123話.ヤクザ、脅す
夜明け前の甘やかなまどろみからテディを叩き出したのは、レンガ造りの建物すら揺るがす轟音だった。
爆発、衝撃波など知らずとも、身体は本能的に反応する。手足を丸め、筋肉を硬直させ、音の次に来る衝撃から身を守ろうとするのだ。
やがて余韻が過ぎ去り、目地材の欠片がはらはらと降る中、少年は目を見開く。
事務所の外からは同じように叩き起こされた職人らの声が聞こえていた。言葉の内容は分からずとも、混乱の度合いがうかがわれる。
無理もないだろう。まるで雷が耳元に落ちたような轟音だった。肌がまだ震えているような気さえする。
「……そういえば、親方が何か、言ってたような……」
大きな音がするとか、大丈夫とか、そんなことを言っていたような気がする……と。
そこまで思い出したら、寝ぼけていたときのアレコレがいまさらに追い付いてきた。
主に抱っこされたこととかが。
「あっ……あっ!? しまった、もうちょいイチャコラすればよかった……!」
後悔したところで、篠原はもういない。
寝返りをうって、テディは天井を見上げる。まだ事務所内には埃が舞っていて、窓ガラスから僅かに漏れ入る灯りを反射していた。
「親方、どこにいったのかなー……」
物心ついたころにはもう、彼には値札が付いていた。
この都市ではよくある手口だ。未だ自意識が確立されていない幼少期、子どもたちは親の私有財産として扱われる。糊口をしのぐことすらままならない人々にとっては貴重な収入源だ。ある程度まで実の親に育てさせ、使えるようになれば契約を盾に連れ去っていく。
中には身を削って我が子を買い戻す親もいるとは聞くが、少なくとも彼はみたことがない。
待遇は契約によって様々だ。
一二年の短期間で親元に帰される者、年季を待たずに身体を壊して捨てられる者、他者の所有物のまま四十を越えた者もいる。
彼が幸運だったのは――彼自身の所有権を制限されなかったこと、そして金さえ積めば解放される契約だったからだろう。
アルカトルテリアは多くの都市を辿って周回している。組織に従順であった彼は都市外の仕事を勤勉にこなしながら少しずつ金を貯め、数年後には自分自身を買い戻した。
彼を売り払った親の元へは帰る気にもなれず、そもそも行方が分からない。
行き場のない彼に残されていた縁は、権力者に媚を売って汚れ仕事を請け負う元持ち主、そして同じように買われた子供たちだけ。
彼が買う側に回るのは、ごく自然な成り行きだった。
やがてその働きぶりを認められた彼はやがて下部組織を率いるようになり、自らパトロンを見つけて――現在に至る。
表の顔、花屋も彼の元持ち主からのれん分けされたものだ。
他に適当な商売を見つけてもよかったけれど、花や鉢植えのことは好きだった。
きっと、花にも値札がついていたからだろう。純粋に花を買いに来る客も確かに居て、彼らは何の儲けにもならない花を喜んで買っていく。
花の命は短いと言うけれど、望まれた彼らは幸福だろう。
一方的な同族意識。あるいは憧れ。
彼の人間性、その善悪を測るにはまるで役に立たない話だ。
使う側になった彼は自身と似たような境遇の子供たちを使って商いをしている。詐欺、恐喝、殺人などもはや意に介すこともない。守るべき法は商売の邪魔をする不快な隣人で、戒律は逆手にとって獲物を陥れる便利な道具だ。
ただし、彼――ティエロには嗜好があり、感情があり、傷つければ痛く、殺せば死ぬ、
ごくあたりまえの人間だった。そんな話だ。
だから。
いずれ復讐の歯牙にかけられることも、必定だったのだろう。
引き攣れるような全身の痛みと吐き気。呼吸するたびに喉奥が裂け、呼吸もままならず、鼻からは生暖かい血が流れている。
音もなく、ただひたすら苦痛が引き延ばされるような眠りから、ティエロはもがくように目を覚ました。
「な、にが……」
口の中に溜まった血を吐き出して、どうにか声を出す。
呂律は回っておらず、イントネーションはめちゃくちゃで、声量は安定しない。そんな言葉でも、この世界の翻訳機能はきちんとティエロの意図を伝えていた。
「何がって聞かれてもなぁ……。最初から説明すると、結構長いんだけど」
ティエロは目蓋を開いたが、焦点がまるで合わない。どこか室内にいること、ランプの灯りがあること、床に転がされた自分のすぐそばに誰かがいること。分かったのはそれだけだ。
眼孔の奥が熱を持ち、酷く痛む。
「要するにさ。お前、掴まってんだよ。逃げ場もないし助からない。意味、分かるか?」
拘束されていることに気付いたが、いまさらどうにもならない。両手両足を繋ぐ金属の輪――手錠は頑丈でびくともしない。そもそも身体に力が入らなかった。
「あー、無理に動かない方がいいよ? どうせ外れないし、交通事故にあったみたいなもんだから、全身筋肉痛でしょ。安静にしとかないと」
助からないと言った口で、安静にしろと気遣う。その矛盾にもティエロは気付くことがなかった。
翻訳される以前に、言葉が、音が聞こえていない。
「っちゃー、もしかして聞こえてないのかな。鼓膜破れちゃった? なあおい、おーいって」
穏やかに尋ねながら、スニーカーのつま先で頭を小突く。混乱したままのティエロには悲鳴を上げることしか出来ず、けれど視界はゆっくりと回復していった。
恐怖をたたえた瞳で、ティエロは無慈悲な拷問吏の姿を確かめる。
暗がりでこそ目立つ真っ赤なジャージに、人の良さそうな緩い笑顔。会ったことはなくとも、その顔は知っていた。
「みっ、三ツ江……!」
「なになに、俺のこと知ってんの? 嬉しいなぁ、芸能人みたいじゃん」
目下、ティエロが最も警戒していた人物だ。ティエロが殺した伏見と親しく、現在では実質上千明組を取り仕切っているはずの男。
状況が明確になるにつれて、ティエロの頭が回り始める。
命乞いは最悪の手段だ。伏見を殺したと自白するようなものだろう。知らないふりをしながら困惑して見せるのがベストだが、演技が見抜かれては元も子もない。
ティエロの選択は、怒ることだった。
「ふ――ざけるな! 何がしたくて、こんな……!」
血の泡を吐きながら、ティエロは三ツ江を罵る。
痛みに対する最もシンプルな反応は、怒りだ。ティエロの胸にある怒りは真実で、演技でも何でもない。勘違いで襲われた人間の反応としては十分あり得るだろう。
喚き散らそうとしたティエロを、しかし三ツ江は手のひらで制す。
「あーはいはい、そういうのはいいんで。最初っから全部分かってんだから……つっても、聞こえないよなー」
段々面倒くさくなってきて、三ツ江は頬を掻いた。
「まぁいいや、実際に見てもらった方が早いっスよね。お願い出来るっスか?」
三ツ江の合図に、背後で控えていた男が動き出す。
麻袋を被り、顔を隠したその男は一抱えもある巨大な機械を抱えていた。
プルスターターを引いて、男はその機械のエンジンを起動させる。
中世では作れぬ精巧な機械でありながら、原始的な恐怖を掻き立てるそれ。
機械油の匂いを巻き散らしながら、刃付きの鎖は金切声を上げる。
「チェーンソー。指くらいなら簡単に飛ぶから気をつけてね。何しろホラ、神さまだって殺せるらしいし!」




