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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
22/130

021話.ヤクザ、契約を試す

「……さん。伏見さん。起きてください」

 美しくも退屈な景色のせいだろうか。昨日、一昨日の疲労が残っていたのかもしれない。

 どちらが理由であるにしろ、言い訳のしようもなく。交渉相手の目の前で、伏見は呑気に眠りこけていたようだ。

 目を開ければ、視界はファティの顔で埋め尽くされていた。

「――――」

 座席から滑り落ちそうになる。

 ファティは子ども特有の距離の近さで伏見の顔を覗き込んでいた。短い手で肩をゆすり、起こしてくれたらしい。伏見が目覚めたのを見て取り、満足して対面の座席へと戻る。

 いつの間にか、馬車は止まっていた。

 農業地帯は既に抜けて、馬車の正面には中世然とした城壁が見える。検問――いや、税関だろうか? 御者が対応しているのか、外からは話声が聞こえ、ほどなくして再び馬車が走り出す。

「失礼。寝ちまってたんだな」

「いえ、そんな。……よく眠っておいででしたよ」

 口元に手を添えて、ファティは上品に笑みをこぼす。

「お疲れのようですから、本当はもう少しお休みいただきたかったのですけど……」

「構わねぇ。……三ツ江、オメェも起きろや」

 隣に座る三ツ江も、のどかすぎて何もない農地の風景に飽きて眠りこけていた。お嬢の方は先に起こされていたのか、きっちり身だしなみを整えて座席に身を預けている。

 伏見の言葉に、お嬢が三ツ江を起こしにかかった。

「で、わざわざ起こしたってことは、何か大事な話かい?」

「です。アルカトルテリアの戒律について、知っておいていただかなければならないので」

 右手の人差し指を立てて、ファティが説明を始める。

「この都市、アルカトルテリアは契約商業都市と呼ばれています。――その理由は、商契約を絶対とする戒律にあります。伏見さん、ちょっとコレ、受け取って貰えますか?」

「あいよ」

 前髪を留めていたピンを抜いて伏見に手渡す。

 赤銅色の留め金に花のような彫金を施した、綺麗ではあるけれど何の変哲もないヘアピンだ。

 伏見が受け取ると、ヘアピンがわずかに青い燐光をまとう。

「そのヘアピンは、今、伏見さんの物になりました。ですから……」

 伏見が持つヘアピンにファティが手を伸ばした。

 つままれているだけのヘアピンを奪おうとするが、ヘアピンはびくともしなかった。大した力も込めていない――それどころか、ファティがヘアピンを掴んだという感触すらなかった。

「こんな風に。今、ヘアピンは伏見さんの所有物なので、盗むことも取り返すことも出来ません。あ、返してもらえますか?」

「あ、ああ……」

 伏見が頷いて、ヘアピンがファティへと戻る。再び燐光が薄暗い馬車の中を照らし、消えた。

 意思――いや、言葉だ。ファティが返してくれと言い、伏見が了承した。その言葉によって契約は結ばれ、所有権がファティに戻された。

 戻ってきたヘアピンで前髪を留めて、何度か具合を確かめた後、ファティが再び語り始める。

「アルカトルテリアにおいて、商契約は神聖な行為なのです。一度交わした取引を覆すことは出来ず、また詐術を弄することも出来ません。お金、物、権利、労働――口約束であろうと、契約してしまえば過不足なく履行は果たされるのです」

「待った。……もし、不可能なことを契約したらどうなる? 例えば、俺が金貨一億枚差し出すとか、将来手に入る金で物を買うとか」

「前者は不可能です。基本的に、契約は現在所有している物しか扱えません。後者は……条件次第、でしょうか」

 考え込むように、ファティは指を口元にやる。

「そうですね。支払えなければ働いて返す。あるいは、その支払いに見合うだけの財産がある。そういう条件が整っていれば、未来の収入で契約を締結させることも不可能ではないです」

 それはつまり、担保にするものがあれば、ということだろうか。

 ファティの語る戒律に、伏見が警戒の度合いを引き上げる。

 下手に口約束を交わしてしまえば、ケツの毛までむしり取られるということだ。財産の差し押さえから強制労働まで。法廷で争うことすら出来ない。

 債権者を追い詰めることなら慣れたものだが、自分が追い詰められる側に回るのはぞっとしない。

 更に言えば。この都市において、条件さえ揃えば脅しも暴力も使わずに人をいいように扱えるのだ。闇金の取り立ても商売上がったりだろう。

「伏見さんたちも、どうぞお気をつけて。私共といたしましても、伏見さんたちの資産が他の方々に奪われるのはいただけません」

「そりゃ、御忠告どうも。……三ツ江、それにお嬢も。下手な約束しないよう、気ぃつけて下さい」

 三ツ江は理解しているのか怪しいが、お嬢はどうやら正確に事態を把握しているようだった。危惧に見合う重苦しさで首肯する。

「しっかし、そういうこたぁもっと早く言ってほしかったなァ」

「……だって、寝てましたし」

 頬を膨らませて、ファティは拗ねたように顔を逸らした

 時折見せる子供じみた仕草は素か、それとも処世術だろうか。

 少し考えて、結局伏見はその答えを保留することにした。つい昨日、出会ったばかりの子供だ。どちらかは分からないし、あえて言えばどちらでも構わない。

「いや、すまない。……で、他に戒律はあるかね。戒律じゃなくても、注意点があれば聞いておきたいんだが」

「んー……。アルカトルテリアの戒律は、商契約の強制だけです。複数の都市が入り混じっていますから、マナーにもうるさくはありませんし」

「なるほど」

 まったくなるほどではないけれど、重大な問題がなければそれでいい。

「細かい所は明日実地で確かめさせてもらうよ。ありがとうな」

「……まあいいですけど」

 ファティはいまいち機嫌を直さないまま、けれどどこか表情を緩ませる。

 大人をまねるような咳払いで表情を直して、ファティが窓の外を見た。

「少し遅れてしまいましたね。本当なら、街を案内させていただきたかったのですが」

 御者の肩越しに、アルカトルテリアの街並みが覗いている。

 石と土壁の街並みが、夕暮れから夜闇へとゆっくり沈んでいった。

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