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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
39/130

038話.ヤクザ、決める

 マトロ――蟹男。

 家名はない。ただのマトロだ。

 生まれはアルカトルテリアに合祀された小都市。農村部で幼少期を過ごしたが、身体が弱く三男坊だったため、口減らしとして懇意にしていた商人の下へ奉公に出される。独立後はミルカセ――都市部と農村部の境界、それも祭祀道から離れた未開発地区を中心にその勢力を拡大。四人の祭祀に続く五人目の商人として台頭し、由緒も伝統もある都市商人からは「ミルカセの小僧」として敵視されている――と。

 良くも悪くも、話題性のある人物らしい。あの日の交渉から一週間と待たず、それだけの噂が集まった。

 その人間性こそ好きになれないが、千明組の商売相手としてはまさにうってつけの人物だ。

 千明組がこの世界に持ち込んだのは産業革命以降の様々な技術、知識、それらの集合体が生み出した成果。断片化した近似世界の未来そのものだ。

 かつての伝統を受け継ぐアクィールではなく、アルカトルテリアを変革しようとするマトロの方が事は上手く運ぶだろう。

 事実、この数日間で伏見らの計画は大いに進んだ。

 交渉の翌日にはミルカセに空き店舗と別荘が用意され、開店に必要な家具や調度品までも手配してくれるという。店員の斡旋だけは固辞したが、頼めば実際の店舗運用までやってくれただろう。

 その代価としてパチモン時計をいくらか要求されたが、その程度なら安いものだ。どのみち、クォーツ時計だけでは金にしかならない。

 金も必要ではあるが、伏見が望んでいるのは金を産む仕組みそのものだった。

 大した利益にもならない店を開くのもその一環だ。商売を続ける限り、店は金を産み続ける。複数の商売を抱えることでリスクを回避するという考え方。

 その案を実行するにあたって、千明組の人手不足がいよいよ深刻になってきた。

 屋敷を留守にするわけにもいかず、他の若衆はトルタス村の方で別の事業に勤しんでいる。こちらでの人材収集も進んでおらず――結果、こちらに割り振れるのは伏見と三ツ江、それに山喜とトシエさんの四人だけだった。

 年配組に力仕事をさせる訳にもいかず、伏見は今朝もこうして、荷下ろしに付き合わされている次第である。

「んじゃ下ろすぞー」

「うぃーっス」

 馬車の荷台から、布に包まれた箱状の荷物を二人がかりで下ろしていく。

 中身は小型の冷蔵庫だ。こちらに来れなかった組員の私物で、辛うじて氷が作れる程度の安物である。当然、それだけでは役に立たないので発電機やガソリンも積み込まれている。

 これもまた、こちらの世界では再現の難しい機械だ。熱交換――単純に言えば冷蔵庫内部の熱を外に排出すればいい。その理屈は分かるが、具体的にどうすればいいのかさっぱりだった。

 いずれ生産するつもりではあるが、年単位の研究が必要になってくるだろう。動かすために必要な電力、それを作る為のガソリンを考えればコストがかかりすぎている。とてもじゃないが、店で利用出来るような物ではない。

「兄貴、これどうするんスか?」

「ハッタリだよハッタリ。折角蟹男を招待したんだ、キッチリ驚いてもらわねぇと」

 話しながら、二人は慣れた様子で冷蔵庫を店に搬入する。

 店内はまだ内装も行き届いていない。建物本来の土壁が剥き出しになっていて、床はようやく板張りが終わったところだ。掃除はしてあるがワックスは間に合わなかった。

 年輪と節の模様が残る床板の上にはソファーやテーブル、壁際にはカウンターと食器棚が置いてある。窓はなく、吊るされたオイルランプだけがうすぼんやりと室内を照らしていた。

「伯父貴、ちょっと失礼しますよー」

 ソファーで新人教育をしていた山喜に声を掛けて、その脇を通り過ぎていく。

「よーし、じゃあトークのおさらいだ。お客の話には?」

「「「興味を持って前のめり! あなたの話がもっと聞きたい!」」」

「長話にうんざりしても?」

「「「絶対相槌忘れずに! えーすごーいかっこいー!」」」

「なぁ、キミはどう思う?」

「「「難しくってわからなーい!」」」

「よぉし、ええで。もうちょい頭軽そうな感じでいこか」

 新人教育も順調らしい。

 千明組側で雇ったこの店の店員だ。アルカトルテリアの衣服を下品にならない程度に着崩した二十代の女性四人。店が成功すれば増員するつもりではあるが、この短期間ではこれだけ揃えるのが精いっぱいだった。

 カウンターの奥には急ごしらえのキッチンがあり、トシエさんが料理の仕込みをしている。

「はーい、ちょっと通りますよーっと」

 狭いキッチンで忙しそうに駆け回っていたのは、三ツ江がアルカトルテリアで雇った元浮浪者の子供たちだ。野菜の下ごしらえやら洗い物やら、たどたどしくはあるけれど何とかこなせるようになってきたようだ。

 伏見らが運んできた冷蔵庫は子どもたちの興味を引いたらしい。一斉に手を止めて目を向ける。

「三ツ江のアニキー、これなに……ですか?」

「あー、これは入れた物が冷たくなる不思議な箱だよ」

「なにそれすげぇ!」

 どうやったものか、三ツ江は子どもたちと随分馴染んだようだ。このグループには別件の仕事も任せているが、そちらも上手くやっている。将来的には千明組の新たな若衆として期待できそうだ。

 適当に子供たちをあしらい、二人がキッチンを出る。

 三ツ江が危惧を口にしたのはそんなタイミングだった。

「……んで、アクィールさんとこの方はどうですか」

「どうって、別にどうもしねぇよ。娘を売るつもりらしいけど、まだガキだしなァ。とりあえず婚約して、そっから時期を待って結婚するんじゃねぇのか」

 三ツ江の疑問におざなりな言葉で返して、伏見は表へと向かう。

 千明組の店がある都市外周部でも、やはり朝は忙しないようだ。大通りと比べれば馬車の数は少なく、通行人の身なりもやや見すぼらしくて、けれど人通りはたえることがない。

 雑多で賑やか、粗野に粗雑。中央のロータリーなんかよりよっぽど伏見の性にあっている。

 夜通し走ってきたせいで馬も御者も疲労困憊だ。三ツ江と手分けして荷物を下ろし、中継地へと送り出す。

「組の方はどうだ。上手くいってるか」

「色々やってはみてるんスけど、やっぱ難しいっスねー。大豆はなんとかなりそうなんスけど、米は難しそうっス。親父曰く、このへんの土は水はけが良すぎるらしくって。今、村人に頼んで粘土探してもらってます」

「粘土って……なんに使うんだ」

「なんか、土に混ぜて水はけを調整するらしいっス。今は親父の指示で田んぼ作ってるんスけど、時期的にはぎりぎりだとか」

 米や大豆は日本の食事の要だ。利益を度外視してでも確保しておきたい。

 今ある未精米の米から苗を作り、田んぼを広げて、千明組の人数分……十石ほどを生産する。栽培法がある程度確立されれば生産地を増やし、天災などで絶滅することを防がなくてはならない。

 農業もまた数年単位で進めなければいけないプロジェクトだ。気候や土壌などの兼ね合いもある。それでいて、今ある種子がなくなれば絶滅だ。とんでもなく難しく、また手間もかかる。

 けれど、これから死ぬまで米も醤油も口に出来ないというのはあまり考えたくない話だった。

「そういや、うずらの方はどうなった?」

「何羽か孵りましたけど、オスメスははっきりしないっスねー。お嬢が気に入って、かかりっきりで世話してますよ」

 鶏卵と違い、うずらの卵は有精卵だ。こちらに来てから試しに温めていたのだが、どうやら上手くいったらしい。

 無論、数羽程度で繁殖を進めれば種としての限界に至る為、いずれは近縁種を探して血を混ぜる必要がある。けれどせっかく日本から持ち込めたものなのだから有効に使いたかった。

 やるべきことは山積みだが、全て順調に進んでいる。

 順調すぎるくらいに、だ。

 次の荷物――ガソリンの詰まったポリタンクを持ち上げようと、伏見がその場にかがみこむ。その背中に、三ツ江は再び問いかけた。

「話戻すっスけど。ファティちゃんの方、どうするんスか」

「……どうって、なぁ……」

 せっかく話を逸らしていたのに。

 伏見は空を仰ぎ、ぼんやりとした視線をアルカトルテリアの中心へと向ける。

 あれから、アクィールの親子とは会っていなかった。婚約が決まったという話もマトロやその周囲の噂話程度にしか聞いていない。それでも、彼らの苦境は十分に理解出来た。

 アクィール家を追い詰めているのは、トルタス村壊滅の疑惑でもマトロでもない。他の祭祀に見切りをつけられたことだ。きっとアクィールは伝手なりコネクションなりを駆使して彼らに働きかけて――それでも、婚約を受け入れたというのならば、全てが徒労に終わったのだろう。

「別に、どうもしねぇよ。何したって儲からねぇし、アクィール家が持ってるもんが必要なら蟹男を通せばどうとでもしてくれるだろ」

「でも、義理ってもんがあるんじゃねぇですか」

「義理で食っていけるんならそうしてるよ」

 適当に三ツ江をかわして、伏見はガソリンの入ったポリタンクを持ち上げる。伏見の向けた背中へ、三ツ江は言葉を続けた。

「こっちに来るときは便宜を図ってもらったし、馬車もホテルも向こう持ちっスよ。一度組むって決めた相手を見捨てるのは、筋が違うんじゃあないですか」

「……今回のトラブルは向こうの責任だろ。大体、テメェがぶーたれた所で何が出来るってんだ」

「まあ、俺は何にも出来ないっスよ。頭悪ぃから」

 発電機の入った段ボール箱を抱き上げて、三ツ江が伏見を追い越す。

 垣間見えた横顔は、怒っている訳でも不貞腐れている訳でもなかった。そこにあるのは至極単純な信頼だ。

「でも、兄貴なら何とか出来るんじゃねぇかって思ったんスよ。……余計なこと言いました、すんません」

 言うだけ言って、三ツ江は先へと進んでいく。

 置いていかれた伏見は、両手にポリタンクをぶら下げて、もう一度空を仰ぎ見た。

 真っ青なキャンパスに白の絵の具だけ乗せたような、見慣れた空。

 その天下には広大なアルカトルテリアの都市が広がり、その端には染みのように小さなトルタス村が寄り添っている。アウロクフトの大森林は黒々と渦巻いて人を拒絶する。

 何もかも見知らぬ大地だ。

 お前に何が出来るのかと尋ねられているようだった。

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