030話.ヤクザ、少女を買う
「ぶっちゃけ、君、いくらっスか?」
あっけらかんとした三ツ江の言葉に、少女は唾を吐き捨てた。
「クソ、商売の邪魔する上に、ド変態のおのぼりさんかよ」
少女の唾を座ったまま器用に避けて、三ツ江は少女の言葉を待つ。
「おあいにく、こちとら身を売るほど落ちぶれちゃいねぇよ。それにここらはキジマのババァの縄張りだ、モグリの商売やるようなバカはいねぇ」
「あー、やっぱこっちにもご同業はいるんスねぇ。でもまあ、そういう話じゃなくて」
つまんだままだった銀貨を少女の前にちらつかせて、三ツ江は逆の手で指を立てた。
「ま、ちょっと話しましょう。そうっスねぇ、嘘をつかずに三つ、俺の質問に答えたら銀貨一枚。そういう契約でどうっスか? あ、パスは一回で」
「……本気で頭がおかしいのか?」
破格を通り越して、その契約はもはや馬鹿げていると言っていい。銀貨一枚は少女にとって大金だ。それだけあれば一か月は生きていける。
少女は三ツ江の言葉を反芻するけれど、契約自体は簡単なものだ。見落としのしようもない。目の前の男がどんな卑猥な質問をするのか分からないけれど、銀貨一枚でその程度なら安いものだ。
「どうっスかね。銀貨、いらないっスか?」
「……分かった。その仕事、請け負う」
三ツ江の手から少女の手へと銀貨が渡り、契約が成立する。
これで、少女はどんな質問にも答えなければならない。それがこの都市――アルカトルテリアの戒律だ。
後は三ツ江が問いかけるだけだ。聞くべきことは何かと三ツ江は黙考し、けれど一呼吸もしないうちに口を開いた。
「んじゃ、一つ目は君のことから。名前と身の上、あとはまあ、どこかの組織に所属してるのならそれもね」
「一つじゃないだろ、それ!」
「やだなぁ、一つっスよ。質問は『君のこと』。後は単なる補足ね」
「くっ……」
納得させられてしまった。
ともあれ、相手はたった三つの質問権をこんなつまらないことで潰したのだ。それを良しとするべきだろう。
「……名前はヴィールカ。さっきも話したな、何年も前に親に捨てられてここにいる。この辺にはオレみたいなののグループがいくつかあって、そこに所属しているといえば、所属している。……これでいいんだな?」
「オーケーっスよー。じゃ、二つ目はその仲間のこと。男女比や年齢、人数構成なんかをまあ簡単に」
「……増えたり減ったりはしてるけど、大体五人。オレは年長の方で、全員女だ。……これでいいのか?」
答えながら、少女――ヴィールカは訝し気に三ツ江を見下ろした。
意図が計れない。
一つ目といい二つ目といい、特に隠していることでもない。利益にもつながらないような他愛ない質問ばかりだ。
つまり、意味のない質問に金を使う馬鹿か、それとも――ヴィールカには理解出来ない深慮遠謀でもあるのか。
結果としては、どちらでもなかった。
深慮遠謀でも馬鹿でもない。正確を期して言うのならば、それはアルカトルテリアの戒律を利用した、悪質な罠だった。
「んじゃ、三つ目。君は、いくらっスか?」
三ツ江が立ち上がってヴィールカを見下ろし、最初の質問を繰り返した。
返事を出来ずにいるヴィールカに向かって畳みかけるように言葉を続ける。
「んー、言い方が悪かったっスかね。君が、たとえどんな仕事であろうと、犬みてぇに尻尾振って俺に従っちまう金額はいくらか、って聞いてるんスよ」
「――――」
戒律の下に、アルカトルテリアの住民は全て平等だ。貧民も大富豪も、ちょっと立ち寄った部外者ですら戒律には逆らえない。一度契約を交わしてしまえばその後の意思すら規定される。たった一つの戒律しか持ち合わせないアルカトルテリアの、唯一にして絶対の神恵。
嘘は吐けない――のだ。
こと、自身に制御可能な範囲において、契約は絶対に遵守される。
いつか遠い未来、アルカトルテリアの全ての富を手中に収めたとしても、今から口にする金額を三ツ江から渡されれば成す術もなく従わされる。
「パ……パスで」
三ツ江がそこまで考えていたのか、と言われれば否だ。
「あ、パス使うんスね。別にいいっスけど」
三ツ江の目的は二つ。
まず簡単な条件で契約を試し、少女の反応からその詳細な条件を割り出すこと。失敗しようが成功しようが情報は手に入る。銀貨一枚など安いものだ。
子ども相手の交渉でも、サンプルの一つくらいにはなるだろう――そんな考えだった。
もう一つの理由にしても、そう難しいことではない。
異世界への転移によって、千明組は慢性的な人手不足に陥った。かと言って構成員を無制限に増やせば統率が難しい。
すなわち。
必要なのは、従順で使い減りせず、安値で手に入る人間だった。
それは例えば、目の前に立つ少女のような。
「んじゃ最後の質問は、そうっスねぇ……」
ヴィールカは固唾をのんで、次の言葉を待つ。
「ぶっちゃけ、君を雇うのにいくら必要っスか?」
「……雇う?」
三つの質問に一つのパス。どちらとも三ツ江が言い出したことだ。先ほどはパスを使わざるを得なかった。それが計算だとしたら、当然最後にはとどめを指すような質問を用意しているだろう。
そんなことを想像していただけに、ヴィールカは肩を透かされる。
「ま、雇うっつってもまだ何も決まってないんスけどね。とりあえず契約金前払いで期間は三年、それとは別に毎日の賃金……これは仕事の内容が決まってから。仕事を辞めたければ契約金を返還すること。仕事がない間は一日銅貨十枚払う。当然っちゃ当然だけど、契約期間中は他の仕事をしてはならない。……いくら払えば、この条件で契約してくれるっスか?」
「そんなことに……金を払うのか?」
ただただ、困惑する。
例えば、街の各所に存在する鐘楼に上って鐘をならす仕事。その報酬は銅貨一枚だ。当然、一つの鐘楼で一人しかもらえない。そんな仕事にも縄張りや奪い合いはあって、抗争なんかは日常茶飯事だ。他にも稼ぎ口はあるけれどどれもシケたもので、一日に銅貨十枚も稼げれば仲間内ではお大尽でいられる。
契約金さえ使ってしまわなければいつでも仕事を辞めることが出来るのだ。とっとと契約して、仕事を振られたら契約金を返還する。それだけで丸儲け、断る理由がない。
「ま、ちょっと人手が欲しくって。どうっスか?」
「銀貨……五枚。それなら契約する、けど……」
「そっスか。んじゃ、とりあえずコレ」
最後の質問を終えてようやく質問の契約から解放されたヴィールカに、三ツ江は間髪入れず銀貨五枚を握らせた。
燐光が銀貨とヴィールカを包み、契約の成立を示す。
ぽかんと口を開けて、ヴィールカはその場に立ち尽くしてしまった。
「じゃ、契約成立ってことで。あ、これ今日の分ね」
と、押し付けられた銅貨がじゃらじゃらと音を立ててヴィールカの手のひらから零れ落ちていく。
手のひらの上のコインと三ツ江の顔を、ヴィールカの目が何度も往復した。
嘘をつけない状況で、ヴィールカは銀貨五枚で契約すると言ったのだ。その契約金は今ヴィールカの手にあって、ならば否応なく契約は結ばれる。筋道としては間違っていないけれど、展開が早すぎてとてもじゃないがついていけない。
「んじゃ、とりあえず最初の仕事ね。俺ら本当に人手不足でさ、ヴィールカちゃんのグループの仲間にも声かけてくれないかな。ヴィールカちゃんと同じ契約で……まあ五人くらいならまとめて面倒見てあげるっスよ?」




