116話.ヤクザ、受け継ぐ。
例えば、切り紙。
蛇腹に畳んだ折り紙に切り込みを入れると、広げたときに網のような形になる。
伏見の死体は、ちょうどそんな風だった。
無事なのは首から上だけ。
剃刀やメスのような鋭い刃物で深く肉を抉られている。傷口を重ねないよう、何度も、何度も。場所によっては骨に届くほど深く、一部では腹圧に押されて内臓がはみ出ていた。
手間暇かけて、丹念に切り刻んだのだろう。着ていたスーツは脱がされて血の海に沈み、足のつま先にまで細かく切れ込みを入れられている。
怨恨でも、情報目当ての拷問ですらない。
無残に弄ばれた、尊厳の欠片もないただの死体。
それが、今の伏見の姿だった。
「三ツ江さん、一体なに、が……」
「お嬢、見ちゃダメっス!」
叫んでも、もう遅い。
肉塊を目の当たりにして、お嬢は口元を押さえていた。
嘔吐は堪えられても、強張った顔から血の気は失せ、足には力が入らずその場にへたり込む。
死体を見るのは初めてなのだろう。卒倒しないだけまだマシな方だ。こうまで加工された身内の死体を見て意識を保っていること自体、気丈と呼ぶべきか。
「お嬢。ちょっとそこ、退いてもらえるっスか。兄貴の遺体、玄関先に放置しとくわけにはいかないんで」
「は、い……」
人体と木箱、合わせて百キロ以上はありそうな荷物を抱えて、三ツ江は門をくぐる。
隙間から血の滴る長持を縁側に安置して、伏見の遺体を観察し始めた。
「……身体の方の傷からはあんまり血が出てないんで、たぶんこっちは死後の傷……。死因は首の方。防御創とかは見当たらねぇけど、手首には縄の跡……拘束されてから殺されてる、のかな」
自分の手が血に汚れることも厭わず、三ツ江は遺体の状態を確かめる。縦に切り裂かれた頸動脈を撫で、開かれたままだった目を伏せ、唯一着ていたトランクスの中を覗き込み、
「うん……間違いねぇ。兄貴だ」
「なんで今股間を確認したんですか?」
追いかけてきたお嬢にツッコミを入れられる。
「いやだってほら、風呂とか行けば見たり比べたりするじゃないっスか。この○ンコは間違いなく兄貴っスよ」
「聞きたくなかったです……」
お嬢にそちらの教養はなかったらしい。
げんなりするお嬢をよそに、三ツ江は手を清めて水気を切る。
「問題は、誰に殺されたかってことっスね。うちの住所を知ってるってことは多分この都市の商人連中で、兄貴は都市の外で殺されたんだと思うんスよ。次ファティちゃんに会ったら、兄貴の足取りを教えて貰わねぇと」
「どうして、そんな……」
落ち着いていられるのか、と続くのだろう。
伏見の遺体を目の当たりにした瞬間こそ自失していたものの、三ツ江は既に平静を取り戻している。
困ったようにこめかみを掻いて、三ツ江は力なく笑った。
「慣れってやつっスかね。最初ん時はこんなもんじゃなかったっスよ、さすがに」
「最初って」
お嬢が尋ねるよりも早く、三ツ江は背を向けて玄関に向かう。長持の蓋を脇に抱えて扉を閉め、足早に戻って蓋をはめ込んだ。
「それに、ほら。犯人を引きずり出して同じ目に遭わせてやらねぇと、兄貴の葬式もあげられねぇじゃないっスか」
振り返った三ツ江の表情、仕草、そして声色に、お嬢は言いようのない不安を覚えた。
復讐は無益だ、なんてことを言うつもりはない。
お嬢と伏見の付き合いはそれほど長くもないけれど、喉元にまでこみ上げる吐き気のさらに奥、恐ろしさと不安に混じって、怒りは確かに存在していた。
ヤクザだろうが堅気だろうが、身内を無残に殺されたのなら復讐を望むのはごく自然な感情だ。三ツ江が復讐を果たすというのなら、お嬢は自ら手伝いを申して出ていただろう。
ただ。
三ツ江の言葉は、あまりにも普通過ぎた。
怒りもある。悲しくもあるのだろう。伏見は三ツ江の兄貴分で、それだけ付き合いも長い。この世界に転移してからはもちろん、それ以前だって、二人はいつもつるんでいた気がする。
それなのに、三ツ江の言葉は義務感の表れでしかなかった。
身内を殺されたのだから復讐しなければいけない。
兄貴分が殺されたのだから、犯人を同じ目に遭わせなければならない。
――誰だって、親しい人を殺されれば復讐を望むだろう。
普通の人間なら、良識や恐怖が邪魔をして実行するのは難しい。暴力に慣れ親しんだ人間は、怒りに任せて殺すこともある。法による裁きであれば、多くのプロセスを踏み、その責任を分割することで罪悪感を軽くする。
形態はどうあれ、殺人には常に感情が付きまとうものだ。
だというのに、三ツ江の語る復讐には人間味というものがあまりにも欠けている。
まるで断頭台のよう。
縄が切られれば、刃が落ちて首を断つ。
ただ、それだけの仕組み。
「やっぱり、手紙をよこしてきた例の商人が怪しいと思うんスよ。あとはマトロとか。利害関係考えるんならアクィールさんとこも有り得るっスかね。お嬢はどう思います?」
「どう、って……」
たじろぐお嬢の前で、三ツ江はぽんと手を打った。
「とりあえず、怪しい奴を一人やっちゃうっスか! それで警戒したり怯えたりするやつが犯人ってことで。あんだけ儲けてるんだから、悪いことの一つもしてるでしょう!」
――その異常性を、お嬢はようやく思い知る。
三ツ江はあくまでも普通の人間だ。殴られれば怒るし、親しい人が死ねば悲しむ。
なのに、その行動原理は感情から切り離されていた。
やるべきならば、三ツ江は人殺しだってこなせるのだろう。復讐に感情が伴わないように、殺したくない相手だって殺せてしまう。
これまでは、そんな三ツ江を伏見がコントロールしていたのだ。思考と判断基準を伏見に預けることで、三ツ江はその異常性を抑えていた。
けれど、伏見は死に、手綱を握る者はもう居ない。
「……殺しちゃ、ダメです」
「え、でもほら、きっちりケジメつけねぇと駄目じゃないっスか」
「ケジメは、つけさせます。でも、まだ殺しちゃダメです」
一歩退いて、お嬢は伏見の遺体が収められた長持へと視線を向ける。
「……伏見さんを殺すのだけが目的なら、わざわざ遺体を届けたりはしませんよね」
必死に思考を回転させて、お嬢は言葉を紡いだ。
事実がどうであろうと構わない。ただ、三ツ江が納得できるだけの道理があればそれでいい。
「犯人は、私たちをビビらせたいんですよ。逆らうのならこんな目に遭うぞって、わざわざ遺体を切り刻んで。これはただの脅迫なんです」
「つーことは……」
「脅迫なんて、相手にしなければいいんですよ。伏見さんが死んだことを隠して、いつも通りに振る舞って、そうしていたら必ず相手は動くはずです」
ずっと、お嬢は自分がするべきことを探していた。
メーテルリンクもいいとこだ。伏見を亡くして、ようやくお嬢は自分の仕事を思い知る。
三ツ江を、コントロールすること。
首に縄をかけて、飼い慣らして、支配して。
「だって、伏見さんが死んでいることを、犯人だけが知っているんですから」
死んだ、と口にするだけで喉がつかえる。
できたばかりの兄貴分を悼む暇もなく、お嬢は伏見の仕事を受け継いだ。
継ぐことしか、できなかった。




