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異世界ヤクザ千明組  作者: 阿漕悟肋
鏡面相克都市・ファウラ=ラド 上
117/130

116話.ヤクザ、受け継ぐ。

 例えば、切り紙。

 蛇腹に畳んだ折り紙に切り込みを入れると、広げたときに網のような形になる。

 伏見の死体は、ちょうどそんな風だった。

 無事なのは首から上だけ。

 剃刀やメスのような鋭い刃物で深く肉を抉られている。傷口を重ねないよう、何度も、何度も。場所によっては骨に届くほど深く、一部では腹圧に押されて内臓がはみ出ていた。

 手間暇かけて、丹念に切り刻んだのだろう。着ていたスーツは脱がされて血の海に沈み、足のつま先にまで細かく切れ込みを入れられている。

 怨恨でも、情報目当ての拷問ですらない。

 無残に弄ばれた、尊厳の欠片もないただの死体。

 それが、今の伏見の姿だった。

「三ツ江さん、一体なに、が……」

「お嬢、見ちゃダメっス!」

 叫んでも、もう遅い。

 肉塊を目の当たりにして、お嬢は口元を押さえていた。

 嘔吐は堪えられても、強張った顔から血の気は失せ、足には力が入らずその場にへたり込む。

 死体を見るのは初めてなのだろう。卒倒しないだけまだマシな方だ。こうまで加工された身内の死体を見て意識を保っていること自体、気丈と呼ぶべきか。

「お嬢。ちょっとそこ、退いてもらえるっスか。兄貴の遺体、玄関先に放置しとくわけにはいかないんで」

「は、い……」

 人体と木箱、合わせて百キロ以上はありそうな荷物を抱えて、三ツ江は門をくぐる。

 隙間から血の滴る長持を縁側に安置して、伏見の遺体を観察し始めた。

「……身体の方の傷からはあんまり血が出てないんで、たぶんこっちは死後の傷……。死因は首の方。防御創とかは見当たらねぇけど、手首には縄の跡……拘束されてから殺されてる、のかな」

 自分の手が血に汚れることも厭わず、三ツ江は遺体の状態を確かめる。縦に切り裂かれた頸動脈を撫で、開かれたままだった目を伏せ、唯一着ていたトランクスの中を覗き込み、

「うん……間違いねぇ。兄貴だ」

「なんで今股間を確認したんですか?」

 追いかけてきたお嬢にツッコミを入れられる。

「いやだってほら、風呂とか行けば見たり比べたりするじゃないっスか。この○ンコは間違いなく兄貴っスよ」

「聞きたくなかったです……」

 お嬢にそちらの教養はなかったらしい。

 げんなりするお嬢をよそに、三ツ江は手を清めて水気を切る。

「問題は、誰に殺されたかってことっスね。うちの住所を知ってるってことは多分この都市の商人連中で、兄貴は都市の外で殺されたんだと思うんスよ。次ファティちゃんに会ったら、兄貴の足取りを教えて貰わねぇと」

「どうして、そんな……」

 落ち着いていられるのか、と続くのだろう。

 伏見の遺体を目の当たりにした瞬間こそ自失していたものの、三ツ江は既に平静を取り戻している。

 困ったようにこめかみを掻いて、三ツ江は力なく笑った。

「慣れってやつっスかね。最初ん時はこんなもんじゃなかったっスよ、さすがに」

「最初って」

 お嬢が尋ねるよりも早く、三ツ江は背を向けて玄関に向かう。長持の蓋を脇に抱えて扉を閉め、足早に戻って蓋をはめ込んだ。

「それに、ほら。犯人を引きずり出して同じ目に遭わせてやらねぇと、兄貴の葬式もあげられねぇじゃないっスか」

 振り返った三ツ江の表情、仕草、そして声色に、お嬢は言いようのない不安を覚えた。

 復讐は無益だ、なんてことを言うつもりはない。

 お嬢と伏見の付き合いはそれほど長くもないけれど、喉元にまでこみ上げる吐き気のさらに奥、恐ろしさと不安に混じって、怒りは確かに存在していた。

 ヤクザだろうが堅気だろうが、身内を無残に殺されたのなら復讐を望むのはごく自然な感情だ。三ツ江が復讐を果たすというのなら、お嬢は自ら手伝いを申して出ていただろう。

 ただ。

 三ツ江の言葉は、あまりにも普通過ぎた。

 怒りもある。悲しくもあるのだろう。伏見は三ツ江の兄貴分で、それだけ付き合いも長い。この世界に転移してからはもちろん、それ以前だって、二人はいつもつるんでいた気がする。

 それなのに、三ツ江の言葉は義務感の表れでしかなかった。

 身内を殺されたのだから復讐しなければいけない。

 兄貴分が殺されたのだから、犯人を同じ目に遭わせなければならない。

 ――誰だって、親しい人を殺されれば復讐を望むだろう。

 普通の人間なら、良識や恐怖が邪魔をして実行するのは難しい。暴力に慣れ親しんだ人間は、怒りに任せて殺すこともある。法による裁きであれば、多くのプロセスを踏み、その責任を分割することで罪悪感を軽くする。

 形態はどうあれ、殺人には常に感情が付きまとうものだ。

 だというのに、三ツ江の語る復讐には人間味というものがあまりにも欠けている。

 まるで断頭台のよう。

 縄が切られれば、刃が落ちて首を断つ。

 ただ、それだけの仕組み。

「やっぱり、手紙をよこしてきた例の商人が怪しいと思うんスよ。あとはマトロとか。利害関係考えるんならアクィールさんとこも有り得るっスかね。お嬢はどう思います?」

「どう、って……」

 たじろぐお嬢の前で、三ツ江はぽんと手を打った。

「とりあえず、怪しい奴を一人やっちゃうっスか! それで警戒したり怯えたりするやつが犯人ってことで。あんだけ儲けてるんだから、悪いことの一つもしてるでしょう!」

 ――その異常性を、お嬢はようやく思い知る。

 三ツ江はあくまでも普通の人間だ。殴られれば怒るし、親しい人が死ねば悲しむ。

 なのに、その行動原理は感情から切り離されていた。

 やるべきならば、三ツ江は人殺しだってこなせるのだろう。復讐に感情が伴わないように、殺したくない相手だって殺せてしまう。

 これまでは、そんな三ツ江を伏見がコントロールしていたのだ。思考と判断基準を伏見に預けることで、三ツ江はその異常性を抑えていた。

 けれど、伏見は死に、手綱を握る者はもう居ない。

「……殺しちゃ、ダメです」

「え、でもほら、きっちりケジメつけねぇと駄目じゃないっスか」

「ケジメは、つけさせます。でも、まだ殺しちゃダメです」

 一歩退いて、お嬢は伏見の遺体が収められた長持へと視線を向ける。

「……伏見さんを殺すのだけが目的なら、わざわざ遺体を届けたりはしませんよね」

 必死に思考を回転させて、お嬢は言葉を紡いだ。

 事実がどうであろうと構わない。ただ、三ツ江が納得できるだけの道理があればそれでいい。

「犯人は、私たちをビビらせたいんですよ。逆らうのならこんな目に遭うぞって、わざわざ遺体を切り刻んで。これはただの脅迫なんです」

「つーことは……」

「脅迫なんて、相手にしなければいいんですよ。伏見さんが死んだことを隠して、いつも通りに振る舞って、そうしていたら必ず相手は動くはずです」

 ずっと、お嬢は自分がするべきことを探していた。

 メーテルリンクもいいとこだ。伏見を亡くして、ようやくお嬢は自分の仕事を思い知る。

 三ツ江を、コントロールすること。

 首に縄をかけて、飼い慣らして、支配して。

「だって、伏見さんが死んでいることを、犯人だけが知っているんですから」

 死んだ、と口にするだけで喉がつかえる。

 できたばかりの兄貴分を悼む暇もなく、お嬢は伏見の仕事を受け継いだ。

 継ぐことしか、できなかった。

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