033話.ヤクザ、内緒話をする
「あの、よろしいでしょうか?」
「あ、いや、うん……少し自分を見失ってた」
ファティに声を掛けられて、伏見が居住まいを正す。
正直、声を掛けられなければたっぷり五分は物思いにふけっていたことだろう。
「……そんなにエルフのことが気になるんですか?」
「いや、なんつーかアレだ。エルフってのはこっちにも伝説みたいなもんでな。実在していると聞いて、ちょっと我を失った」
そう言って伏見は表情を整えるけれど、あいにく印象というものはすぐに変わってはくれないものである。ファティの目が、先ほどよりもどこか冷たく感じられた。
咳払いをして、伏見が話を戻す。
「でだ。あの村がエルフと交流があるって?」
「そうですよ。あの森の奥には衰退森林都市、アウロクフトが存在しています」
「……その割には、儲かってないようだったけどな」
商売で儲ける方法はいくらでもある。アクィール商会のように安い消耗品を一手に扱ったり、あるいは伏見らが計画しているように、単価の高い商品を富裕層に売りつけたり。
エルフとの交易が儲かるのなら、トルタス村だってもっと発展していてもよさそうなものなのに。
「それはそれ、仕入れにお金を掛け過ぎては利益が出ませんし、彼らはその価値を正確に知っている訳ではありませんから」
「……ま、それもそうか」
商品の価値を知らなければ搾取される。当たり前だ。犯罪を犯している訳でもない。ただ、無知につけこんでちょっとばかり得をしているだけの話。それが悪と言うのなら、伏見らが原価五百円にも満たない腕時計を売りつけようとしていることも悪だろう。
同情はするけれど、言えることは何もない。
「……そういや、村の方はどうなってんのかなァ」
「大丈夫ですよ。手配は済ませてありますから、今頃は――」
ファティの説明を聞きながら。
伏見が考えているのは別のことだった。
トルタス村が襲撃されてすぐ、アルカトルテリアの先行商隊がやってきた。千明組がゴブリンを壊滅させなければ、きっと彼らがトルタス村の人々を助けたことだろう。
そのトルタス村はエルフの都市と繋がりが存在し、アクィール商会にとっては有用な仕入れ口の一つだ。そのアクィール商会の主人が、実の娘に先行商隊の渉外役を任せている。
全ては符号だ。
その意味を探って、伏見は思考を巡らせていた。
金物を扱う問屋や彫金、鍛冶の工房を渡り歩き、様々な職人と会いはしたけれど、結局めぼしい収穫はなく。
午後のお茶を共にしたいというファティの提案を断って、伏見は再び宛がわれた宿泊先に帰ってきたのだった。
交渉の前準備もあるのだろう、しつこく付き合わされることもなかった。伏見を見送るファティの表情には眠気が見え隠れしていたので、そちらが理由なのかもしれない。
監視の目はあるにしろ、ようやく自由の身になって、伏見は上着を脱ぎ棄てた。
「あ! 兄貴、お疲れさまでした!」
先に帰っていた三ツ江がソファーから立ち上がり、伏見の上着を拾い上げる。
「おう、お嬢はどうした?」
「お嬢なら先に風呂入ってますよ。歩いて汗かいたからって」
「そりゃ、酷なことするなぁ……」
日本ならともかく、こちらでは「蛇口をひねったらお湯が出る」なんてことはない。お湯を沸かすにも燃料や人手が必要だ。木材が不足しているのなら燃料は石炭や泥炭だろうか。今回は他人の財布だから痛くも痒くもないが、ゆくゆくはその分を自分で払わなければならないのだ。それを考えると頭が痛くなる。
「ま、しょうがねぇか。お偉方と会うんだしおめかしはしなきゃな。お前はいいのか?」
「俺、ジャージしか持ってきてないんスけど」
「よし、お前はそのままでいい。……ただまぁ、汗はかいただろ。お前も風呂入っとけ」
「ウス」
語りながらソファーに腰掛け、伏見はタバコを一本取りだした。
すかさず三ツ江がライターを取り出し、タバコに火を点ける。本日二本目のタバコだ。希少な一本を、肺に染み込ませるように深く吸う。
「お前の方はどうだったよ。何か変わったことはあったかい」
「そっスねー、子どもを一人買いましたけど、それ以外は特に」
「……一体何があったらんなことになるんだ?」
三ツ江からことのあらましを聞き終えるころには、タバコが燃え尽きてしまっていた。フィルターだけになったそれを携帯灰皿の中に落とし、最後の煙を吐く。
「ま、なんだ。ご苦労さん。どのみち人手は足りてねぇんだ、あと五人くらいなら抱えられるだろ。何に使えるかは分からねぇが、しばらく面倒見てやれ」
「ウッス。兄貴の方はどうでした?」
「こっちはなぁ……。とりあえず、時計の量産は難しそうだなぁ。職人があんま居ねぇ。つくづく、ここは商業都市なんだろうよ」
生産、加工、販売。
商売における様々なプロセスのうち、アルカトルテリアは販売と流通ばかり手掛けているのだ。日本のように原材料を輸入、加工し販売する国家とは形態が違う。材料は材料のまま、商品は商品としてアルカトルテリアの中を通過していく。
都市による完全分業制、とでも言えば聞こえがいいけれど。その場合、アルカトルテリアは単なるストローになってしまう。物も金も知識も、全て通り過ぎていくだけだ。
説明を聞き終えて、三ツ江が口を開く。
「ちゅうことは、まず学校でも作りますか」
「ヤクザが学校って、笑えねぇ話だなぁ……」
悪くはない案ではあるのだが、気が長すぎる。それに、おそらくそれだけでは改善しない。
「まず燃料が足りてねぇんだよ。金属を精錬やら加工やらするにしても、そのための火力が足りねぇ」
「あのガソリン、ここで全部うっぱらっちまいやすか?」
「一時しのぎにしかならねぇだろうよ。出来るなら、この世界で手に入るもので商売してぇな」
アイデアだけならいくらでも出てくるけれど、実用性があるかはまた別の問題だ。無数に浮かび上がる商売を一つ一つ検証して、伏見が思考を巡らす。
つい、胸ポケットのタバコに伸びてしまった手を止めて。
「結局、今日の交渉次第だな。まずは足元を固めねぇと」
中途半端に伸びた手を三ツ江に向けて、手招きする。
「あとな、一応言っておかなきゃならねぇんだが」
ソファーから立ち上がり、傍らに立った三ツ江の肩を掴む。なんら抵抗することなく腰を折った三ツ江の耳元に、伏見は顔を寄せた。
監視されている状況でこういったあからさまな行為をすることには気が引けたけれど、こればかりは聞かれるわけにはいかなかった。
「――多分、トルタス村を襲撃させたのはファティの親父だ。確証はねぇけどな」




