031話.ヤクザ、乞われる
朝食後の一杯は、玉露のような甘みのある一杯のグリーンティーだった。
茶木の品種が違うのか緑茶よりも苦みが少なく飲みやすい。口の中に残った油や塩気をきれいさっぱり洗い流して、リフレッシュさせてくれる。
緑茶に慣れた伏見にとっては少々物足りないけれど、それでもどこか懐かしい味だ。
伏見らはともかく、組長ら年配組にはいいお土産になるだろう。茶ノ木が存在しているのなら、もっと日本茶に近い味を再現出来るかもしれない。今後の課題に付け加えておく。
やるべきことは増えるばかりだ。
せめて、今日中にはアルカトルテリアとの交渉をまとめられるといいのだけれど。
「では、そろそろ行きましょうか!」
伏見が玉露を飲み干したそのタイミングを見計らっていたのだろう。自分の緑茶(ただしミルクと砂糖入り)を飲み干して、ファティが席を立った。
急いでくれるのはありがたいのだけど、勢いというかテンションというか。年齢差を感じて、苦笑いと共に伏見が立ち上がった。
外に出るまでもなく、市場の喧騒は宛がわれた部屋からも聞こえていた。
建物を出れば、その活気を肌で感じることになる。
もう朝食の時間は過ぎて、足の速い食材を扱う店舗は片付けを始めてはいたけれど、それでも馬車は忙しなく行き来している。辻に立ち、スコップとバケツを持つ男は馬糞拾いだろうか。
「どうぞ、こちらへ」
入口に用意されていたのは、昨夜と同じ馬車だった。
先に乗り込んだファティが伏見へと手を伸ばす。エスコートのつもりだろうか。おままごとに付き合うような気恥ずかしさを呑み込んでその手を取った。
二人がシートに腰掛けるのを待って、御者が馬を走らせる。
人や馬車が多いせいだろう、馬車の走りは昨夜よりもゆっくりで、朝日に照らされた街並みが良く見える。
「まずは中心地のロータリーをぐるっと一周しましょうか。丁度、今日は市が開かれていますから」
あらかじめルートを指示していたのだろう。大通りに出て、馬車はまっすぐアルカトルテリアの中心部へと向かっていく。ロータリーを境に、通りの喧騒はますます熱を増した。
「……この辺は、富裕層の街なのかね?」
「どうしてそう思います?」
「商品の質が良すぎる。あとまあ、通る人の見なりがいいし、……なんつーかな。街並みがキレイすぎる」
グレードが違う、というか。
トルタス村はもちろん、昨日に見かけた農村部の人々とは雰囲気が違う。仕草や表情から醸し出される空気のようなものだ。都会的で、洗練されている。
ファティは満足げに頷くと、鞄から一枚の羊皮紙を取り出して広げた。
「地図か」
「です。私たちが今いるのはここ、都市部の中心地ですね」
この都市の概要図なのだろう。小さな通りは書き込まれておらず、各地区がブロック分けされている。
その中心、塔のようなものが書き込まれている場所をファティが指さした。
「ここがこの都市の神殿、象牙の塔です。ほら、見えてますよね?」
促されて逆側の窓を見ると、幌を張った屋台の向こうにそれが見えた。
象牙と言うなら、空にそびえ立つのはその根元だろうか。鈴生りの鐘を吊るす白亜の巨塔。上下は逆さまだけれど、伏見は「果てしない物語」に出てくる牙の塔を連想した。
「あの塔に登ることを許されたのが、四人の祭祀が率いる祭祀会のメンバーです。各都市の代表や祭祀であれば、申請して見学することも出来ますけど……したいです?」
「いやぁ、遠慮しておくよ」
東京タワーよりは低いだろうし。
観光地見学もそこそこに、伏見は目の前に広げられた地図へと目を落とす。
「……思ったよりも歪な形をしてるんだな」
伏見が気になったのはこの都市の構造だ。基本的には円を描いているようだが、四つの大通りに引っ張られるように広がっている。
伏見達が通ったルートは最も都市部が狭く、農村部が中心近くまで食い込んでいる。逆に向かい側のルートは都市部が外周近くまでせり出していた。
伏見の指摘を聞いてファティは眉尻を下げる。
「……そうですね。正直、私の家が司る祭祀門はあまり栄えてはいないんです」
「祭祀門?」
「ここと、ここと、ここと、ここ。祭祀門は、アルカトルテリアと外部の都市を接続する玄関口になります」
四つの大通りと都市の外周が交わるポイントを一つ一つ指さしていく。
「当家が管理するのが、ここ、アクィールの祭祀門。今はトルタス村と接続されていますね。祭祀門から続くこの大通りの管理、徴税も私たちのお仕事です」
「ちょっと待った。……そりゃおかしくねぇか?」
伏見が身を乗り出して地図をなぞる。ファティの家が管理しているという大通りを、だ。
「この道を管理してるってことは、この農村部から届く食い物を一手に扱えるってことだろ」
エンゲル係数、なんて言葉がある。
支出における食費の割合、というやつだ。その割合が高ければ高いほど貧困であるとされる。
現代日本の統計で二十パーセント台。アルカトルテリアのような中世的な世界であればさらに高い。この時代の人間は収入の多くを食料に費やしているのだ。
エンゲル係数が高ければ高いほど、大規模な農村地帯に続くアクィールの大通りは莫大な利益を生み出す。
「それに、農業地帯からは他にも様々な物資が流入しているはずだ。皮や木材――農閑期の手工芸品なんかもそうだな。地図の比率が確かなら、アンタらはいくらでも稼げるはずだろ」
現代日本に例えれば、大規模な農地と工場を抱える地域と繋がるたった一つのルートを占有しているようなものだ。それらの物資に課税する権限まであるのだから、莫大な富を築いていなければおかしい。栄えていないというファティの言葉には無理がある。
伏見の指摘を、ファティは否定しなかった。伏し目がちに目を逸らして、わずかに肩を落とす。
「……昔は、確かにそれだけでも十分だったんですけどね」
膝の上の広げた羊皮紙の地図。厚い皮を彫るように描かれた大通りを、ファティが指の腹で撫ぜた。
自らも知らぬ遠い過去を、懐かしむように。
「この地図を見てください。……これだけの土地で、食べていけると思いますか?」
言われて、伏見が再び地図を覗き込んだ。
都市部と農村部の比率はおおよそ一対三といったところだろうか。人口比や農地面積当たりの収穫量が分からないので、いまいちコメントしづらい。
どう答えるべきか、判断に迷って伏見が顔を上げた。ファティは俯いたまま、羊皮紙の上に視線を落としている。
「昔は、アルカトルテリアの内部だけでも十分な食料が確保できたんです。それが人口増加と共に不足し、輸入に頼るようになって……」
他の祭祀門を、ファティは数えるように、一つ一つ指さしてみせた。
「有力都市との接続権を持つ他の祭祀に押され、アクィール商会は衰退しつつあるのです」
考えてみれば、それは至極当たり前の帰結だ。この都市、アルカトルテリアはタンカーをも超える莫大な輸送量を誇る。他の都市から物資を輸入し、それを売りさばくだけでいくらでも利益を稼ぎ出せるのだ。時代を経て、文明が進むほど、都市の収支における貿易の比率は増大していく。
ファティらが直面する衰退の正体は、そんな時代の変遷だった。
ようやく顔を上げたファティの瞳はわずかに潤み、上目遣いに伏見を見つめる。手を取って、抱くように引き寄せた。
「千明組のような都市と交流を結び、商品を一手に扱うことが出来れば、その衰退に歯止めを……いえ、それどころか復権することだってきっと叶います。私たちを、助けていただけませんか……?」
「いやぁ、泣き落としされてもなァ。こっちは別に儲かりゃ誰相手の商売でもいいし」
すげなく断られた。




