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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
25/130

024話.ヤクザ、知らず

 アルカトルテリアの朝は鐘の音と共に始まる。

 曙光が農村地帯の東端に触れるより早く、都市の中央から鐘の輪唱が広がり続ける。

 小遣い稼ぎの子供たちが鐘楼に昇って、その手で鳴らしているのだ。遅れたり、めちゃくちゃに鳴り響いたりとそれぞれに個性がある。

 朝の市場では、そんなことも話のタネだ。

 鐘の音に叩き起こされた住人は家を出て、水汲みや仕事の準備を開始する。そんな折、ふと空を見上げれば、いつの間にか太陽が顔を出しているのだ。

 ファティが馬車から姿を現したのは、そんな朝のことだった。

 腕に巻いた時計を眺めて、今の時刻を確かめる。

「やっぱりこれ、便利ですよね……」

 伏見から贈られた商品サンプルの一つだ。何本もあったうちから選んだ金色の腕時計は子どもの手首には大きすぎるけれど、ファティが気に入ったのはそれだった。

 御者の手も借りずに馬車から飛び降りると、人目をはばかるように裏路地へと足を運ぶ。

 やがて見えたのは、伏見達が宿泊する建物からほど近い、アルカトルテリアでは標準の一軒家だった。

 扉にカギは掛かっていない。人目から隠れるようにドアをくぐると、貫頭衣のフードを外して、襟元のボタンを外す。落とすように脱ぎ捨てて、次の扉をノックした。

「テア、私よ」

 返事の代わりに扉が開く。

 ファティを迎え入れたのは長身の女性だった。生真面目な表情に、簡素にまとめた臙脂色の髪。年若く、まだ少女の頃の面影を残している。

 昨夜、伏見らを迎えた従業員たちに混じっていた顔だ。

 テアはファティに頭を下げ、手早く貫頭衣を拾ってその後ろに続く。

 この建物は千明組を監視する人員の詰め所になっていた。仮眠や食事を取るための休憩室もある。廊下を通り過ぎる使用人を労いつつ、ファティとテアは一番奥の空室へと足を運んだ。

「伏見さんたちはまだお休みですか?」

「ええ、そのようで。こちらは昨夜の観察記録になります」

「ありがとう、テア」

 年上の少女が用意した椅子へ当然のように腰掛けて、ファティが何枚もの羊皮紙に目を通していく。

「んー。あんまり重要な話はしてませんね……。気付かれたかな?」

 伏見らにとってこの異世界が未知であるように、ファティらアルカトルテリアの人々にとっても千明組は未知の存在だ。正体を知りたいのはお互い様。

 伏見らに差し出した情報は、市中でも簡単に手に入るレベルのものだ。どうせ知られてしまうのなら、こちらから提示して恩に着せた方がやりやすい。

「シノギ……ヤクザ? やっぱり翻訳不能の言葉が多いですね。文脈からすると、シノギは仕事、ヤクザは……違法組織や無頼漢の類でしょうか」

 暗がりの中、蝋燭の明かりを頼りに報告書を読み進めていく。

 この都市では一般的な、蝋燭の長さで時間を測る時計だ。伏見らの持ってきた腕時計と比べれば正確さに欠け、また手間もかかる。持ち歩くにも不便で、夏場など暑苦しくてかなわない。

 子どもの頃から慣れ親しんだ蝋燭時計を、古臭いガラクタに変えてしまう。千明組が持ち込んだ腕時計にはそんな革新性があった。

「んー……。過去の通商記録を漁っても、千明組なんて都市は見つからなかったんですよね。どれくらい遠くからやってきたんでしょうか」

 傍らに立つテアからティーカップを受け取りつつ、ファティはあくびを一つ。

 伏見らが休んでいる間もファティらは情報収集に勤しんでいた。過去の文献を漁り、懇意の史学者や坑道冶金都市出身の技術者を方々尋ねて回ったが、千明組の正体は依然として不明のまま。受け取った商品サンプルもほとんどが製造法はおろか、その原理すら理解出来ない。

「……正直、舐めてましたね。判断を誤りました。せめてもう一日……いえ、二日は欲しかったです」

「ファティの判断は間違ってませんよ。時間を空けてしまえば、それだけこちらの情報も知られてしまいますから」

「そんなこと言ったってー。伏見さんが本当に私たちのこと知らないのかも分からないじゃないですかー。もう頭いたーい。ねむーい」

 不貞腐れて無作法に足を投げ出したファティの頭を、傍らのテアが撫でる。柔らかで少し癖のついた金の髪に指を通して、頭を抱くように。

「正体の分からない相手には、情報を与えてしまえばいいのです。こちらが与えた情報をしっかり把握して、あとはそれを利用するか、裏切るかの読み合い。それに……もう、付け込む隙は見えているのでしょう?」

「んー?」

 甘える猫のように、テアのウエストへ頭をこすり付けてファティが笑みを浮かべる。

 目線は手元の書類へ。

 昨夜、伏見らが交わした会話をまとめたものだ。お嬢の主張を伏見が潰したことも、明確に記録されている。

「……とりあえずは、彼女と仲良くなろうかなって」

「きっと、昨日のことを気にしているでしょうから。慰めてあげてくださいね」

「ええ、もちろん。歳も近いから、きっと仲良くなれると思うんです」

 お嬢と呼ばれる彼女は、千明組の重要人物なのだろう。それでいて不和を抱え、仕事からは除外されている。

 まだ、裏切りなんてことは考えなくてもいい。ただ仲良くなるだけで、きっと様々な便宜を取り計らってくれるだろう。そして彼女は千明組の過激な行動を諫めることにも尽力してくれる。

 折よく、千明組を監視していた連絡員が彼らの起床を告げに現れた。

 ファティは椅子から立ち上がり、スカートの裾をつまみ上げて自分の服装を確かめる。

「……伏見さんに合わせて服を選んだのだけど。もう少し、色味を華やかにした方がいいかしら」

「着替えの準備は?」

「もちろん。テア、選んでくれる?」

 髪を手櫛で整え、ボタンを一つ外して。ファティがテアに振り返った。

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