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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
契約商業都市・アルカトルテリア
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017話.ヤクザ、水を汲む

 伏見が目を覚ましたのは、翌日、夜明け前のことだった。

 寝起きは良くない方だ。寝すぎたせいか頭もくらくらする。食べてすぐ眠ったせいだろう、まだ胃袋に昨日の食事が残っているような感覚があった。快調と言うには遠すぎる目覚め。

 それでも、目覚めたからには起きない訳にはいかないのが伏見の性分だ。

 のそりと起き上がると、そこは伏見の自室だった。

 千明組の離れにある自分の部屋だ。山喜にトシエさん、三ツ江などは外に自分の家を持っていたが、今は千明組のほとんどがこの離れに暮らしている。最初は何事かと思ったが、既知なことなど何一つないこの異世界で、見知った自分の部屋が使えるというのはありがたいことだった。

 一方で、本宅に寝泊まりしているのは組長とお嬢、それにトルタス村の子供たちだ

 お嬢などは組長と同じ家で寝るのが嫌だと言って聞かないが、組長は組長で愛娘を男ばかりの離れに住まわせることを拒み、現在は平行線をたどっている。そのうち、トシエさんと山喜を本宅に住まわせることで決着するだろう。

 見張り番を除き、みんな寝入っている時間だ。

 音をたてぬよう襖を開けて部屋を出るが、古い床板は容赦なく軋み音を立てた。

 そろり、そろりと廊下を歩いてく。

 まず洗面所に向かって、思い出したのは水道が使えないことだった。

 この世界は不便なことだらけだ。電気、水道、ガス、インターネット。全てのライフラインが寸断されている。

 不便を楽しむとかいう女性誌みたいな売り文句はともかくとして。

 人間にとって、生活のレベルが落ちるというのはストレスに他ならない。食事のグレード、いつも着ていたブランド物の服、ちょっといい爪切りや耳かき。

 手放せなくなる、とはそういうことだ。

 好き嫌いなんて関係なしに、負担は全員にかかっている。

 特に危険なのはお嬢だろう。環境の変化が最も激しく、周囲に見知った人間も少ない。

 少しでも負担を減らすためには環境を整えて安定させる必要がある。

 選択肢は二つ。屋敷を改築して住みよくするか、いっそあの都市に全員で移住して、ゼロから環境を構築するか。

「ああクソ、タバコ吸いてぇ……」

 指揮を任されている伏見にも負担は過分にかかっている。救いがあるとしたら、伏見には自覚があるということだろうか。

「昨日のアレ、もったいなかったよなぁ……。タバコで着火とか、調子こいちゃってさぁ。あー、も少し吸っときゃよかった」

 独り言をつぶやきながら、伏見は離れの玄関へ。

 この世界は、本当に不便だ。

 タバコを吸うことも、顔を洗うことすら、やすやすとさせてはくれない。




 水道のないこの世界において、水は井戸や川から汲んでくるものだ。

 転移して以来、千明組では主に近所の小川を取水源として利用している。日本に比べれば随分不便だが、この世界の基準で言えば幸運な方だろう。転移先がどのような法則で決定されるのかは不明だが、砂漠や海のど真ん中に飛ばされていた可能性もある。近くに真水、森、そして人里が存在しているのだ。これ以上を望めばバチが当たる。

 森が近いせいか、流れは遅くとも水は澄んでいた。水量は決して多くはなく、草原地帯を流れればすぐに汚れてしまう。

 それでも、泥の混じっていない水が手に入るのはありがたかった。

 川辺で顔と頭を簡単に洗った後、少し上流に移動して、二つのバケツに水を汲む。鉄パイプの両端にバケツを吊るして肩に担ぎ、伏見が立ち上がる。

 江戸時代みたいなやり方ではあるけれど、それだけに合理的だ。人力で水を運ぶのなら、この方法は理にかなっている。

 こちらに来てから、一番便利に使っているのは鉄パイプかもしれない。

 ゴブリン退治では槍や鈍器として、今は竿の代わりとして。いずれ本来の用途――仮設の足場として使うこともあるだろう。シンプルな構造と、硬度も粘りもある頑強さ。在庫を気にせず使い潰せるその数もいい。

 けれど、それもいつかは尽きるのだ。

 千明組のもつ物資、技術、知識、経験――それら全てが、この異世界において価値を暴騰させている。

 ともすれば身持ちを崩すような、莫大な財産だ。

 金は使わなければ意味がない。

 財を投じて仕事を成し、金を積み上げて事業を拡大する。そうして作られた金を生む仕組みは、ただの財産をはるかに超える価値がある。

 問題は、どんな仕事を作るかということだった。

「あれ、兄貴起きてたんスか」

「三ツ江か。帰ってたんだな」

 水を汲んで屋敷へと帰ろうとしたその時、背後から声を掛けたのは三ツ江だった。

 相も変わらずジャージ姿で、伏見と同じようにバケツをぶら下げた鉄パイプを担いでいる。

 伏見を追い越して水を汲み上げると、すぐさま追いかけて隣につく。。

「村の方はどうなった?」

「とりあえず死体の方は片付きました。明日の朝――や、もう今日っスね。子供たちを送ってほしいってことで」

「せめて遺体って言えな」

 後始末は順調に終わったらしい。

 子供たちを帰すことには異存ない。ゴブリンを駆除した今なら、シルセの母親一人でも無事子供たちを連れて帰れるはずだ。

 今後、この件の報酬は順次回収するつもりだが、その際には何度も村と屋敷を往復することになるだろう。軽トラが渡れるような橋を作らなければならないが、果たしてどれだけ時間がかかるだろうか。

 伏見が考え込む傍らで、三ツ江は屋敷の向こうを見上げる。

「ちゅーか、アレなんなんスかねー……。」

「ああ、アレなぁ……。一体どうなってんだか。質量だけで相当なもんだろうに」

 既に、千明組の屋敷からもアルカトルテリアの偉容は見えていた。

 夜明け前、青みを帯びて虹のようなグラデーションを作る空に、焼けた雲を掻き分けて、都市は歩き続けている。

 もはや、北方の視界は全てアルカトルテリアに埋め尽くされていた。あれだけの大質量ならその一歩一歩だけで地震が起きるだろうに、屋敷への影響は殆どない。わずかに気流の乱れを感じる程度だろうか。

「そういや、そこのしょうがいやく? が、改めて兄貴に会いたいとかで。今日一日は村に滞在してるらしいっスよ? 兄貴の予定が分からなかったんで、約束はしなかったっスけど」

「あー、んじゃちょっくら会いにいくかね。何持ってくかなァ……」

 話しているうちに、屋敷へ着いた。

 今朝の門番は篠原だ。眠たげに目をこする篠原の隣を抜けて、屋敷の中庭へ。

 伏見達がシルセを助けたりゴブリンを狩ったりしている間に、中庭は随分改造されていた。

 ドラム缶風呂は木の板で壁が作られ、屋根の代わりにトタン板が設置してある。風呂に入るための階段や手すり、それにペットボトルシャワーまで。隣には脱衣場も設けられている。

 伏見達が向かうのはその隣、高台の上に作られた浄水器だ。

 担いでいたバケツを下ろし、三ツ江は塀に立てかけられた梯子を上っていく。

 伏見が上げたバケツを受け取って、ドラム缶へと水を注ぐ。

 仕組みは非常に原始的だ。川辺の砂利や砂、腐葉土などの層を通過することで水の中の生物や不純物をこしとっていく。傾けられたドラム缶の底にはホースが繋がっていて、地面に置かれた壺に水が溜まるようになっているのだ。

 飲み水として使うならばさらに煮沸する必要はあるが、ひとまずこれで水の心配をすることはない。

 急場をしのぐ為の設備も、整いつつある。

 あとは――

「んじゃ兄貴、朝飯の下ごしらえ、やっときますか」

「……ま、そうだな」

 ひとまず、食事の準備だ。

 仕事が終わっても、日常には絶え間がない。

 異世界だろうがヤクザだろうが、生活はしなければならないのだ。

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