027話.ヤクザ、手を回す
「だか……らっ! ついて、こないで、ください、ってぇ!」
「いやぁ、そう言われても。追い付いちゃった訳ですし」
アルカトルテリアの中心部、湖面に突き立つ象牙の塔を望む広場にて。
息を切らして立ち止まったお嬢に、三ツ江が追い付いてハンドタオルを差し出した。
「……なんでそんな、余裕なんですか……」
「いやぁ、鍛えてますから! ほら、お嬢とはコンパスも違うし」
同じ距離を走ってきたはずなのに、三ツ江は疲れた様子もない。わずかに息が上がって、汗ばんではいるがそれだけだ。なんだか、無性に悔しさを感じる。
きっと三ツ江を睨むが、暖簾に腕押しもいいところだ。人の好い笑顔のまま、三ツ江はお嬢をなだめにかかる。
「とりあえずほら、そこにベンチありますから。ちょっと休みましょう、ね?」
「…………」
無言のままお嬢がベンチに腰掛けると、三ツ江はその正面にしゃがみ込んでうなだれるお嬢の顔を見上げる。
目を逸らそうかと思ったけれど。その視線がまっすぐすぎて逃げられなかった。
「ま、そろそろいいでしょ。尾行とかもついてないみたいっスから」
「尾行……?」
「そっス。あ、でも声は小さめに」
真面目な顔で唇の前に指を立てる三ツ江に、つい笑いそうになってしまう。
けれど、続く話は笑い話では済まなかった。
「ぶっちゃけ、あの部屋で俺ら監視されてたんスよ。多分スけど」
「覗かれてたんですか……!?」
「や、そういう目的ではなかったと思うんスけど」
また笑みの表情に戻って、三ツ江が頭を掻く。
「お嬢、あの時兄貴に逆らったじゃないですか。アレ、ちょっとマズかったんスよ。弱点っつーか、隙っつーかで。さすがに拉致ったりはしねぇと思うんですけどね。お嬢を味方につけられると、こっちとしては動けなくなるもんで」
「私、そんなこと……!」
つい、声を荒げそうになる。
千明組としては部外者でも、三ツ江達とは身内のつもりだったのだ。悪いことをするのなら止めるし、どうしても止められないのなら――最後まで付き合うつもりだったのだ。そこまで薄情な人間だと思われたくなかった。
お嬢の言葉を止めたのは、唇に触れそうな距離に立てられた三ツ江の人差し指だ。
「大丈夫です。兄貴も俺も、分かってますから」
まっすぐに笑いかけられて、今度は目を逸らした。
それはまあ、気恥ずかしさとか、面映ゆさとか、そんな類の感情で。
「……いつの間に、そんな話をしてたんですか」
「ん? や、だから監視されてたんですって。話せる訳ないじゃないっスか」
今度は指を二本立てて、自分の唇の前へ。
「あの時、兄貴タバコ吸ってたじゃないっスか。あれ、符丁っつーか、サインみたいなもんなんスよ」
「符丁……?」
「真面目な話する時とか、女子供の前とか。基本、兄貴はそういう時タバコ吸わないんスよ。なんでまあ、コレは監視してる誰かさんを煙に巻いてるんだな、と」
「……タバコだけに?」
「タバコだけに、っス。あとはまぁ、アドリブで。俺かお嬢がマズいことしたら、兄貴が止めに入りますから」
話し終えて、三ツ江がすっくと立ちあがる。
その様子をお嬢は感心するように見上げていた。
「んじゃま、とりあえず俺らは晩飯まで暇ってことで。もうちょっと休んだら観光でもしますか。生憎ガイドはいないっスけど、金には余裕もありますし」
「あ……私、その、お金持ってきてなくて……」
朝、身支度を整えてすぐに伏見らと出くわし、勢いのまま飛び出してしまったのだ。金も、伏見に渡された防犯グッズも全て置いてきてしまった。この見知らぬ異世界においては、裸よりも心もとない。
今更ながらに後悔するお嬢に、伏見は。
「そんなこともあろうかと、お嬢の金とスタンガン、持って来てるんスよね」
「つくづく手回しのいい……」
呆れたように、感心するように。
もう笑うしかなくて、菜月は素直に、感情に従うことにした。
「それで、どこに行きますか?」
「んー。どこって言われても、地図も土地勘もないんスよね。兄貴は多分キレイで見どころのある場所ばっか案内されるでしょうから、俺らは逆に行きましょうか」
休憩も終わり、走って乱れた髪も整えて。
二人はあてもなく、湖のほとりを散歩していた。
辺りには出店も東屋もなく、白砂利を敷かれた道が延々と続いている。通行人は少なくないが殆どは老人か子供で、少し離れたところにはルールの分からないスポーツを延々と繰り返す集団もいる。
ここに来るまでの道のりと違い、馬車や露天商も見られない。日曜朝の河川敷か公園みたいな光景だった。
「ところで、さっきから気になってたんですけど。あの……アレ、どうなってるんでしょうね」
「魔法かなんかですかねー。いやよく分かんねっスけど」
湖面には、推定五十メートルを超える塔が突き立っていた。奇妙に湾曲し、空に近づくほど太くなっていく。日本なら間違いなく違法建築でしょっぴかれることになるだろう。
だというのに崩れることもなく、所々に開いた窓からは人影が見えた。頂点には白銀の鐘が鈴なりに吊るされて、風に揺られることもなく日の光で輝いている。
「魔法って凄いんですね……」
「まあ、街が歩くくらいっスから。割りと何でもアリじゃないっスか、この世界」
正直なところ。
この街と、それを支える巨象がのっしのっしと組の屋敷前まで歩いてきたのだ。ピサの斜塔をちょっと捻った程度の建物では驚ける気がしなかった。もう少しインパクトで勝負して欲しい。
かくして、二人は異世界の景色を背景に散歩を続ける。
「そういやお嬢、こういうところのメシとか大丈夫っスか。良かったらメシでも食いません? 俺、さっきから腹減りっぱなしで」
「あ……実は、私も……」
「ちょうど良かった。食いたいものとかあります? なんかこう、スイーツ的なものとか」
「肉で」
「え」
「……肉的なものでお願いします。ジュース的なものがあればなおよしです」
お嬢は恥じらうように顔をそむけるが、残念なことに発言の内容が恥じらえていない。
ともあれ、起き抜けから飲まず食わずでここまで走ってきたのだ。無理もないだろう。
湖のほとりを離れ、サッカーのようでサッカーではないスポーツに興じる子供たちを交わしながら、出店の並ぶ外周部へ向かう。
「この辺って名物とかあるんですかね?」
「あ、アレとかそうじゃないですか? 人が沢山集まってますし」
つい走り出しそうになったお嬢の手を、三ツ江がとっさに掴んで止める。
「……う」
「お嬢、あんまり走っちゃダメですって。離れると危ないっスから」
「はい……」
掴んだ手はそのままに、二人は屋台の行列に並んだ。
さっきからこの人は自分を口説いているのか、なんてことを考えているお嬢を尻目にして。
「……いやなんか、行列見ると並びたくなるんスかねぇ」
三ツ江は平然と、そんなことをつぶやいていたりした。




