026話.ヤクザ、ひっかける
広く勾配の緩い階段は、土地の狭いこの都市において一つのステータスだ。一歩一歩、ゆっくりと歩みを進めながらファティは思考をまとめていく。
今日の本題は、父と千明組の会食――交渉だ。ファティに任されたのはその為の情報収集、そして事前交渉である。
お互いが正体不明のままでは交渉もままならない。
千明組の所有している物資、技術、知識を探り、またこちらが差し出せるものを明示する。それも、ファテイらに有利な形で、だ。
買い叩くつもりはないが、安く買えるに越したことはない。
昨夜から今朝にかけて、ファティの父が運営するアクィール商会では伏見から渡されたサンプルを調べていた。懇意にしている学者、職人を総動員し、夜を徹して解析が行われたけれど結果は暗澹たるものだ。
製造法はもちろんのこと、その原理や仕組みすら不明のまま。中には「何か凄いことは分かるが、どう使えばいいのか分からない」なんて物も存在した。
ファティの手首に巻かれた腕時計にしたって、「太い針が盤面を二周すれば一日が経つ」ということは理解出来ても「何故この針が正確な速度で動くのか」が分からない。
特に学者連中はその原理が気にかかっていたようだけど、ファティの父親にとって重要なのはその利益を独占できるかどうかだ。
まず千明組を抱き込み、販売を独占する。あわよくば製造法を入手して独自生産。販売する相手と値段さえ間違えなければ成功することが約束された商売だ。
そのために必要な条件、そして代償として支払える金、物品、権利を頭の中で整理し終えた頃、階段が終わる。
その先にあるのは、ファティでさえちょっと引くような成金趣味の、贅を凝らしたロイヤルスイート。
ごてごてと飾り付けた方が他の都市からの受けがいい、と父は言っていたけれど、さすがにこれはどうかと思う。
げんなりとした表情を整えるように頬を両手で揉んで、ファティは扉の前に立った。傍らに控えていた女給にお茶を頼んで、体よく追い払った後に笑顔を作る。
ノックを二つ。少しあざといくらいの甘えた声で、扉の向こうに声を掛けた。
「おはようございまーす! 伏見さん、起きてますかー?」
「開いてるよー」
声は少し遠く、間延びして聞こえた。
扉の前ではなく、その近くの洗面所から答えたのだろう。失礼かとは思いつつ、ファティは扉を開ける。言葉通り鍵は掛かっておらず、予想通りに伏見の姿もなかった。
広々とした玄関には二つのドアがあり、それぞれリビングと洗面所へ続いている。声がしたのは洗面所の方だ。油断しているのかずぼらなのか、そちらのドアは閉まりきっていなかった。隙間から伏見らしき人影が見て取れる。
「え、えと、私はリビングで待たせていただきますね?」
「構うこたぁねぇよ。もう終わった」
ファティが逃げる暇もなく。
整髪料で髪を撫でつけながら、眠たげな眼の伏見が姿を現した。
「こりゃ、癖のある茶だなァ」
陶器のカップから口を離して、出たのは率直な感想だった。
オレンジの水色をしたお茶はハーブティーか、それこそ漢方でも混ぜているような味だった。伏見の知識の中ではどこぞで飲んだルイボスティーが最も近い。
「こうやって、お菓子と合わせると相性がいいんですよ」
例を示すようにファティは薄焼きのクラッカーに手を伸ばした。別添えのクリームを乗せて頬張った後、ティーカップに口をつける。この都市では、お茶は啜らないのがマナーらしい。
ファティに倣い、伏見もクラッカーを一枚取って。ヨーグルトベースのクリームは濃厚でありながら甘さは控えめで、塩漬けの花びらが丁度良いアクセントになっている。
確かにお茶にも合うが、どちらかと言えばウイスキーや白ワインが欲しくなるような味だった。
「にしても、三ツ江とお嬢は入れ違いになっちまったなァ。うめぇのに」
「朝食は別にご用意してますから。お二人が帰ってくるまでちょっと贅沢しちゃいましょう」
「贅沢ねぇ……」
こちらでの価値は分かりかねるけれど、確かに美味い。日本で食べたらそれなりのお値段になるだろう。
日本の安いヨーグルトは材料に粉乳を使っているが、このヨーグルトは生乳を用いているようだ。乳脂肪分が豊富で、濃厚かつ風味高い。本場のお高いクリームチーズみたいな味だった。
役得というものだろうか、ついつい二枚目のクラッカーに手が伸びる。
「さて。今日は私がアルカトルテリアを案内させていただく訳ですが、伏見さんはどこか行きたい所ありますか?」
「行きたいところってもなァ。何があるかも分からねぇし、とりあえず大通りと市場……それに、どっか金物細工の工房でも見れたらいいんだが」
「工房は少し難しいですね……。職人の方は良くも悪くも閉鎖的ですから」
半分ほどになったティーカップの水面を見つめて、ファティはほんの少し考える。
「そう……ですね。商会の方で懇意にしている方がいらっしゃいますから、そちらを当たってみましょうか」
自分でハードルを上げて、わざとらしく飛び越えて見せるようなものだ。伏見のその要望は想定済みで、既に手回しを終えている。多少なりとも恩を売れればいい。そんな演出だったのだけれど、伏見の反応は淡泊なものだ。短く礼を言って、ティーカップに口をつける。
てごわい。
「――その。伏見さんたちは、何をすれば喜んでくれるんですか?」
なので、手法を変えてみる。
率直すぎる聞き方も、許されるのは子どもの特権というものだ。相手がファティを子どもだと侮れば付け入る隙も出来る。成功しようが失敗しようが子どものすること。
それに、伏見はこの程度のことで怒る相手でもない。
ファティの予想通り、伏見は癇に障った様子もなく、気だるげに答えてみせた。
「何をすれば、ってもなァ。……ひとまずは、アルカトルテリアへの移住だよ」
「移住……ですか」
興が乗ったように、伏見がテーブルの上に手を突いて身を乗り出した。
「そう、出来れば習合せずに、ウチの都市ごと、だ」
それはファティ自身が語ったことだ。
アルカトルテリアは複数の都市が寄り集まって出来た複合都市だという。ならば、各都市で崇拝していたという神は、その『設定』はどうなったのだろうか?
習合、という言葉をファティは使った。答えはそれだ。各都市に存在していた神は、同一視され、混合されて一つの存在になっている――そんな伏見の推測は正鵠を射ていた。
千明組が「都市」だというのなら、きっと神は居て、神域も存在するのだろう。その正体も知れないうちに習合されるのは避けたかった。
もしかしたら、庭にあるお稲荷さん辺りが獣耳美少女になったりするかもしれないし。
「頼めるかい」
「……難しい、ですね。手続きも煩雑で、何より都市の価値を示す必要があります。今回の停泊ではちょっと……」
「いやまぁ、出来ることが分かればいいんだ」
ファティが再びハードルを上げると、伏見は諦めるように身をソファーへと沈める。
「こちらにも準備が必要だしな。ま、移住が無理なら、せめてアルカトルテリアに拠点が欲しいね。店がいいやな。移住の準備しながら、こちらでの滞在費を少しでも稼げるような」
「それでしたら、私共の商会でもお手伝い出来ますね。本日中にはいいお返事が出来るかと!」
「ん、よろしく頼む」
最後のクラッカーを飲み下して、伏見が口の中をお茶で洗う。
手に着いた塩の粒を払うと、おもむろに立ち上がってファティを見下ろした。
「そういや、聞き忘れてたんだけどよ。今回の停泊ってのはいつまでだい」
「えっと。二十日ほどの予定なので、残り十九日ですね」
「んじゃ急がねぇとなァ。とっとと朝飯食って、案内してもらえるかい」
言いながら、伏見はスーツの上着を掴んでドアに向かう。
「あの、三ツ江さんと菜月さんがまだ……」
「なんだ、聞いてねェのかい」
ドアノブに手をかけて伏見が振り返った。
「三ツ江とお嬢は別行動だよ。お嬢を仕事に付き合わせるのも気が引けてな。三ツ江はその付き添いだ」
頬を吊り上げて、さもしてやったりと言いたげな表情で伏見が笑う。
「……本当に聞いてなかったのかい?」
聞いていた。
散歩に行く。
メシまでには帰る。
菜月は仕事に関わらせたくない、なんてことまで。
つまりは、盗み聞きも監視も全て見抜かれていて、からかうように弱点を見せびらかし、その上であっさりと裏をかかれたのだった。




