002話.ヤクザ、少女を懐柔する
「――やっぱ、コイツはゴブリンっすよ! アニメとかでいっつもこんな感じですし」
「んな訳ねぇっつうの。ゴブリンってのはアレだぞ、元々は精霊だぞ。こういう、生き物としてのゴブリンはトールキン以降、TRPGなんかのファンタジーブームで作られたイメージで……」
なんて、ニッチな会話をするヤクザたちの背中で少女は目を覚ました。
いまいちはっきりしない意識の中で、頬に触れる風変りな布地と、その奥にあるぬくもりを感じていた。
「はぁ。そのトルーキンって誰っすか」
「トールキンな。……え、ちょっと待て、指輪物語知らない……? いや、ていうか、あの映画から何年たった……?」
少女には意味の分からない会話だ。
ちなみに指輪物語の映画は十五年ほど昔で、その原作は実に七十年前に出版されたものである。三ツ江は金曜ロードショーを見ない子供であったので、知る由もない。
伏見がジェネレーションギャップに苦しんでいる間に、少女は自身の現状を確認していた。
誰か、男の人に背負われている。ぶらぶらと揺れている自分の足は手当されているようだった。頬にも布が当てられて、薬の匂いが鼻をくすぐる。
男たちが歩いているのは、村に近い森の中、見覚えのある小川のほとりだった。ゆるゆると流れる水のせせらぎを伴奏にして、二人の会話が子守歌のように聞こえていた。
「あれ、この子起きてないっすか?」
「お、マジか」
先を歩いていた伏見が、歩みを止めて三ツ江の背中を覗き込む。
先ほど助けた少女が、うっすらと目を開けてまどろんでいた。顔についた泥は拭ってやったが、その下にあった肌は浅黒く日焼けしている。顔立ちは可憐ではあるが幼くて、大きくなったら美人になるだろうなあと三ツ江が言っていた。親戚のおじさんかお前。
伏見が少女の顔を覗き込んでいると、その目がゆっくりと開いていく。
「誰……?」
「……なんで言葉が通じるんだ……」
伏見が露骨にがっかりする。
この伏見という男、九十年代のファンタジーブームで育ったものである。スレイ○ーズやオー○ェンで学び、フォーチュン○エストから電○文庫を読みふけった男である。
異世界転移モノにはいくつも目を通したが、理由なく日本語が通じる転生、転移モノのファンタジーを叩くに敏であった。
「身体、痛くない? 下ろしても大丈夫かな」
「あ、はい……」
三ツ江が手頃な岩を見つけて、少女を座らせる。
まず、伏見と三ツ江を、次に自分の手足を、最後に周囲の森をせわしなく見回した。
危険がないことを確認して、ほ、と息をはく。
目の前の見慣れぬ男たちは、どうやら自分を助けてくれたらしい。
違う都市の人間だろう。背は高く、その身は鍛え上げられている。見慣れぬ衣服ではあるが、仕立て良く、随分と手間のかかった逸品だ。
少女の傷に巻かれた布も真っ白で、少女の小遣い程度ではとても返せまい。薬の値段を考えれば身を売っても借金が残るだろう
そこまで考えて、急に目の前の男二人が恐ろしくなった。
親切と呼ぶには行き過ぎている。そもそも価値が釣り合わないのだ。
礼として何を要求されるものか、分かったもんじゃない。
他の都市の人間をやすやすと信じてはいけない――どんな田舎の子供だって、それくらい弁えている。奉ずる神が違えば、法から倫理、テーブルマナーに至るまで全てが異なる形へと至るものだ。
何より、彼ら自身が言っていたじゃないか。自分は悪い人間だと。
「……ありが、ありがとう、ございました……」
「いいっていいって! そんなことより、色々と話を聞きたいんだけどいいかな?」
「はい……」
しゃがみ込んで目線を合わせ、笑顔を浮かべる三ツ江は子供慣れしているようだった。伏見は後ろからその様子を眺めているだけだ。
「じゃあ、まず。さっき君を襲おうとしてたのってゴブリンかな?」
「そこじゃねぇだろ」
三ツ江の尻をつま先で蹴る。
「オメェじゃ話にならねぇなァ。ったく。嬢ちゃん、名前はなんていうんだい」
そう言いながら、伏見が三ツ江の隣へしゃがみ込んだ。はた目から見ればチンピラに囲まれた子供という絵面だ。早く警察を呼んであげて欲しい。
「わたしは……シルセ、です。さっきのはゴブリン」
「マジか……」
伏見がへこんだ。
あからさまにがっかりした伏見に代わり、三ツ江がにこやかに話を進める。
「じゃ、シルセちゃん。ここがどこか分かる?」
無言で首を振る。
ゴブリンに追いかけられていた時点で帰り道も分からないような状況だったのだ。気絶している間にどれくらい運ばれたのかも分からない。村の方角すらあやふやだ。
「そっか。今はオレたちの家に向かってる途中なんだ。とりあえず、そこで休んでいくといい」
「あの、森の外まで出れば分かる……分かります、から」
「いやいや、あんなのがうろうろしてるなら、キミだけで帰らすのも良くないでしょ」
心配しているようなことを言うが、つまりは逃がしてくれないらしい。シルセはさらに警戒を強めていく。
「……オイ、この嬢ちゃん怯えてねぇか?」
「なんでっスかねー。兄貴の顔がこえぇんじゃないっスか? サングラスかけてるし」
「俺かよ。……まぁ、俺か……」
二人そろって、何事か思案する。
口を開いたのは伏見の方だ。
「あー……なんだ、俺たちは最近ここに越してきたモンでな。随分遠くから来たもんで、この辺の事情に疎いのよ。教えてくれれば礼はするから」
ますます怪しい、とばかりにシルセが身を抱く。
「お仕事、って考えてもらえないかな。キミはオレたちにいろんなことを話す。オレたちは、そのお礼に、そうだな……これをあげる」
三ツ江は手首から金色の腕時計を外して、少女に差し出した。
普段使っているブランド物の時計ではない。壊れるのが嫌で、在庫の偽ブランド品を引っ張り出してきたものだ。百円均一の安い時計にブランド物っぽいガワをとりつけてある。子供も騙せそうにない代物ではあるけれど、シルセの気を引くことには成功したようだった。
何度かためらいながらも手を伸ばし、指先で何度かつついて安全を確かめてから、つまむようにそっと取る。
きっと、腕時計を見るのは初めてなのだろう。様々な角度から眺めて、不思議そうに首をかしげている。
「この条件で、仕事をしてもらえないかな」
三ツ江の言葉に、シルセが我に返り、身をすくめる。
「それ……だと、助けてもらった、お礼が……」
「ん? ……ああ、それじゃ、そのお礼の代わりに話を聞かせてくれないかな。もちろん時計もあげる。それでお互い、貸し借りなしってことで」
「それ、なら……」
「じゃ、交渉成立ってことで! 兄貴も、コレで大丈夫っすか?」
「おうよ。よくやった、三ツ江」
伏見が立ち上がり、空を見上げた。
「嬢ちゃんは……靴もねぇのに歩かせるのも酷だなァ。三ツ江、また背負ってやれ。嬢ちゃんも大丈夫か?」
「あの、どこに……?」
「そういや言ってなかったか。嬢ちゃんには、俺らの……仲間や親父にも、話を聞かせてもらいてぇのよ。ちゃんとした手当も出来てねぇし、服も泥だらけだしなぁ」
言われて初めて気づいたように、シルセが自分の服を見下ろす。
伏見らに比べれば随分みすぼらしい、華やかな色も刺繍もない、草木染の貫頭衣。木の葉や腐葉土はあらかた払い落されていたけれど、目地に染み込んだ泥までは拭えない。破れやほつれも気になるが、それよりも気に病むのは三ツ江の背中だった。
どれくらいか分からないけれど、その背中にずっと背負われてきたのだ。
言うまでもなく、あんなに眩いばかりだった赤色が泥に塗れている。
「あ、あの、わたし一人で歩けます! 歩けますから!」
「んなこと言われても、なぁ」
「女の子を裸足で歩かせるのはヤですねぇ。ほれほれ、おにーさん気にしないから」
三ツ江の背中を頑なに固辞するシルセと、どうしても歩かせたくない三ツ江のやり取りがしばらく続く。
シルセのあしらいは舎弟に任せ、伏見は胸ポケットに入れた煙草を探り、けれど逡巡した後に手を放した。
子供の手前我慢した、という訳ではなく。
この世界で、煙草なんて嗜好品が手に入るかどうか、先行きが不鮮明で、ケチっていたのである。
「ああクソ、煙草吸いてぇ……」
「それで、冬になると豚を殺して……」
ここだけ聞くと剣呑な話ではあるけれど、内容そのものは牧歌的な、中世のような農民生活のそれだ。
いつまでも本題に届かない。
そも、「この世界の話」なんてことを聞いて、すぐさま答えられるような人間は存在しないのだ。それこそ、召喚者や多次元観測者なんてメタ的ポジションにいるキャラクターと遭遇しない限り、欲しい情報を望むまま、という訳にはいかない。
それでも、それなりの収穫はあったけれど。
「祭祀様が首を弔って、あとはベーコンにしたり、ソーセージにしたり……。冬の間は食べ物が少なくて、たいへんです」
「へぇ、この辺結構寒いんだね。雪、積もったりする? 俺たち、雪が降らないところで育ったからさー」
「この辺りは、あんまり……でも、昔住んでたところはすごかったです」
話の相手は三ツ江だ。軽くて調子が良く、いい具合に話を転がしてくれる。
少女の話は取り留めもなかったが、それなりの推測は立った。
物理法則や気象の変化については元の世界とそう大差ないようだった。
一日があるのなら自転している。四季があるのなら公転しているのだろう。もしこの大地が平面で、地球の環境を再現出来るような面白ギミックが存在していれば話は別だが、今のところそんな兆候は感じられない。
気になるのは祭祀という言葉だった。少女の言葉の中、頻出していた。
祭祀、「神や先祖を祭る」という行為のことだ。神主なのか神父なのか、あるいは当然の如く未知の宗教形態の代表なのかは知れないけれど、その祭祀様がシルセの住む村を取り仕切っているようだった。
食料を手に入れるにしろ、情報を知るにせよ、まずはその祭祀様に話をつけるべきだろうと当たりをつける。
シルセと三ツ江の会話は、未だ村の外には出ていかない。きっと、それこそシルセの世界の全てなのだろう。その小さな村と、周囲に広がる森林が。
それは許されてしかるべき認識なのだろうけれど、そのままでは話が進まない。
最近仲良くしているという近所の美人なお姉さんの事を嬉々として話している二人に、伏見が口をはさむ。
「で、だ。村の外はどうなってる? 近くには大きな都市とかあるのか?」
「えっ……あ、はい。ええと、あります。森の奥に一つと、森の外に一つ。どちらも、神域が触れるくらい、近いです……」
三ツ江と話していた時の流暢さがなくなってちょっとへこむが、それよりも。
「神域? 神域ってのはなんだ?」
「え?」
なんで、そんなことを聞くのかと、シルセが首をかしげる。
ここだ。
間違いなく、ここがきっかけであると理解する。
シルセにとって神域という単語は知らない訳がない知識なのだろう。例え自分たちのような、他の土地からやってきた人間でも。ならばそれはこの世界の常識だ。伏見が知らなくて、この世界の誰もが知っているような。
「いや、嬢ちゃんの知ってる神域と俺が知っている神域の違いが知りてぇのよ。教えてくれるかい」
こう言ったら納得してくれるだろうという嘘に、いたいけな少女は無抵抗で騙された。騙されてくれる善人が少なければヤクザの仕事も上がったりである。このままの善人でいて欲しい。
「神域は、えっと……」
教えるということに慣れていない。たどたどしい口調で、少女が説明を始める。
「神域っていうのは、神様の場所で、都市よりももっともっと大きくて……神域の中では神様の魔法が使えて。神域同士が触れると、違う都市でも言葉が通じて……」
「うんうん、やっぱり俺の知ってる神域と同じだなァ」
魔法とかあんのかこの世界。
怪しまれずに情報を確認する為の嘘を守るために、驚きを飲み下す。あと三ツ江は顔を何とかしろ。お前まで騙されてんのか。
「それじゃ神様はどうだい?」
「神様は、どの都市でも一柱はいる、偉い方で……いろんな姿の神様がいます。人だったり、動物だったり……風や雷だったりもするそうです。私たちの神様は、とても大きな亀のお姿です!」
段々と調子が出てきたのだろう。この説明はどうだとばかりにシルセはドヤ顔だった。三ツ江に背負われていなければそんな表情も決まったかもしれないけれど。
「ほほー、そっちの神様は亀なのかい」
「フシミさんたちの都市の、神様は?」
「そりゃあオメェ、言えねぇのよ。神様の戒律で、軽々に神様のことを話しちゃならねぇってな」
「それはその、失礼しました……」
また一つ嘘が増えた。
このままいくと伏見らの「神様」のイメージが大変なことになりそうだ。
しかし、重要な情報は得られた。
都市、というのは言葉通りの意味ではなく、この世界の単位なのだろうと推測する。
少女は自分の住んでいる場所を村と呼んだ。その村には神様がいて、都市には一柱の神が存在するという。ならばきっと、村はイコールで都市だ。
人の集団は都市と呼ばれる。そしてその都市には神様と――おそらくは神話、宗教の類が存在して、戒律もある。
神域はきっと都市を覆うように展開しているのだ。そして、神域と神域が触れ合うことによって、言語が翻訳される。
そんなルールが見えてきた。
魔法については不明な点もあるが、神域の中でしか使えないというのなら神や信仰に根差したものなのだろう。
「じゃあ、さっきの――ええと、ゴブリン? あれはなんだ?」
伏見は依然として、「ゴブリンは精霊なんだ」派だった。さっきの猿のような化け物がゴブリンだと認めたくないらしい。
「あれは、私たちの都市の、神敵です」
え、それで終わり?
神敵、という言葉もまた、この世界の常識なのだろう。疑う余地もない、物を投げれば落ちるという程度の摂理。
ニュアンスだけなら理解出来る。あのゴブリン共は、神様と、その庇護下にある村人らにとっての敵なのだ。それでいて、危害を加えたら反撃する性質を持つ。冷静に対処すれば三匹程度は物の数でもないが、それが十匹、百匹になれば千明組の全力をもってしても被害は避けられない。
目下、最大の脅威かもしれなかった。
「あんなのが他にもいるの?」
黙ってしまった伏見に代わり、三ツ江がたずねる。
「少し前に駆除したから、そんなに増えてない……はず、です」
シルセが言葉をつかえたのは、三ツ江が振り向いたからだろう。背負う背負われるの間柄だ。振り返れば唇の触れるような距離にいる。
「んじゃとりあえず安心かな。てか、アイツら何食って生きてんの?」
「なんでも食べます……木の実とか、鹿とか……あと、人も」
「マジで? あ、じゃあ逆にあいつらって食えるの?」
「食べるんですか……!?」
「いや、食べたくはないなぁ」
また話が妙な方向に逸れていく。
ともあれ聞きたかったことは確認できた。あとは村にいるであろう大人たちに詳しく聞くべきだろう。
そう考えて、伏見はもう口を挟まない。聞き耳を立てつつ、考えを巡らせながら先を歩いていく。
下草を踏み倒して、後ろを歩く三ツ江の為に道をつけてやりながらしばらく進むと、やがて森の切れ目が見えてきた。
ずっと傍を流れていた小川は、森と草原の境目で沼になっている。そこまでいけば屋敷と一緒にこちらの世界へとやってきた電柱が見えるはずだった。
「おっ、もうすぐ俺たちの家に着くよー」
「こんなところに、他の都市があったんですね……」
密かに伏見が安堵する。
シルセが屋敷のある場所を見知っていればごまかすことも難しい。素直に説明すればいいのだが、怪しまれることを嫌がるのは日陰者の職業病だろうか。
森の端への近づくうちに、うっそうと茂っていた木々が密度を減らしていく。
頑なに外さないサングラスがなければ目が眩んでいただろう。日は高く、雲もない。風が草原に轍を残し、遠く、輪郭のぼやけた山脈が、青空に爪を立てていた。
異世界というよりは、深夜、試験放送の代わりに流される環境映像のような景色だ。
むやみやたらに感動的な光景ではあるが、期待していたものとは違う。なんかこう、魔法の力で飛ぶ浮島とか、西洋っぽい建物の向こうに白亜の城がみえたりとか、そんなのが欲しかった。
ファンタジーというよりは、北海道みたいな景色だ。
そんな風景の中に、千明組の屋敷が存在していた。
厳密にいえば屋敷だけではない。最も目立つのはあの鉄砲玉が乗っていたタンクローリーだろうか。屋敷の周りにあった歩道のアスファルトは歪に切り取られ、電柱からはもはや無用の電線やインターネット回線のケーブルが何本も垂れ下がっている。きっと、地下では水道のパイプが切断面から水を垂れ流しているのだろう。
千明組の辺りでは未だプロパンガスを使用しているため、爆発の心配はない。トイレも汲み取り式だからしばらくは大丈夫だろう。
電気、水道、インターネット。そういったライフラインが機能していなければ、家電も設備も無用の長物だ。
「三ツ江さん、あれ、けむり……?」
声を固く、背筋を強張らせて、シルセが屋敷の上空を指さした。
屋敷の庭から、もうもうと灰色の煙が立ち上っている。シルセが怖がっているのは、ゴブリンの襲撃を受けたんじゃないかということだろう。
手のひらで日の光を遮って、伏見が様子をうかがう。
「あれは……」
煙は屋敷の内庭から上がっている。
「……多分、BBQだな」
「え、もう始めてるんスか」




