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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
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037話.ヤクザ、見捨てる

 マトロの迫る選択は、どちらを選ぼうが破滅へと続いていた。

 全てを失うか全てを奪われるかの違い。それでいて、利益は全てマトロと他の祭祀へ配分される仕組みになっている。

 一方では、一族もろともに罪人として処され、破滅する。

 一方では、祖より受け継いだ家名、財産、そして愛娘とその中に流れる血すら簒奪される。

 どちらも死と大差なく、苦渋と呼ぶことすら生温い選択を強いられているのだ。

 口を出したところで何が変わるわけでもないけれど、伏見にとっては傍観もまた耐え難いことだった。

「安心したまえ。私は君に興味がないのでね。婚姻を結んだあとは愛人を囲うなり男娼を買うなり好きにするがいい。まあ――相続させるつもりはないので、子どもは他人として育てて貰うが」

 マトロの言葉はファティへと向けられたものだ。善意のつもりかもしれないが何の慰めにもなっていない。

 ついさっきまで、テーブルの上には輝かしい未来の話が乗せられていた筈なのだ。それがいつの間にか、死ぬか殺されるかなんて状況にまで追い詰められている。

 見開かれたファティの目が、父親、マトロ、三ツ江にお嬢と巡って、最後に伏見を見て止まった。

「……そちらさんの話は終わったかい。なら次はこっちの話をしてぇんだが」

「いいですとも! いやはや、老犬を縊り殺すのは心が痛む。君たちとは建設的な話し合いが出来るといいのだが」

 いけ好かない男だ

 再び差し伸べられたマトロの手を握り返して笑顔を作るが、伏見の感想はそんなものだった。

 気障をはき違えたような言葉遣いと、洗練なんて言葉をどこかに置き忘れた髪型に、見ているだけで目が痛くなるような服装。そして何より、他人を陥れて勝ち誇るような性格が気にくわない。

 それでも、アクィールが使えない今、目の前の蟹男は重要な商売相手だ。疎かにするわけにもいかなかった。

「単刀直入に聞きますがね。こっちはアンタに商売相手潰されてんだ、その責任、どう取ってもらえるんだい」

「物事はシンプルに。伏見君が言った言葉だ。私も大いに賛成だよ」

 立ち上がった伏見の肩に、マトロは馴れ馴れしく腕を回した。

 髪が突き刺さりそうなのでやめて欲しい。

「君がアクィール氏に提案していた条件、その全てを受け入れよう。君の都市が編入されるまでの宿泊先や移動手段、出店までのサポートも存分に」

「そりゃ上等だ。まったく、ありがたくて涙が出るね」

 交渉のたたき台とする為にふっかけた条件だ。それを丸まる呑むというのだから随分気前がいい。

 自分を過信しているのか、あるいはその条件下でなお有利に事を運ぶ策でもあるのか。

「……そちらからの条件は?」

「ひとまず、アクィール氏に渡した以上のサンプルが欲しいね。どうせまだまだ隠しているのだろう? 洗いざらいなんて下品な真似はしたくもないが、アプローチはもう少し大胆にお願いしたい」

 ウザい。

 ウザいが、伏見としても妥協できるラインではある。

 今回の交渉が成功すれば、機械式時計をはじめとする様々な商品を見せる予定ではあったのだ。

「請け負った。三日以内に用意させてもらうよ」

「では、場所を変えよう。こんなカビ臭い所では話も弾まない。ああ、夕食はこちらで用意させてもらうとも」

 踵を返すと、マトロは振り向くことなく扉へと歩き出した。こちらが拒絶することなどまるで考えてもいない、傲慢な態度。気にくわないが、伏見はため息一つで感情を切り替える。

「んじゃおいとまするか。お嬢、行きますよ」

「伏見さん、でも……」

「いいからいいから。こういう仕事は兄貴に任せときゃいいんスよ」

 きっと、他人が破滅する様を眺めるのは初めてなのだろう。あるいはアクィール親子に何か思うところがあったのかもしれない。後ろ髪を引かれるお嬢を、三ツ江は部屋の外に連れ出してくれた。

 正直、助かる。ここでお嬢がアクィール家を助けたいなどと言い出したらまた話がこじれるところだった。

 マトロが言うカビ臭さは、アクィール親子のものだろう。

 既に活路もないのに、必死で逃げ道を探している。それは、見るに堪えない、耐え難い姿だった。

 長居すればあてられてしまいそうで、伏見もまた立ち去ろうとする。

 ファティがスーツの裾を掴みさえしなければ、そうすることが出来ただろうに。

「伏見、さん……」

 小さな手で、皺が残りそうなくらいに強く、縋られる。

 強引に振り払うことも出来たけれど。伏見はその場でしゃがみ込み、強張った手を温めるように包んだ。絡んだ指を一つ一つ解いていく。

「……悪ぃなとは、思ってるよ」

 伏見が立ち上がると、ファティは次にその指を掴んだ。逆の手で腕を取り、抱くように引いて。

 今まさに自身の未来が閉ざされようとしているのだ。藁だろうがヤクザだろうが、縋りたくもなるだろう。

 だから伏見は言う。

 それは、断崖から突き落とすように。

「俺は、まずウチの連中を守らなきゃならねぇんだ。他は全部後回しで、どうでもいいことなんだよ」

 ファティはむずがるように頭を振り、決して手を放そうとはしなかったけれど。

 腕を引けばするりと抜けて、伏見は背中を向けた。

「すまねぇなぁ、ほんと。……俺らはしばらくマトロの世話になるからよ、次に会ったときはよろしく頼むわ」

 選ぶのなら、アクィールは娘を差し出すだろう。娘の人生に多少の制限がつこうとも、自身もろとも娘と破滅するよりはずっとマシだ。ずっとずっとマシだ。

 慣れてさえしまえば、相応の幸せだって見つかるはずだろう。

 今はただ未知への変化に怯えているだけ。飲み下してしまえば慣れてしまう程度のこと。

 自分に言い聞かせるようにして、伏見は部屋を後にした。

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