013話.ヤクザ、ゴブリンを駆除する
伏見の合図で投げ入れられたのは、何の変哲もない――少なくとも、日本人ならば誰だって見たことがあるような茶褐色のビール瓶だった。
地面に叩きつけられ、瓶の中身がガラス片と共にぶちまけられる。ゴブリンの営巣地全体を取り囲むように歪な円を描き、周囲を異臭が満たした。
ゴブリンらがその異変に驚くよりも早く。
伏見の落とした煙草の吸殻を着火点に、左右へと炎が奔る。
異臭を放つ液体をなぞるように燃え盛り、瞬く間に炎は檻を成した。
混乱し、恐慌状態に陥ったゴブリン共を尻目に、伏見は左手に下げていたビール瓶を持ち上げる。
先ほど投げ入れられたものと同じ、何の変哲もないビール瓶だ。ただしその中にはガソリンがたっぷりと注がれて、瓶の口には王冠の代わりにボロ布が詰められている。
火炎瓶。
教科書にだって載っている、子どもにだって作れるような武器――いや、兵器と呼ぶべきだろうか。
仕組みは単純だ。建物や車に投げつけて引火性の高いガソリンなどの液体をぶちまける。栓の代わりに詰められたボロ布に火を点けて投擲するのが本来の使用法だ。
今回はゴブリンに気取られる可能性を踏まえ、火を使わずに投げさせた。伏見が担ったのは、その代わりの着火役と森に潜む村人に気付かせないための囮だ。
ひとまずの役目を終え、火勢に押されるように伏見が一歩下がる。
「お前らさぁ。火ぃ使えるってことは、火の怖さも知ってるってことだよなァ?」
営巣地を見れば明らかだ。
かがり火を中央に、その周囲の木々が伐採されていた。
自然の地形ではない。火を安全に使うために切り開かれているのだ。延焼し、自分たちが焼かれてしまわないように。
火炎瓶によって作られた即席の檻の向こう、混乱の只中にあるゴブリン共を、伏見は半笑いで眺める。
「アッハッハァ。いやぁ、火っていいよなぁ。明るくなるし、あったけぇし、肉も焼ける。昨日もよう、ウチではBBQやってたんだわ。お前らも好きか? BBQ」
周囲の森から村人たちが進み出て、追加の火炎瓶で炎の檻を補強していく。
ゴブリン共の肉体を焼くことが出来るのは既に確認していた。
シルセを助けたときに殺したゴブリンの死体。三ツ江がシルセを背負っていたように、伏見はゴブリンの死体を屋敷へと持ち帰っていたのだ。解剖した後の残骸は、病気が怖いので穴を掘ってガソリンをぶっかけて焼いた。
とちくるって炎から飛び出してきたゴブリンを、伏見は持っていた火炎瓶でぶん殴る。
「っと。あっぶねぇなァ、オイ」
殴られたことによる衝撃と、肌を裂くガラス片。ガソリン塗れになったゴブリンは、すぐさま焼かれて地面を転がる。近くの木々に延焼しても困るので、伏見は革靴でゴブリンの丸焼きを蹴り飛ばした。
「はーい、みなさん、次をお願いしまーす!」
向山が拡声器を使って村人らに指示を送る。
ガラス瓶を使った火炎瓶も無尽蔵ではない。火が消えてしまえばゴブリン共はすぐにあふれ出し、混戦が始まるだろう。
炎の壁の向こうから攻撃する手段が必要だった。それは例えば弓や銃、あるいは――
村人らが構える投射器が軋みを上げて、鉄パイプを放った。
先端にやすりをかけ、尖らせて穂先にする。逆側には布切れで作った飾り尾。
原始的な投げ槍だ。
重量にして約二キログラム。仮設足場用の鉄パイプは、即席の槍としてゴブリン共を貫いた。
「そうそう、串焼きもうめぇよなぁ。なにより食いやすいし、ひっくり返すのも楽でいい」
投射器の原理は概ねラクロスのラケットと変わらない。作るのも簡単だ。持ち手と、槍をひっかける鉤があればいい。
腕の長さを数十センチ足すだけの投射器が、ただの鉄パイプを兵器に変えた。
ゴブリンという小さな的、訓練もされていない村人、それらの悪条件をカバーするための炎の檻。
「……ったく、みんな猿相手に必死になりすぎだよなァ。所詮ただの害獣じゃねぇか。なにイキってんだっつーの」
燃え盛る炎の向こうで幾度となく豚のような悲鳴が上がる。
鉄パイプを投げ返してくる個体もいるが、膂力も投射器もなければそんなものただの木切れとそう変わらない。案の定、村人たちに避けられて地面に転がり、返ってきた鉄パイプはまた投射器で炎の向こうに投げ入れられる。
事ここに至れば、ゴブリンの反撃はないと見ていい。
問題があるとすれば――
「あー。兄貴兄貴、左側中央で、村人がミスって燃えてます」
「マジか、めんどくせぇなー」
伏見に報告したのは、木に登って頭上から状況を監視していた三ツ江だ。
めんどくさそうに、伏見はベルトに吊るしてあった拡声器で情報を伝達する。
「あー、テステス。八房だっけかー?、左側中央で火災発生―。消火しろ」
指示を受けた八房は、まだ森の中に控えていた。
急いで立ち上がると、消化器を重たげに抱えて消火に向かう。
ガソリンの扱いなんて知らない村人たちだ。道すがら、一通りのレクチャーは済ませていたけれどミスは避けられない。向山や八房はその為のフォロー役として左右に配置されていた。
中央の伏見と三ツ江は状況の監視、そして指令役だ。
額に浮いた汗を拭い、伏見が一歩下がる。
物資は既に大半を使いつくしたが、それだけの効果はあった。
炎の中、ゴブリン共は既に息も絶え絶えだ。反撃も途絶え、悲鳴すら聞こえない。
「おーい、伏見、連中はどうなってる?」
「えっぐいっスわー。広場にはほとんど残ってねぇっス。生きてるのは洞窟に逃げようとしてますねぇ」
伏見が頭上に声を掛けると、双眼鏡を覗いていた三ツ江が報告を返す。
「よし、三ツ江は木ぃ降りて次の準備に入れ」
三ツ江に指示を出した後、伏見はまた口元に拡声器を構える。
「え、お集りの皆さまに、ご連絡します。お手元にある火炎瓶を、連中の詰まった洞窟めがけてお投げください。まず洞窟の入口、次に洞窟の中へ、どうぞご協力お願いしまーす」
炎の壁を維持する為に使われていた火炎瓶が、一斉に奥の洞窟へ投げ入れられる。
「はい、ご協力ありがとうございましたー。次は、鉄パイプ、鉄パイプをよろしくおねがいしまーす」
「なんかみんな、ぷっつん来てますねぇ」
「……そりゃ、火で興奮してるだろうし、第一みんなろくに寝てねぇだろ。ありゃ徹夜明けのテンションだな」
木を降りて傍らに立つ三ツ江に、伏見はいい加減な言葉で答えた。
村人たちは伏見の言葉通り、狂乱の中、次々に鉄パイプを投射していく。投射器を持たないものはその辺の石や木切れ、果てはゴブリンの死体まで、次々に放り投げていく。
時折、洞窟からは一矢報いようとするゴブリンの突撃があるものの、そのたびに村の狩り手――シルセの父親だった――が斧を叩きつけていた。
「んー。やっぱり人間の方が恐ろしいってオチですかね、コレ」
「んなもん当たり前じゃねぇか。あんな猿どもなんざ、所詮原始人の劣化版だろうが」
「……ところで、気になってたんスけど」
「あぁん?」
話しながら、三ツ江は背後の茂みに歩いていく。次の道具――シャベルやチェーンソーを持ち出しながら、三ツ江が兼ねてよりの疑問を口にした。
「……兄貴、なんで連中のこと猿って呼ぶんすか?」
「いや、だってよ。やっぱアレゴブリンじゃねぇもん。ハリー○ッターや指輪物語に出てくるゴブリンともちげぇし。なんだアレ、翻訳家のミスかよ」
――今の今まで、そんな理由でゴブリンのことを猿と呼んでいたらしい。
与太話をしている間に、営巣地を囲んでいた炎が勢いを失くし鎮火する。
残されるのは、未だ表面を燻ぶらせる木の根や切り株、焼け焦げた地面、そして鉄パイプに串刺しにされた生焼けのゴブリンくらいのものだ。
逃げようとしたゴブリン共は洞窟の中で蒸し焼きの真っ最中。村人たちは広場の死骸から鉄パイプを引き抜いて、投射器を使い炎の中へと投げ放つ。
戦いではない。あまりにも一方的なこの状況は駆除と呼ぶべきだろう。
ここまで来たら、伏見の仕事はひとまず終わりだ。村人は復讐を終え、村の安全もとりあえず確保した。ならば、残るのは報酬の取り立てと後始末くらいのものだ。
村人が投擲に飽きるのを待って、伏見が声を掛けた。
「あ、村人のみなさーん。ゴブリンぶち殺したところで、次のプログラムに入りたいと思いまーす。……ぶっちゃけ、早く火ぃ消さないと森が燃えちゃうんで、急いでお願いしまーす」
実際のところ。
ゴブリン狩りよりも、消火作業の方が何倍もの時間を消費したのだった。




