020話.ヤクザ、思い返す
アルカトルテリアとの『接続』はその日、ファテイが来訪してすぐに行われた。
ファティの説明はこの世界特有の概念を用いた煩雑なものだったが、事実としては単純だ。アルカトルテリアの大地が降りてきて、千明組の敷地前に着地する。それだけと言えばそれだけの話、なのだけれど。
「……これ、屋敷の上に落ちたりしねぇだろうな……」
「その点はご心配なく。接続の度に周囲へ損害を与えてしまっては大変ですから。そうならないようになってます」
なってます、と言われても。
屋敷に深く影を落とすアルカトルテリアを、一同は茫然と見上げていた。
直上、はるか遠くに大地の裏――不毛の岩肌が露出している。その途方もない質量を支えているのが四方の象、彼らの『神』だ。そのうちの一頭、一柱が千明組の前に立ち、干からびた川底のような肌を晒している。
遠くからは、巨大な象が膝を折り、その重荷を下ろそうとする様が見えたことだろう。
「……寝て起きたら夢でした、ってこたぁねぇよなぁ……」
何秒か待って、山喜がそんな言葉を絞り出す。
それだけでもやっとのことだ。アルカトルテリアの偉容を前に千明組の面々は言葉を失い、その様子を見てファティが満足げにない胸を反らす。
口を開く余裕があるのは、山喜と――
「でっけぇー。なんつーか、ファンタジーっスねぇ」
「いやぁ、さすがは異世界だなオイ! 俺ちょっとテンション上がってきちゃったよ」
「……お二人はなんで通常運行なんです?」
伏見と三ツ江、そして二人に辛うじてツッコミを入れられたお嬢くらいのものだ。
無理もない。眼前にそびえ立つ巨象がほんの少し足運びを間違えるだけで、伏見らは成す術もなく踏みつぶされてしまうだろう。スケールが違いすぎる。
四肢を胴体の下にしまい込み、大地に伏せると、巨象はそのまま溶けるように地面の下へと沈み込んでいった。
終わってしまえば、地平線まで見えるような草原は跡形もなく。
絵の具で無理やり上書きしたように、川と平坦な農地が眼前に広がっていた。
岩盤を囲んでいた蛇身が、千明組の敷地とアルカトルテリアを繋いでいる。幅は十メートルほどだろうか。鱗の浮かび上がる蛇身が大地と大地をなだらかに繋ぎ、そこから盛り上がってアルカトルテリアを囲む壁にもなっていた。
「んー。迎えが来るはずだったんですけど、ちょっと遅れてるみたいですね。どうします?」
「まずは子どもらを帰さなきゃなぁ。この道、通してもらってもいいかい」
伏見が指さしたのは蛇身の向こう、踏み固められたアルカトルテリアの道だ。舗装はされていないが、道なき草原よりはずっと車に優しい。
「大丈夫……だと思います。橋もかかってますし、この……軽トラ? でも問題ないかと。ちょっと待っててください。今、臨時の通行証を出しますから」
手に持っていた鞄から書類を出し、何事かを書き加えて伏見に差し出す。
子どもたちはまだ千明組に居残っていた。接続中は危険だからと、出発を控えていたのだ。
運転は向山に任せ、再び子供たちを荷台に乗せる。
お別れのやり直しなんてあっさりしたものだ。唯一ファティだけが、荷台に乗るシルセと別れの挨拶を交わしていた。
走り出した軽トラを、ファティは見えなくなるまで見送って。
「……さて! 私たちはどうしましょう? 私たちも軽トラに乗っていきますか?」
「乗りたいのか?」
「……いえ、その」
乗りたかったのだろうか。
人の少ないであろう外周部ならともかく、多くの目に触れる都市部まで軽トラで乗り付けることにはさすがに抵抗があった。人目に触れれば触れるほど盗まれたり、壊されたりといった危険は増える。
「悪ぃけど、あの車は二台しかねぇんだ。一台はこっちに残しておきたい」
「……そうですか」
あからさまに、ファティは肩を落としてみせた。
迎えの馬車はそう時間を待たずにやってきた。
六人乗りの馬車が三台。余裕を持たせたのだろうが、明らかに過剰だった。
一台目にはファティと伏見ら千明組の面々、二台目と三台目にはファティと同じ先行商隊の人間が乗り込んでいる。
派手ではないが、客人を乗せるには十分な品格の客車。
沈み込むような座席に腰を下ろして、三ツ江は声を漏らした。
「すげぇー、なんもねぇー!」
「三ツ江さん三ツ江さん、こういうのはミレーみたいって言うんですよ!」
同じ窓をくっつくように覗き込んで、お嬢と三ツ江がはしゃいでいる。
言われれば、確かに窓の外の風景はミレーの描いた絵画のようだった。トルタス村とは麦の品種が違うのか、畑は黄金色の穂に覆われて、その合間で人々が収穫作業を続けている。
「元気だなァ……」
「あと三時間はこんな風景が続きますから、そのうち飽きてしまいますよ」
そう言うファティにとっては、この景色も慣れたものなのだろう。屋敷で渡した木箱を大事そうに抱え、澄ました顔で座っている。
「多分、用意した宿泊先に到着するのは夕方頃になるかと思います。我が家でもてなせず、申し訳ありません……。その、父は多忙でして」
「いや、お構いなく。こちらも少しは観光したいもんでね、丁度いい」
伏見の言葉は本音だ。
交渉を行うにあたって、ある程度の情報収集は済ませておきたい。
何の情報もなく交渉の場に立つというのは、丸腰で戦場に出るようなものだ。調べるべき情報、その余白を伏見が脳裏に列挙する。
そして、言うまでもなく。
情報不足はお互い様だ。ファティ側も、千明組についての情報は皆無と言っていい。
交渉までの猶予は、互いに情報を探り合う時間になるのだろう。
「その代わり、明日の夕食は押さえてあります。是非とも皆さまと食事を共にしたい、とのことで」
「そりゃ光栄だ。ドレスコードはあるのかね?」
「衣装の方もこちらでご用意させていただきますよ。これでも、ウチはそれなりの大手ですので!」
胸を張るファティを眺め、伏見がさもありなんと頷いた。
先行商隊がはたしてこの都市でどれくらいの地位かは分からないが、渉外役なんてものを年端のいかない娘に与えることが出来るのだ。千明組の情報を得て一両日と待たずに接続許可を出せたことといい、間違いなくこの都市の中枢――少なくともその近くに居るのだろう。
そんな後ろ盾とコネを作ることが出来たのは幸運だった。
「しっかし、でっけぇ都市だなァ、ここ」
「複数の都市が集まっているんです。中には、まだ習合されていない都市もありますけど。……伏見さんは、この規模の都市は初めてなんですか?」
「……あー、どうだっけなぁ」
不思議そうに首を傾げるファティに、伏見が言葉を濁した。
「隠さなくてもいいじゃないですか。伏見さんたちも、どこか大きな都市から分祀されてここに来たんですよね?」
分祀。
新しい神社を作る際などに使う言葉だ。文脈から察するに、ある都市から一部が分離し、新たな都市を形成するという意味合いの言葉だろう。
伏見の脳裏に浮かんだのは、もう思い出になりつつある日本の風景だ。
この世界の常識に照らし合わせるならば、千明組の異世界転移もまた、分祀ということになるのだろうか。
「あー、まぁ、なんだ。戒律で、元の都市の話はしちゃいけねぇのよ」
「そういう戒律もあるんですね……」
この言い訳便利だなぁ。
なんとなく気まずくなってしまった空気をいいことに、伏見は沈黙して目を伏せる。
思い出してしまった日本の景色はどこかよそよそしい。
お嬢ならばもっと別の印象を受けるだろう。ただ、伏見にとっては遠い故郷だ。
徹底的にヤクザを排除した現代の日本に比べれば。
この異世界は、新天地に違いない。




