034話.ヤクザ、席につく
「――着きましたね。よっと」
開かれた客車の扉から、ファティは用意された踏台を跳ねるように降りていく。オイルランプに照らされた門前に立って、伏見へとエスコートの手を差し伸べた。
「伏見さん、どうぞこちらへ」
言われるままに手を取って、スーツ姿の伏見が馬車から降り立った。続く三ツ江がお嬢を下ろし、二人揃ってアクィールの邸宅を見上げる。
多少古びてはいたけれど、白の大理石で覆われたその外観はそれだけで周囲の建物を圧倒していた。アルカトルテリアではそうそうお目にかかれない板ガラスが窓にははめ込まれ、ランプの明かりや、邸内で働く人々の影が覗いている。風雨に晒され丸みを帯びた壁面の彫刻からは、行き過ぎた時代を否応なく感じさせた。
「はぇー。すごいっスねぇ。写真撮っとこうかな……」
「あっ、じゃあ私も! 私もお願いします!」
すっかり観光客気分の二人を尻目に、伏見は背後の通りをうかがう。
ファティの家――アクィール家の本宅はロータリーにほど近い大通りに居を構えていた。
伏見らの宿泊先から、歩いて十分もかからないような距離だ。わざわざ馬車で迎えを寄越したのは名家なりの面目だろうか。
既に日は落ちて、市はとうに片付けられている。わずかに残った露天商も商品を茣蓙にくるんで店じまいの真っ最中だ。
それでも、人通りは決して少なくはない。
女連れで中央広場へ向かう者もいれば、今日の上りを手に酒場へと駆け込む者もいる。四人しかいない祭祀の自宅に迎えられた伏見達には、それ相応に注視されていたりした。
「……こんな堂々としてていいもんかね」
スーツの襟を掴んで伏見が呟く。ヤクザというものはそもそも日陰者だ。夕暮れ時とは言え、世間様に堂々と姿を晒すのはどうも落ち着かない。
伏見の様子を見て、ファティは笑みをこぼす。
「他の祭祀には話をつけてありますから。見慣れない来客がいるのは彼らも承知の上ですよ」
「……横槍を刺してくれって言ってるようなもんじゃねぇのか?」
「彼らが千明組の価値に気付いていれば。――実際、あなた方のような都市は希少なんですよ。人数は少なく、それでいて――アルカトルテリアそのものを揺り動かすような可能性を秘めている」
「そりゃあ、俺らみたいなのがホイホイいても困るけどなァ」
全く居ないというのなら、それはそれで困るのだけれど。
他の転移者が存在しないのならいくらでも稼げるだろう。しかし、サンプルが少なくなればなるほど帰還の目は少なくなる。
伏見としては、ある程度儲けたところで他の転移者に遭遇するのが理想形だった。こちらが主導権を得られるのであれば申し分ない。
「では皆さま、よろしいでしょうか?」
居住まいを正した伏見らを見て、ファティが合図を出した。
男女の使用人が両開きのドアを開けると、隙間から眩い明かりが漏れる。玄関ホールの壁際には三十余人の使用人がずらりと並び、伏見らを前に腰を深く折った。
こちらの文化は未だ測りかねているけれど、相応以上の歓待だろう。
正面に立ってこちらに向かってくる男は当主だろうか。
アルカトルテリアを率いる四人の祭祀が一人。大商会の主。ファティの父親。
どんな人物かと想像してはいたけれど、結局、そのどれとも違っていた。
伏見らを迎えたのは、身なりが良くて裕福そうな、けれどどこかくたびれた印象の、ただの男だった。
「さて、なるべく良い楓酒を用意したつもりなのですが、異邦の方の口に合うかどうか」
「そんな、私共のような田舎者にこれ程の歓待、感謝の言葉もありません」
親指大のグラスに注がれた琥珀色の液体は、甘く濃厚な香りを漂わせていた。舐めるように一口飲んで、口の中で転がすように味わう。
香りや名前から、メープルシロップのような歯も溶ける甘さを想像していたのだけれど。そんな印象は一口目から裏切られた。
甘いと感じた次の瞬間には、口蓋を焼くようなアルコールに気付く。相当に度数が高いのだろう、吐く息すら燃えるように錯覚し、飲み下してもなお喉と胃に熱の塊を感じた。その時になってようやくメープルシロップと樽の香りが複雑に混じり合い、鼻から抜けていく。
「……これは面白い味ですね。故郷にはなかった味だ」
続けてもう一口、楓酒を味わう。
正直、伏見の好みとは少し違っていたけれど、良い酒ではあるのだろう。雑味がなく、薫り高い。ただ、日本への帰還が道筋すら見えない現状では、そのへんのおでん屋台で飲むような温めの燗酒が恋しかった。
「と、失礼。お嬢さんの方はこちらを」
アクィールの指示で、お嬢とファティの前にもグラスが置かれる。伏見や三ツ江に出された楓酒とは違う、黄金色の液体が注がれていた。
「良く冷やした果汁を絞り、楓の果汁を混ぜたものです」
レモネードのようなものだろうか。一口飲んで、お嬢が口をすぼませる。よっぽどすっぱかったらしい。
アルカトルテリアは木材が不足しているというから、この酒もメープルシロップも輸入物だろう。楓の木の樹液なのだから大量に採れるものでもない。
加えて言うならば、この時代、甘味は希少なはずだ。値段を想像しただけで頭がくらくらしそうだった。
「いやぁ、これはすばらしいものですね。こちらが手ぶらなのが申し訳なくなります」
そんな内心などおくびも見せず、伏見が空になったグラスを置いた。
実際には余裕ぶっているだけなのだけれど、果たして通じているかどうか。アクィールは表情を変えず、どちらとも読み取れない。
代わりとばかりにお嬢が仕事モードの伏見を興味深げに眺めていて、どうにもやりづらかった。
「そんな、とんでもない。あなた方がもたらした、この――」
アクィールが袖をまくり、左手首を晒す。
「腕時計。この一本だけでも、果たしてつり合いが取れるかどうか」
満面の笑みで、パチモンの時計を見せつけられても。
その、なんだ。困る。




