003話.ヤクザ、BBQする
「若頭ァ! おさんぽご苦労様でしたァ!」
「おさんぽ言うなや。哨戒と言え哨戒と」
出迎えは門番の駒田だった。筋肉モリモリのオタクである。ガタイが良いのでスーツを着せて立たせておくと格好がつくのだが、今は実用重視でジャージとTシャツだ。
何分、右も左も分からぬ異世界である。警戒の為に立たせておいたのだが、どうやら何事もなかったらしい。
あのゴブリン共も、まだ千明組には気づいていないのだろう。こちらを襲撃してくるかどうかは分かりかねるが、警戒しておくに越したことはない。
「駒田。後で納屋行って、鉈かなんか用意しとけ。この辺なんか妙な生き物がいるぞ」
「俺ら、さっきゴブリン倒したんだぜゴブリン!」
「マジすか三ツ江の兄貴! 経験値どれくらいでした!?」
「ステータス画面見えないからなぁ……」
軽い与太話と共に門扉をくぐる。
見送る駒田の視界に、三ツ江の背中に負ぶさったシルセが見えた。
「兄貴! 兄貴! その幼女誰スか!」
「第一村人だ」
そっけなく答えて伏見らが進んでいく。
正面の玄関を避けて、左側の中庭へ。
ここまで近づくと嫌でもわかる。煙に混じって肉や魚の焼ける匂いがした。
「あ、三ツ江さん! お帰りです!」
「……菜月ちゃん。火のそばを離れちゃいけないよ」
「はいっ!」
こちらに駆け寄ろうとしたお嬢がトシエさんに窘められる。
お嬢はトング片手に鉄板の番をしているようだった。ぎこちない手つきで魚や肉をひっくり返している。
トシエさんの方は手慣れたものだ。コンクリートブロックで組んだ簡易かまどで米を炊きつつ、次々に野菜や肉を切って串を打つ。
「あれ、お嬢は体操着っすか。懐かしー」
「だって私、制服と体操着しか持ってないんですよ! これだってさっきトシエさんに洗濯してもらって、ようやく乾いたんですから!」
「体操着の上からエプロンってのは新鮮っすねー」
「えー? なんか三ツ江さん、おじさんっぽくないです?」
楽し気な二人を尻目に、伏見は荷物を庭の端に置く。三ツ江の背中からシルセを取り上げると、縁側に座らせて傷の具合を見た。森の中では応急手当しかできなかったのだ。包帯の巻きも雑で、ところどころが緩んでいる。
「まずは水と着替えだなァ。包帯と消毒薬と……」
「あ、あの……」
「いいから座っとけ。俺ァちょっと薬取ってくるから」
靴を脱いで、伏見は屋敷の中へ。
シルセは縁側に座らせられて、所在なく、庭や屋敷をきょろきょろと眺めている。
「……あの、三ツ江さん。あの子は?」
「さっき変な生き物に襲われて怪我してるんスよ。こっちは自分がやるんで、お嬢はあの子見てもらっていいですかね」
「三ツ江さん、料理出来るんですか?」
「やー、行儀見習いってやつで。問題なしっス!」
「じゃ、お願いします」
エプロンを脱ぐと、それを三ツ江に渡してお嬢が縁側へ。三ツ江はバケツで手を洗った後、エプロンを着てから丁寧に手を消毒して焼き網の前に立った。
「初めまして。私は八代菜月っていいます。お名前教えてもらえるかなー?」
「シル……シルセ、です。菜月、さん」
「シルセちゃんかぁー。あ、怪我してるんだね。ちょっとおねぇさんに見せてもらっていい?」
シルセがうなずくのを待って、雑に包帯の巻かれた左足へと手を伸ばす。
包帯をほどいていくと、乾きかけたかさぶたが剥がれ、シルセが痛みに顔を歪めた。
「ちょーっと痛いけど我慢してねー」
「お嬢。お願いできやすか」
一通り必要な物を揃えた伏見が、お嬢にペットボトル入りの水を手渡す。
受け取った水で傷口を洗浄すると、ピンセットで一つ一つゴミを取り除き、軟膏を塗って真新しい包帯を巻いて終わりだ。幸運なことに、縫わなければならないような傷は見当たらなかった。
「はい。よく頑張ったねー。もう痛くないかな?」
痛みが和らいだ足を不思議そうに眺めつつ、シルセが頷いた。
「ん。じゃあ、次は右足ねー」
手際よく手当てを続けながら、お嬢はシルセを観察した。
シルセの体は傷だらけだ。足が一番ひどいが、肌の出ているところは一通り傷がついている。どこかでぶつけたのか鼻は赤くなって、乾いた血の欠片が鼻下に残っていた。唇には恐怖のせいか、自ら噛み千切ったような跡が残る。
子供とはいえ、残る傷もいくつかあるだろう。感染症になれば命を失うことだってあり得る。
こんな風になるくらい怖いことが、この世界にはあるのだ。
この世界。
思い至れば背筋が凍る、そんな言葉だ。
菜月が住んでいた世界と違う『ここ』に来たのは昨日の夕方だった。
水も電気も使えず、テレビは映らないしスマートフォンも繋がらない。ライフラインの全てが断たれ、何もわからない場所に放り込まれたのだ。屋敷は混乱に陥った。
三ツ江と伏見が気持ち悪いくらいに手際よく場を収めたが、不安は拭いきれるものでもない。
「……菜月、さん?」
シルセに声を掛けられて、菜月が顔を上げた。優しく微笑んで、また手当てを続ける。
気丈でいられるのは一人じゃないからだ。
三ツ江は優しく話しやすいし、伏見は怖いけど頼りになる。一応、父親だっているのだ。
そして目の前には傷の痛みを我慢する、自分よりも小さな女の子がいる。不安にさせないよう、努めて笑みを作った。
「はいっおしまい!」
シルセの頬にガーゼを貼って手当を終える。
「あとは着替えですけど……んー。私の服すらないんですよねー。伏見さん、Tシャツとかって借りれますか?」
「……女の子の服なら、親父が持ってますが」
「えぇ……」
嫌そうに聞き返すお嬢に、それこそ意外だという顔で伏見が首を傾げる。
「ご存じありませんか。親父が、いつかお嬢に着せてやりたいって買い貯めたものが合計で四、五十着ほど」
「何それ、キモ……」
その後。
組長は愛娘に十七回キモイと言われつつタンスを漁られた挙句趣味の悪さを罵られ防虫剤の匂いがオッサンっぽいと駄目だしされながらも、兼ねてよりプレゼントしたいと思っていた洋服を贈れたのだった。
今は縁側でうなだれている。
まあ、思春期の娘を持った父親なんてそんなものである。これからも強く生きて欲しい。
まだコンロには火が残っていたけれど、BBQは既に終わりかけだ。
最初はがっついていた若衆らも、今は皿に残しておいた肉を肴にちょびちょびとぬるいビールを飲んでいる。
お嬢とシルセは、締めの焼きそばを作るトシエさんの手さばきを楽し気に眺めていた。短い間に随分仲良くなったようだ。三ツ江はごく自然に女性陣の会話へ混ざっている。
「……まあ、気分転換にはなったようで何よりです」
組長の隣で、伏見が貴重なタバコの一本に火を点ける。
このBBQには二つの意味があった。
一つは言うまでもなく、冷蔵庫、冷凍庫が使えなくなり、保存が効かない食べ物を消費する為。
元々、千明組は二十人を超える大所帯だ。保存していた食料も相当な量になる。米や芋、燻製にできるブロック肉はともかく、豆腐や調理済みの常備菜などは足が速く、昨日のうちに消費してしまった。
今日のBBQもその流れだ。加工しづらい物を中心に消費している。
そしてもう一つは、レクリエーションである。
単純に、BBQは楽しいのだ。
異常な速度でこの世界に順応し始めている伏見と三ツ江はともかく、他の組員はヤクザでも一般人だ。相応にストレスが溜まっている。心身を健康に保つためにも、この辺りで楽しんでおく必要があった。
手配したのは伏見だ。顔が怖いわりに繊細な心配りである。
「正直、オメェがいたおかげで助かってるよ。わしはどうも、ついていけん……」
疲れた顔で組長は言う。
現状において、もっとも疲弊が激しいのは組長だった。
歳のせいもあるが、未知の状況に適応できず、それでいて愛娘や構成員の安全を保障しなければならない。その重責は余人には計り知れないだろう。
娘に罵られた件については問題ない。この組長、娘に怒られるとしばらく凹んでいるのだが、一両日ほど経つと逆に元気になる性分である。
「何言ってるんですか。親父がしゃんとしてくれなきゃ、他のモンに示しがつきません」
「……どうにかして日本に帰れねぇもんかなぁ……」
「その目は、なくはねぇですが……」
シルセとの会話から推測したこの世界の「設定」は、すでに組長にも話してある。
正体不明の神と、言語を翻訳する神域の接触。
都市という単位と神敵。
それに、他にも収穫はあった。
伏見は内ポケットから植物の葉をひとひら取り出して、組長に差し出す。
「これ、なんに見えますか」
「何って、藤の葉だろうが」
意匠化されたブドウのように、楕円形の葉が連なった形状。藤やマメ科の植物の葉っぱだ。細部は違っても大きく外れてはいまい。花札の図柄にも採用されている植物で組長にも馴染みがある。
「この葉っぱは、さっき森の中で取って来やした。わかりますか」
「……それがおかしいのか」
「おかしいんです。まったく違う世界というなら同じ植物は存在しないもんなんですよ」
それこそ、神様の書いた設計図でもない限り有り得ないことだ。
近似種の植物が存在するということは、伏見らの居た世界のこの世界が過去に繋がっていたという証拠に成り得る。
「……偶然似たような植物が生えたんじゃねぇのか。こう……なんか、進化して」
「そりゃ、数十年前のSF小説ですら否定された話です。シルエットが似ているだけでも奇跡と奇跡を足してさらに奇跡で掛けたような偶然なんですよ。ここまで近似しているなんてありえません。可能性がゼロとは言い切れませんが……」
たとえば、生まれたばかりの地球と、限りなく地球と同一に近い惑星Aを用意する。四十六億年待ち、惑星Aに人類は存在するだろうか?
答えは否だ。たとえ惑星Aを四十六億個用意したところで、人型の生物が存在するかどうかすら疑わしい。
生命の進化は一秒、一刹那ごとにサイコロを振るようなものだ。たった一回、出目が狂うだけで人類は存在しない。
伏見の手のひらに乗せられた藤の葉もそうだ。例え近似種のように見えても、惑星Aの植物であればそれは藤ではない。例え地球の藤と交配させたところで種も出来ないだろう。
「どんな形かは分かりませんが、この世界は明らかに地球と繋がってる。なら、帰ることだって不可能じゃないでしょうや」
パターンとしては、神様の設計図の他にも、コピー世界だとか平行世界だとか、オリジナルの世界がもう一つ存在していてここも日本もコピーという設定も有り得るが、そこまでは面倒なので触れない。
必要なのは希望だ。
いつか元の世界に帰れる。その可能性は心を安定させるための保険として機能してくれるだろう。
だから、伏見は敢えて矛盾には触れない。
そもそも、現実に異世界へと転移することなんてありえないのだ。人一人ならいざ知らず、敷地ごと、集団が消えた話など伏見は聞いたこともなかった。世界が繋がっている――幾度となく転移が行われているのなら、証拠はどこかに残っているはずなのに。
仮に記録にも残らないほど頻度の低い事象ならば、再現することも難しい。そもそも片道切符の可能性だってある――。
そこまで考えて、伏見は思考を放棄する。
どれだけ考えたところで可能性は可能性だ。新しい証拠がなければ推論も立てられない。
日本への帰還に必要な情報をどうやって集めるか。そんな疑問だけ頭の片隅に置いておく。
顔を上げて、伏見はぼんやりと庭の様子を眺めた。
考えるべきことはいくらでもあるのだ。
帰れるかどうかも分からない、ヤクザを排斥した日本よりも、もっと切実な問題の数々。
「――伏見よう。おめぇ、組長やってみる気はねぇか」
その一つが、隣に座る組長から投げかけられた。