025話.ヤクザ、散歩に行く
着替えを終えて。
詰め所を出たファティは再び馬車に乗り、伏見らの宿泊先からある程度離れたところで馬車を乗り換え、さも『たった今ここにやってきました』と言うような顔で馬車を乗り付けたのだけど。
人気のないエントランスを眺めて、ファティはつまらなさそうに顔をしかめた。
「もう少し、予想外の展開を期待してたんですけどねー……」
企み事は嫌いではないけれど、手ごたえがなければ楽しみもない。
期待も警戒も十分に用意していただけに、何の反応もない現状は肩透かしだった。
何をしたら楽しいか、考えあぐねる。
この建物は祭祀会の所有物件だ。迎賓館とは別に、非公式の来客をもてなすための建物。トルタス村相手との交易程度では使うことのない場所を貸し切っているのだ。伏見らの他に客もおらず、ある程度の自由も効く。
さしあたり、朝食の席で何か仕掛けるべきだろうか。そんなことを考えていたファティの耳に、階段を下りてくる足音が聞こえた。
「ですから、兄貴もそんなマジな意味で言った訳じゃないですって。親父からの言いつけもありますし、お嬢には組の仕事をさせたくないだけっスよ」
「それって一緒じゃないですか」
先を歩いていたのは三ツ江の方だ。器用に横歩きで階段を下りながら、お嬢――菜月の顔色を窺っている。対する菜月は昨日とうって変わって無表情に、三ツ江を追い越して振り返った。
「別にいいですよ。私は部外者みたいですから、ついてこなくたって」
「や、そういう訳にはいかねぇんスよ」
「父に言われたからですよね?」
身内に邪魔者扱いされたことには同情するけれど、ファティはそれを知らないことになっているのだ。目の前で言い争われても少し困る。
隠し事とは、その片鱗も見せていない――隠し通せると思い込んでいる相手のそれを見抜いてこそだ。こうもひけらかされては、見抜くことの価値がなくなってしまう。
けれど、既に二人はファティに気付かないまま、すぐ傍まで近づいていた。挨拶しないと失礼にあたるような距離だ。残念がる気持ちを抑えて、二人に声を掛ける。
「おはようございます、お二人とも。……何かございましたか?」
「あ、ファティちゃん!」
こちらを見るなり、菜月がファティの背後に回り込んだ。
「しゃー!」
背後で威嚇されるとさらに困る。
ファティの肩を掴み、背の低い少女の身体を盾にして菜月が蛇のような声を上げていた。
「本当に何があったんですか?」
「いやまあ、ちょっとした喧嘩っスよ。大したことじゃないんで、ホントに」
「その、でしたら深くは聞きませんけど」
深くは聞かないけれど、自分を中心に拮抗状態を作らないで欲しかった。
こうして話している間も、菜月は威嚇の声を上げ、三ツ江は菜月を捕まえる機会を探っている。
「……お二人とも、その辺で収めていただけないでしょうか……」
今にもファティを中心にぐるぐると駆け回りそうな二人に、両手でストップをかけた。
「もう、昨日はあんなに仲良しだったじゃないですか。なんでこんなことに?」
「別に、三ツ江さんに怒ってるわけじゃないんですけど……」
菜月はファテイの肩から恐る恐る顔を覗かせる。そろりそろりと距離を取り、ファティを中心に伏見と菜月は対角線上へ。どうしたってファティを巻き込むつもりなのだろうか。
「ちょっと気分転換に散歩しようとしただけです。そしたら、三ツ江さんがついてくるって聞かなくて」
「だからお嬢を一人にする訳にはいかねぇんですよ!」
「父に言われたからですよね? ほんと、ヤクザってめんどくさい」
「だからそうじゃなくて――」
表情を一転させ、菜月は冷めた目で三ツ江を見据えた。
言い訳もせず、三ツ江は困ったように頭を掻くのみだ。菜月が何をしようと、三ツ江はきっとついて回るのだろう。ファティから見れば、その様子は主人に叱られる犬のように見えた。
忠実な、少し頭の悪い大型犬。
良心に咎めたのだろうか、菜月がわずかに表情を緩め、言葉に詰まる。
その隙にファティが二人の間から抜けて、ようやく一息ついた。
「こほん。お二人とも、ミュセは着ていただけたんですね」
「店?」
「この服、ミュセって言うんですか」
間の抜けた三ツ江とは違い、菜月はすぐに理解した。
二人が着ているのはアルカトルテリアの衣服だ。カーテンのような一枚布を体に巻いて肩上かうなじで結び、ウエストを腰紐や帯で絞る。剥き出しの肩と首元を襟付きのケープで覆い、男性は下にズボンを、女性は長手袋を履くのが一般的だ。
ワードロープから借用したものだが、この手の衣類は基本的にフリーサイズだ。結び目や布の巻き方など細部には間違いがあるが、サイズが合わなくても難なく着こなせる。
従業員らの物とは違って、三ツ江の物は鮮やかな赤、菜月の物はパステルピンクをベースに刺繍が縫い付けられていた。ただし履き物はスニーカーのままで、それだけが勿体ない。
「ちょっと動かないでくださいねー」
ファティは菜月の背後に回ると、帯を解き、流行りの結びに直して飾り尾を後ろに垂らす。
アルカトルテリアは複数の都市、人種が入り混じっている場所だ。こうしていれば、外部の人間――純日本人でも悪目立ちしないだろう。
細かな修正を終えて、ファティが一息つく。
「これでよし、です。……朝の散歩でしたら、私がご案内しましょうか? 近くに祭祀会が作った公園があるんですよ。特にこの時期はエルフィネが見事で」
「や、お構いなく。メシまでには戻ってくるんで、兄貴と茶ぁでもしばいてて下さい」
「しばく……?」
上手く翻訳されなかった単語を口の中で転がしながら、ファティは三ツ江を見送る。追われるようにして菜月がエントランスを抜けた。
「……ま、いっか」
機会はいくらでもあるだろうし。
二人の背中が消えるまで見送った後、ファティは階段を上り始めた。




