどうも、楽しむのが苦手でね。恐縮だが、その楽しみ方を教えてはくれないかな」
立ち去ろうとしたその背中に声を掛けられ、三ツ江が振り向く。その表情は相も変わらず、人懐っこい笑顔のまま。
「ウチの店、そうかたっくるしくないんスよ。どうぞ女の子との会話を楽しんでって下さい。日頃の愚痴とか、将来の夢とか、誰かの悪口とか。そういうのを聞いてくれる店なんスから」




