012話.ヤクザ、推測する
夜明け前。
彼らにはまだ暗すぎる時間でも、営みは既に始まっていた。
森の中に切り開かれた小さな荒れ地がゴブリン共の営巣地だ。大雑把に開墾され切り株や残った木の根が転がる広場と斜面に掘られた洞窟が、彼らの集落であり、生活の場だった。
群れのうち、洞窟に入ることが出来るのは女王や生まれたばかりの子ども、そしてその世話係だけだ。残る半数は、屋根もない荒れ地の中、思い思いの場所に寝転がっている。
夜が白むとともに、外で眠っていたゴブリンが目を覚ました。
毛のない肌では夜明けの空気に耐えられないのだろう。身震いと共に、広場中央の焚火へと群がっていく。
焚火とはいっても、灰の中でどうにか燻ぶっているくらいの残り火だ。そこらに散らばった落ち葉や木切れを焚きつけ代わりに、ゴブリン共が息を吹き込んで火を炎へと育てていくのだ。知性というよりは、習性に近い行動だろうか。
やがて炎が消える心配もないくらいに大きくなって、ゴブリン共の目に入るのは木の枝に刺さった昨夜のごちそうの残り物だ。
焚火を囲うように地面へと突き刺さった■■の串肉が、炎に炙られて肉汁を滴らせる。
食事は女王から。それが彼らの文化だけれど、例外はいくらでも存在した。
空腹に負けて肉を頬張ると、外側はすっかり水分を失って固く、中には火が通りきっていない。それでも彼らにとってはごちそうだった。
なにせ■■だ。狩るとなれば数が必要になり、犠牲が出ることもある。
外で眠らされるような彼らだ。当然、群れの中での序列は下の下。彼らの口に■■が入ることなんて滅多にない。
その点、昨日は本当に最高だった。何十体もの■■が手に入って食べ放題。近くの木々には皮を剥いだ後の■肉が吊るされていて、今日もおこぼれをいただけるかもしれない。
朝食が終わればまた狩りへ。
取りつくしてしまうことなんて考えない。
あの村を滅ぼしてしまうことこそが本能で、目的で、何物にも代えがたい約束だった。この食事だって、村を滅ぼすことに比べたら大したことはない。
言うに及ばず、神敵は皆、都市を滅ぼすことに狂っている。自らの不死性を保証するのが都市の存在だとしても、そんなことには目もくれず。
ゴブリンの日常は、そんなふうだった。
狩れるだけ狩る。なにがいい、どうすればいいなんて考えず、明日も知らない。
素朴な村人の暮らしよりもなお原始的な営み。
「さぁて」
襟を正して、彼は茂みを無造作にまたぐ。
どんなこだわりかは知らないが、森の中でも彼はスーツを着たままだ。袖口や裾を、草木や泥が汚している。
片手にはビール瓶一つきり。
胸ポケットに差していたサングラスを掛けると、咥えていた煙草に百円ライターで火を点けた。
この世界では希少な一本だ。深く深く吸い込んで、肺を満たしていく。
「っくぁー! やっぱ久しぶりのタバコは、効くなぁ、オイ!」
口の端から煙を零して彼は言う。
「うーん、やっぱ返事はねぇなぁ。この翻訳機能、なんでお前らには通じねぇのかね。……なんか言えや、コラ」
あまりにも自然に、檻の向こうの猿山を眺めるような気軽さで。
伏見が、ゴブリンらの目の前に立っていた。
果たして、ここでどれくらいの■■が解体されたのだろうか。血と、胃や腸に詰まっていた未消化のクソの匂いが漂っている。伏見はわずかに眉をひそめるが、そんなことより手元の煙草を味わう方がずっと大事だった。
もう一度、煙草のフィルターに口をつける。
堂々とゴブリン共を睥睨していても、その内心は冷え切っていた。
推測をして、確認はとった。それでも実践となれば話は違う。
千明組の人間ならば、ゴブリンに襲われることはない。
あのゴブリン共はこの世界の『設定』に縛られているのだ。
違和感は初めから存在していた。
襲撃されていたシルセを助けたとき、ゴブリンはあまりにも無防備に短ドスの突撃を受け入れた。ゴブリンの小柄な体躯ならば、三ツ江の突撃をかわすことだって可能だろう。だというのに、回避行動すらとらなかった。
敵対行動を取らない限り、他の都市の人間がゴブリンに襲われることはない。それが伏見の推測で、ミゾロから確認を取ったゴブリンの習性――いや、『設定』だった。
営巣地に入り込んだこと。煙草に火を点けること。声を掛けること。
それら全て、敵対行動だと認められていない。
ゴブリン共は続々と目覚め始めていた。
『設定』にしばられてはいても、警戒はするのだろう。どの個体も伏見を注視している。
「ゴブリンに見られても、つまらんよなぁ……」
そして、伏見は煙草を手挟んだ左手を掲げて見せた。
ゴブリンの視点が、煙草の火に集まっていく。
伏見がしたのは、たった一つ。その手の煙草を手放すこと。
そのちっぽけな火種が、ゴブリン共の営巣地を火の海に変えた。




