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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
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035話.ヤクザ、邪魔される

「その時計ですが、ちょいと問題がありましてね。さて、お伝えしてましたっけ」

 余りにも平然と口にするものだから、きっと誰もが気付かなかった。

 伏見の言葉が、アクィールの皮算用を台無しにしてしまうことに。

「問題……ですか」

「ええ、まあぶっちゃけた話、その時計は寿命がどうも短くって。一年動けば上々、下手すりゃ三か月も待たずに止まっちまうんですよ。あれ、ホントに伝え忘れてました?」

 あっけらかんとした伏見の物言いに、アクィールは言葉もない。

 元々が某国製の偽ブランド品だ。自動巻きだの機械巻きだのといったムーブメントなんて積める訳もない。代わりに時計を動かしているのは安っぽい基盤とボタン電池だった。

 アクィールに渡した腕時計の寿命はイコールでボタン電池の寿命だ。伏見らの協力なしには生産どころか原理の解明すら不可能だろう。

「それは…………」

 黙りこくるアクィールの頭の中で、腕時計の価値が再計算される。

 形あるものは全て壊れるなんて言うけれど、生産力に乏しいこの世界の住人と大量生産、大量消費に慣らされた伏見達では意識が違うのだ。特に金属製品は手入れや修理を繰り返しながら長年使うのが当たり前。

 たかが数か月で壊れてしまう商品にどれだけの価値があるのか、必死に考えていることだろう。

「……修理にはどれくらいかかりますか?」

「いやぁ、それがうちには職人居なくて。修理も生産も出来ないんですよ。困った困った」

 伏見がぬけぬけと言い放つ。アクィールの浮かべる商売用の笑顔、その眉間に一筋の皺が寄った。

 腕時計のサンプルを受け取った時点で、アクィールは腕時計の自社生産、量産化をも視野に入れていた筈だ。言うまでもなく、生産から販売までを自社で行うことが出来れば利益はさらに莫大なものになる。

 すぐに模倣が出来ないのであれば、伏見達から技術を学び、盗み取ることで目的を達成しようとするだろう。でなければ千明組に利益の多くを独占されることになる。商売人としては当たり前の発想だ。

 けれど、当の千明組にその技術がないというのなら話が違ってくる。

「ま、幸運なことに数だけはある。値を下げて売ってもいいし、レンタルでもそれなりに儲かるでしょう」

「しかし、それでは……」

 そう言って、アクィールは渋面を作ってみせた。

 言葉を濁し、至極残念そうに振る舞ってはいるが、つまりは値切り交渉の前振りだろう。交渉相手が弱みを見せれば容赦なく付け込む。商人としては見上げた根性だけれど、付け込まれる側としてはたまらない。

 値切り交渉を始めるべく、アクィールが口を開く。その機先を封じたのは伏見の言葉だ。

「その儲けで、私たちは次の段階に進めるんですよ」

 伏見は自分の手首から腕時計を外すと、それをテーブルの上に置いた。

 誰もが黙りこくった室内に、ごとりと重い音が響く。

「この時計なら、アルカトルテリアでも作ることが出来るでしょう。どうぞご覧になって下さい」

 それは、伏せ札の一枚だった。

 水晶に交流電流を流し、そこに生じる振動を利用するのがクオーツ時計の原理である。伏見らの知識を総動員しようが、その再現には十年単位の時間がかかるだろう。

 だからこそ、伏見はサンプルに腕時計を選んだのだ。

 模倣すらされることのないように。

 腕から外した機械式の腕時計を、伏見はテーブルの上に滑らせる。

「さて、その違いをご理解いただけますかね? ほら、文字盤のトコ、中の部分が透けてるんですけれど」

 偽ブランドのパチモンとは訳が違う。手巻きの機械式腕時計だ。それでも元の世界の腕時計としては安物の部類だけれど、バラして構造を学ぶだけなら十二分に役に立つ。

 見ただけでは原理すら理解出来ないクオーツ時計とは違って、機械式時計は原理など分からなくともパーツを模倣すればいいのだ。当然、現代の水準に到達するには数十年、数百年以上の時間を要するだろうけれど。

「この腕時計を元にすれば、アルカトルテリアでも時計の生産が可能でしょう。あ、時計返して貰えます?」

 アクィールは、時計の文字盤から覗く精緻なムーブメントに目を奪われていたようだった。伏見に促され、名残惜しそうに時計を再びテーブルの上に滑らせる。

 異世界だろうが、やっぱり男というものは精密な機械に惹かれるものらしい。

 寄越された腕時計を再び巻いて、伏見が部屋の隅にある家具を指さした。

「ま、最初はそこの家具くらいの大きさになるんでしょうね。町中に建ってる鐘楼に取り付けてもいいし、懐中時計を目指してもいい。時間はかかるが、この都市では誰もやっていない商売だ。いくらでも儲かることでしょうよ」

「さっきから、一体なんの話を……」

「いやなに、商売の話をしているんです。アクィールさん」

 伏見が商売用の笑顔を張り付けたまま身を乗り出す。

 傍らで成り行きを見守っていたお嬢は、テレビで見るようなIT系の人を連想していた。例の、良く分からないがなんとなく説得力のあるポーズだ。

「物事はシンプルに進めましょう。私共といたしましては、アクィール商会のみに商品を卸す代わりに、商品を販売して得られる利益の三割を頂きたい。そして更に、互いに出資して腕時計などを製造する体制を構築したいと考えております。千明組のアルカトルテリア編入や都市内での出店を望んだのは、それらを円滑に進める為です」

 次々にまくしたてる。

 常識から言えば、到底受け入れられない提案だ。信頼も実績もない相手から雲をつかむような商売の話をされて、誰が受け入れるというのか。

 けれど、アクィールは既に見ている。

 伏見から渡された、現代日本の品々を。

「お判りいただけますか。この事業は、アルカトルテリアを単なる商業都市から、材料を輸入して完成品を輸出する加工貿易の都市へと革新するんです。十年二十年先、生み出される利益は計り知れない」

 伏見のプレゼンもどきを受けて、アクィールが黙考する。

 ある程度の理が伏見の言葉にあることは気付いているだろう。

 その上で、日本の物品のコピーを生産出来るかどうか、仮に生産出来たとしてコストがどれくらいかかるか、そんなことを考えているはずだ。どう話を進めれば、自分たちの利益を最大化出来るか、なんてことも。

 椅子に座りなおして、伏見はアクィールの言葉を待った。

 同席するお嬢と三ツ江、そしてファティの視線がアクィールに集まる。

 機械式時計の駆動音すら響き渡るような沈黙の中、アクィール商会の主、契約商業都市アルカトルテリアの祭祀が口を開いて。

「失礼する! そのお話、私にも是非お聞かせ願いたい!」

 続く言葉はアクィールのものではなく。

 ドアを開けて部屋に踏み入った乱入者のものだった。

「千明組の伏見君、だったかな。そこにいる男は所詮、革新を恐れ既得権益の確保のみに奔走する老人だ。手を繋ぐ相手を間違えてはいけない。君の商売に正しく力を貸せるのは私を置いて他に居ないのだよ!」

 我が物顔で絨毯の上を闊歩して、男は伏見へ握手を求める。

 その男は、おおむね蟹によく似ていた。

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