115話.ヤクザ、直面する
朝は、いつもと同じように訪れた。
いや、きっと違ってはいるのだろう。アルカトルテリアは移動を続けているのだ。朝日が昇る方角は日ごとに違い、留まればその土地の匂いがする。
それでも、朝はやはり朝のままだ。
パジャマ姿のまま、お嬢は縁側から庭の様子を眺めていた。
「また水が汲まれてる……」
アルカトルテリアにおいて、飲料水には主に井戸水が用いられる。
商人の都市らしく、井戸には所有者が居て桶一杯を汲むごとに金を取られるのだ。そのため洗濯などの生活用水には都市に張り巡らされた水路を利用し、また金を払えない貧民は水路の水を飲んだりもする。
千明組では井戸水を煮沸して飲用に、それ以外は水路の水をろ過したものをもちいていた。
これだけで病気や寄生虫を全て防げるほど便利な代物ではないけれど、対策を欠かすわけにもいかない。組には老人もいるのだ。抗生物質も手に入らない今、ありふれた風邪や食中毒で命を落としかねない。
伏見の指示で作られたろ過施設を、自宅警備員であるところの駒田が管理している。
水は汲むのはいつも三ツ江だ。当番が決まっているわけでもないのに、三ツ江は必ず一番に起きて水を汲んでいた。
こうしてお嬢が早起きしても、必ず三ツ江が先だ。昨日だって、三ツ江は夜遅くまで書類仕事とにらめっこしていた。にもかかわらず井戸水の瓶は満杯で、ろ過施設からは水がちょろちょろと流れている。
「三ツ江さん、いつ寝てるんだろ……」
伏見もそうだが、三ツ江はそれに輪をかけて働きすぎだ。
踏み石の上のつっかけを足にひっかけて、お嬢は庭に出る。きょろきょろと辺りを見渡し、三ツ江の姿を探しながら洗面台へ。
水を使用する施設のほとんどは庭に臨時のものが用意されている。台所、風呂、洗濯場、洗面所、トイレと一通り。
貯水タンクを設けて屋敷内の水道を復活される計画もあるらしいが、まだ先の話だ。
トタン板と木で作られた洗面台で顔を洗っていると、隣の風呂場から水音が聞こえた。そろそろ水の冷たさもこたえる季節だというのに、誰かシャワーでも浴びているのだろうか。
「もしかして三ツ江さんですかー?」
「呼びました?」
三ツ江の言葉は、お嬢の背後から返ってきた。
ちょうど下ごしらえを始めるところだったのだろう。洗面所の外から、エプロン装備の三ツ江が包丁片手に覗き込んでいる。大雑把に髪をまとめて手を洗うと、お嬢は小走りに三ツ江へと駆け寄った。
「おはようございます。今日は何を作りますか?」
「そっすねー。鶏を一羽買ってきたんで、肉は蒸して鶏ハムに、骨は香味野菜と煮込んでスープストックにでもしようかと。あ、あと卵もあるっスよ」
「卵焼き……は醤油が少ないし、オムレツにでもしましょうか」
朝食の準備も慣れたものだ。三ツ江が庭の隅で鶏を絞めている間に、お嬢は湯を沸かして玉ねぎや根菜の皮を剥く。
生きた鶏の首に包丁を刺して血を抜く様子が視界に入っても、最近はあまり気にならなくなった。アルカトルテリアで手に入る肉は干し肉や燻製ばかりで、保存性を高めるため塩辛く固い。新鮮で柔らかい肉を食べるのなら、こうして鶏を絞めるしかないのだ。
血抜きのあとは軽く湯がいて羽を毟る。総排泄孔から腹にかけて包丁を入れ、内臓を抜けばあっというまに見慣れた鶏肉の出来上がり。
最期にもう一度水で洗い、ピンク色の液体を滴らせる鶏肉を手に三ツ江がこちらへ近づいてくる。
「前から思ってたんですけど……うちって、なんでこんなに色々あるんですか?」
「色々って、何がっスか?」
用意してあった圧力釜を竈に置いて、三ツ江は不思議そうに首を傾げる。
「まさにそれ! それです! そんなに立派な圧力釜とか、おっきなお鍋とか。普通のお宅じゃそんなの置いてないじゃないですか」
「んー。もともと大所帯だったっつーのもありますけど……一番は災害対策っスかね」
「災害って、地震とか……」
「台風や洪水なんかもっスよ。ほら、伊勢湾台風とか、聞いたことないっスか?」
千明組が存在した三重県は、昔から自然災害が絶えない土地柄だ。未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風はもちろん、南方には降水量日本一の尾鷲市が存在し、北方の県境にはたびたび氾濫する木曽三川がある。太平洋に面しているからか雪による災害はまずないが、夏の台風、大雨による被害は馬鹿にならない。
また多くの断層が存在し、いずれ来ると言われている東海地震の範囲にもしっかり収まっている。
しかし、三ツ江の言う災害対策はそれだけに留まらない。
「テレビじゃあんまやんないんスけど、大きな災害が起きたときにヤクザもんが救援物資抱えてやってくるのは珍しい話じゃないんスよ。ほら、うちらは定職があるわけでもねぇし、身軽っスから」
「意外といいことしてるんですね?」
「やー、被災地って儲かるんスよ。急場をしのぐために土地やら財産やら処分したり、火事場泥棒したり、他にも所有者の居ない土地を乗っ取ったりとか。人助けして恩も売れるし言うことナシっスよ?」
「……前言を撤回します……」
三ツ江はあえて触れなかったが、女性に泡風呂やキャバクラなどを紹介して仲介料をせしめたりもする。古くからのヤクザは土建業にもつながりを持つため、被災地はちょっとしたボーナスステージだ。イキのいい若者を勧誘して構成員を増やすことだってできる。
「ま、商売は抜きにしても、たまにはいいことしねぇと。ヤクザなんて普段から鼻つまみもんっスからねー。災害でヤバい時まで威張り散らしてちゃ、嫌われるどころか死ぬまで叩かれちまうっスよ」
「なるほど……」
圧力鍋に切った具材を放り込みながら、お嬢は注意深く三ツ江の言葉を聞いていた。
直参――組長と親子盃を交わしたとはいえ、お嬢はまだ組に入ったばかりだ。そうしてヤクザというものを学んでいるのだろう。料理中でなければメモを取っていたかもしれない。
調子よく、三ツ江の舌が回る。
「伏見の兄貴曰く、俺らヤクザは『働かないアリ』らしいっス」
「働かない、アリ?」
「普段は働かなくて、他のアリから食い物を恵んでもらう。その代り、災害やら外敵やらが襲い掛かってきたときには他の働きアリよりも先に戦う。そういう役回りなんだそうで」
だから、ヤクザが被災地で人助けをするのは当たり前なのだと三ツ江は語る。
若い女性を風呂に沈めたり、土地を安く買うのだって被災地の人々が生き残るための緊急手段だ。倫理的には決して褒められたことではないが、現実としては必要なことだろう。
汚れ仕事、社会のドブさらい。
「ま、詳しくは兄貴に聞いて欲しいっス。まるのまま、兄貴の受け売りなんで」
「……そういえば、伏見さんってまだ帰ってないですよね?」
「そっスねー。交渉が長引いてるんだと思うんスけど」
馬車の音が聞こえてきたのは、ちょうどそんなタイミングだった。
三ツ江が顔を上げ、お嬢は包丁を置き手をすすぐ。
伏見を出迎えるつもりだったのだろう。けれど、馬車は門前で一度止まったあと、すぐさま道の向こうに走り去ってしまった。
「郵便……じゃないですよね」
「お嬢、ちょっとそこで待ってて貰いませんか」
戸惑うお嬢の隣を抜けて、三ツ江が包丁を手にしたまま門へと向かう。
「あんまいい予感がしないんスよね……」
馬車が去る直前、何か重い物を落とすような音がした。
さすがに爆弾なんてことはないだろう――アルカトルテリアにおいて、他人の財産を毀損するような行為は出来ないようになっている。
何か届け物、ということも有り得ない。所有権の移動には両者の同意が必要不可欠だ。
嫌がらせという可能性が最も高い。
包丁を構えたまま、三ツ江は門扉を開いた。
誰もいない。ただ、踏み固められた道の上に大きな長持が転がっている。
落とした際の衝撃で蓋が外れてしまったのだろう。中に詰められた死体の腕が縁から飛び出て、周囲には腐臭が漂っていた。
血の気が失せ、筋肉は弛緩し、血に塗れていても見間違えようのないその顔。
「……兄貴」
警戒も思考も途切れて、三ツ江はただ、意味もなく死体へと呼びかけた。




